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好者、邪多し(3)

 執務室。

 元々院長室だったこの部屋を執務室として使うようになってから、一ヶ月ほど経ったある日のこと――




「ヘーゼル卿がお見えになります」


 執務室がにわかにざわつき出したのは、ミセス・アランのそんな一言がきっかけだった。


「ヘーゼル卿? 摂政殿が?」


 書類とにらめっこしていたアン様が、顔を上げて尋ねた。


「いえ。ご子息の方です。たった今、先触れが参られました」


「サイラスが!?」


 ミセス・アランの返答に、色めき立つアン様。


「みんな、作業は中断だ! 早くもてなしの準備を! 今の時間ならアフタヌーンティーになると思うけど、念のためにディナーの方も――」


「アン様。ここは修道院です。アフタヌーンティーどころか、ティー自体がありません」


 珍しく取り乱すアン様を、ミセス・アランがたしなめた。


 とは言え、ここに来てからもう一ヶ月。

 その間、誰一人としてここを訪れる者がいなかったのだ。いくらアン様と言えど不意の来客にテンションが上がるのも無理はない。


(でも、ヘーゼル卿でもサイラスでもいいけど、一体何の用だろ?)


 わたしは訝しんだ。


 現摂政のヘーゼル卿は勿論のこと、あのサイラスだってバリバリのエリート貴族なのだ。

 片道だけで二日もかかるようなこんな場所にまでわざわざ足を運ぶなんて、どんな事情が?


 ◇◆◇


「よう。来てやったぞ」


 サイラスと、その執事が執務室に入って来たのは、それから2時間後のことだった。


「ふん。随分と辛気臭い所だな。ま、お前にはその方がお似合いだが」


 姿を見せるなり、嫌味なことを言い出したサイラス。




 ここ、ノース地方は、北の島国ローレンシアのさらに最北端なだけあって、基本的に湿気が多く、昼も短かった。

 そんな地域の岬に立っている修道院だ。暗く、じめついてしまうのは仕方がない。


(こいつのことだから、分かってて言ってるんだろうけど……)


 わたしは、汚物を見るような目でサイラスを見た。


 顔が良かろうが、有能だろうがそんなことは関係ない。

 アン様にはそんな場所(・・・・・)がお似合いだなんて、そんなことを言うこいつが許せないのだ。




「遠路はるばるようこそ御出で下されました、ヘーゼル卿。このアン=シャーロット、卿の御来訪を心より歓迎いたします」


 けれどアン様は、今日も今日とてオレ様なサイラスを、(うやうや)しく出迎えた。


「ふん。なんだ、へりくだりやがって。今さら殊勝に振舞ったところで、こっちはお前の本性を知ってるんだ。いつものようにサイラスと呼べばいいだろう?」


「とんでもない。今のわたしは一介のシスターに過ぎません。過去がどうであれ、五摂家の次期当主様を呼び捨てにするなんて、許されないことです」


「……そうか。それは結構なことだ。だが要らん気遣いだ。調子が狂う。これまで通りに話せ」


 サイラスは勝手に応接用ソファに腰掛けると、ふんぞり返って命令した。


「で、どうなんだ?」


「そうだね。結論から言うと、至って順調だよ。でも終りはまだ見えないね」


「そうか」


 それだけですべてを知ったらしいサイラスは、出された白湯に口をつけた。

 まあ付き合いだけはそれなりに長い二人だ。こんなごく短いやり取りでも、言いたいことは分かるんだろう。


 とは言え、わたしに言わせてみれば、そんなのはまだまだおままごと(・・・・・)の域を出ていない。


 なにしろ、もしこれがアン様とわたしだったら「おい」と「はい」だけで全部成立しちゃうのだから。

 そう。例えばこんなふうに――




 アン様「おい」

 わたし「はい♡」

 わたしはお茶を差し出した。


 アン様「おい」

 わたし「はい♡」

 お食事はこちらに。今日は腕によりをかけたフルコースですわ。


 アン様「おい」

 わたし「はい♡」

 勿論お風呂の準備もできてます。お背中お流しいたしますね♡


 アン様「おい」

 わたし「はい♡」

 そして、わたしたちはムーディな明かりの灯された寝室へと消えて行き……




「う、うへへへへへ……」


 もし、こんなことが現実になったりしたら、わたし幸せ過ぎて死んじゃう。

 わたしは、人に知られないように身悶(みもだ)えた。


 ◇◆◇


「もしや貴方様はヘーゼル卿ではありませぬか!? いやいや仰ってくだされば、こちらから出向きましたものを」


 アン様とサイラスが話し込んでいると、執務室に飛び込んできたのは小太りの中年だった。


「なんだ貴様は?」


「はい。(わたくし)、アボットと申します。不肖ながら当修道院をあずからせていただいておりまして――」


「そうか。失せろ」


 サイラスはアボットの自己紹介を聞かずに命じた。




 アボットと名乗ったこの男は、この修道院の院長だった。

 清貧を旨とするはずの修道院にあって、なぜか恰幅が良くて血色も良好。

 わたしの見立てじゃ、こいつ、裏で何かしているような気がするのだけど……




「は? ……いえいえ。そうはいきません。まさかヘーゼル家のお方をもてなしもせずに捨て置いたとなれば、ノースケイプの名に傷がつきますし、それに――」


 院長は、サイラスの邪険な態度にもめげずに食い下がった。


「なら問題ない。今のオレは宮内省から委託されただけの、ただの法務役人だ。ヘーゼルは関係ない。失せろ」


「や! しかしそれでは話が(ちが)――」


「いいか?」


 諦めようとしない院長に、サイラスが詰め寄った。


「――お前に口答えする権利はないんだよ。オレが失せろと言ったら失せろ。分かったら失せろ!」


 それは、泣く子も黙るヘーゼル家の威光を最大限に活用した命令だった。


「は……そ、それでは……」


 こうなってはもう黙るしかない院長。

 彼はすごすごと引き下がると、「失礼しました」と、蚊の鳴くような声で断りを入れ退出した。




「追い返して良かったのかい? 彼、相当プライドの高い人間だよ? 恨みを買ってなきゃいいけど」


 院長が出て行くと、サイラスに確認したのはアン様だった。


「恨み? はっ! だが、下級貴族(・・・・)ごときが、オレたちの間に割って入ってくるのが悪い」




 サイラスによると、院長の家は、元々肥沃な南部地域に領地を持つ伯爵家だったらしい。

 けど、何代か前の当主が不正をやらかしたらしく、今じゃ見る影もなくなって……




「アボットと言えば、かつては国外にも名の知れた名家だったらしいが……現当主があれじゃあな」


 サイラスは、空気も読まずに割り込んできた院長を、バッサリと評した。


「ところでサイラス。今日の宿はどうするんだい? ここは門前町もあるとはいえ、キミがお気に召すような設えの宿はないだろうし、もしキミさえよければ今晩は修道院に泊まって――」


「いや。このまま帰る」


「本気かい?」


 サイラスの返答に、アン様が驚いた。


「王都からここまで往復五日。その上、ここで一泊なんて、そんな悠長なこと言ってられるほど、オレもヒマじゃないんでな」


 サイラスは時計を見ると、立ち上がった。


「宮内省からの通達だ! アン=シャーロット・ノースケイプ修道院財務担当官。今年度中に結果を出せ。それで成果をあげられなければ、お前はお役御免。永遠にここにいることになる」


「今年度中? それはいくら何でも――」


 突然の、しかも厳し過ぎる通達に、アン様が困惑した。


「不満があるなら、お前自身が直接宮内省に出向いて言うんだな。ま、ただのシスターに過ぎない今のお前を、あの宮内省の堅物どもが相手してくれるとは思えんが」


 サイラスは高笑いを上げると、そのまま部屋を出て行った。


【登場人物とか】

アン王女      ……ローレンシア王国第8王女。ボクっ娘15歳。星彩の花

サイラス      ……ヘーゼル侯爵家嫡男。オレ様系18歳

ミセス・アラン   ……アン王女のメイドを束ねる婦長。しっかり者系三十路(アラサー)

アボット      ……ノースケイプ修道院の院長。小太りの中年


わたし       ……アン王女のメイド

バスティアン    ……サイラスの執事。腹黒系


ローレンシア    ……西の方にある小さな島国

ノースケイプ修道院 ……ローレンシアの最北端にある修道院


タイトルについて……色事を好む人には、邪な誘惑が多いと言うこと。


【更新履歴】

2024.5.25 微修正


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