好者、邪多し(1)
【あらすじ】
“星彩の花”と称されることもある第八王女のアン=シャーロット。
彼女は彼女をねたむ者たちやフィアンセ・サイラスなどの思惑により、王籍を離れノースケイプ修道院の財務官として着任することになった。
そして、年度が明け、修道院に赴任したアンだったのだけど……
アン様がノースケイプ修道院の財務官に着任してから3日――
「ああもう! なによこれえ!」
アン様に付き従ってこの地まで来ていたわたしは、思わず頭を抱えた。
「おやおや。そのセリフ、今日だけでもう7回目だよ?」
「何回だって言いたくもなります!」
またなのかい? と言いたげなアン様の様子に、わたしはガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。
「だってほらここ。見てくださいよ? キャンドルの消費がちょっと尋常じゃないです! 何なんです、月あたりのこの消費量! こんなの、毎週夜っぴで宴会でもしてなきゃ、納得できないレベルじゃないですか!?」
「ははは。もし本当にそうなのだとしたら、ボクたちはなんて楽しい所に来てしまったのだろう。この灰色の赴任生活にも少しは彩りが出ると言うものだよ。けど惜しいかな。ここはこの国のどこよりも伝統を重んじる修道院。それはないよ。大方、日々の礼拝の時にでも使っている。と言うのがその答えなんだろう」
「そ、そんなこと分かってますし」
分かり切ったことを言うアン様に、わたしは口を尖らせた。
そりゃあ、わたしだって修道院がどういう所かってことぐらい、分かっているつもりだ。
けど、毎年多額の助成金を受けてようやく成り立っているような御身分で、こんなにも大量のキャンドルを平気で浪費するなんて、ここの人たちは一体どういう神経をしているのだろう?
「そんなに灯りが欲しいなら、安い魚油でも使ってればいいのに」
明かりが必要な時、大抵の民家ではそうしている。というか、そもそも明かりが必要な作業をやろうだなんて発想自体がない。
王都で商売をやっていて、割と裕福なわたしの実家だってそれに近い考え方なのだ。
それがただ修道院だからと言うだけで、どうして高価なキャンドルを使い放題にして良いと思っているのだろう?
「貴女、ちょっと落ち着きなさいな」
不満たらたらなわたしをたしなめたのはミセス・アランだった。
「それは私たちに口出しできることじゃないの。私たちの役目はあくまでもここの財務の合理化を図ることよ。それとね。ここは私たちだけの場所ではないのだから、話すならもう少し声を抑えて」
「まったく……こんなムダなことにお金使って……」
わたしは不承不承席に着くと、また帳簿と向き合った。
今、わたしたちがいるのは修道院の食堂だ。
ここの伝統と格式とやらがどんなものかはさておき。とにかくそれらを未来までつなげていくために遣わされたアン様は、赴任後最初の一手として、帳簿の精査から始めていたのだ。
◇◆◇
「でもこの娘じゃないけど、4人でこれだけの量を精査するのは大変ね」
そんなふうにぼやいたのはミセス・アランだった。
「それですよ。間違いも多いですし」
わたしは同調した。
今この場にいるのは、アン様を含めて4人だ。
その内訳は、新設された財務官(アン様)以外は全員がメイド。
王女時代はどんな時でも30人は下らなかった使用人も、今はたった6人にまで減っていた。
そしてその内で計算が出来る者となると、さらに半分。
アン様が王女でなくなった以上、人的資源の減少は仕方のないことだ。
けど、さすがにたったこれだけの人数で、過去数十年分にもわたる量の帳簿を精査するのは、流石に厳しくて――
「そうだアン様! 帳簿があるってことは、ここにも数字が使える人がいるってことですよね? なら、彼らにも手伝ってもらえば――!」
そこに気付いたわたしは立ち上がった。
「うん? まあそうだね。ボクが頼めば、きっと彼らは快く手伝ってくれるだろう」
わたしの意見を評価してくれたアン様。けれど、
「しかしその案には賛成できないなあ。彼らには彼らの仕事があるだろうし、それをボクたちの都合で止めさせたんじゃ、ちょっと申し訳が立たないだろう?」
「いや……わたしたち、その彼らの都合でこんな所まで来る羽目になってるんですけど……」
人の好いアン様にわたしは困った。
でもまあ、こんな間違いだらけの帳簿を付けてしまうような人たちだ。
いたところでかえって邪魔にしかならないだろうし、そう考えればアン様の言うことはもっともなのかも。
◇◆◇
「あーあーまーた計算間違ってるしー」
次から次へと出てくる初歩的なミスに、わたしは感情が死にかけていた。
とある箇所の支出合計額が、今わたしが計算してみた額と違うのだ。
「……」
虚ろな気持ちでもう一度計算してみる。けど、やっぱり帳簿の方が間違っているようで……
◇◆◇
ここローレンシア王国は、通貨単位も制定されているれっきとした通貨経済国家だ。
主に流通している貨幣は大きく6つ。
大金貨。小金貨。大銀貨。小銀貨。大銅貨。小銅貨。
大貨は小貨の4倍の価値があり、金銀銅の間にはそれぞれ10倍の隔たりがある。
けど、国民の中には2桁ぐらいの数なら扱えても、それ以上になると無理という人もそれなりにいて、だから一般市場では、貨幣の種類と枚数だけで取引することも多いのだ。
けれど、そういう商習慣に慣れ切ってしまうと、帳簿を付ける時にそれが仇になってしまうこともあって……
◇◆◇
「また間違ってる……」
この帳簿は急ごしらえの物。そのことに気付いたわたしは嘆息した。
どうせ、この度新設されることになった財務官様に叱られないよう、慌てて用意したのだろう。
この帳簿、紙がまだ新しい上に、ページをめくれば必ず一つは間違っている。
そんな帳簿だか算数の練習帳だか分からないような代物を前に、わたしの心の中には、悟りの扉が出現し始めている。
そう。これは神の与えたもうた試練なのだ。すべては神の御心のままに――
わたしは、その扉に手をかけた。
しかし――
「キミ、割り算はできるよね?」
「はあ?」
ポン。と、肩にのせられた手の重さに、わたしの悟りは露と消えた。
掛け算ができるかって? バカにしないでほしい。こちとら商家の娘だ。当然一通りの手解きは受けているし、割り算なんて朝飯前。それどころか小数、分数、加減乗除なんでもござれってなもんなのだ。
身の程を知れ。アンタなんかよりわたしの方がよっぽど数字に強い。
わたしはムッツリ顔を、その身の程知らずに向けた。しかし――
「あ、あれ? ――アン様?」
「うん? なんだい?」
か、かかかかか……顔が! 顔が良い! そして近い!
身の程知らず=アン様だったと知ったわたしは混乱した。
「あ、あわ、あわわわわわ……」
「? ハハハ。キミって時々面白くなるよね」
面白い? もしかして今、褒められ……いや。今はそれどころじゃない。早くアン様のご質問に答えないと。
「わ、わわわわわたくしめに、いいいい一体なななんの御用で、ご、ごじゃいませうか!?」
わたしはもういっぱいいっぱいだった。
実はわたし、普段は鋼鉄よりも強靭な意志でアン様への想いをひた隠しにしているからこそ、お仕えできているのだ。
なのに、不意打ちでこんな近くにアン様のご尊顔があったりしたら! わたしの肩に、アン様の御手々が乗っかっていたりしたら! それはもう! つまり――!
「おや? 聞いてなかったのかい? だからね。キミはたしか、割り算ができたよねって――」
「は、はひゅうぅ……」
いい匂いがしゅるう……
天国はここにあった。そのことを知ったわたしは、身も心も天に召されたのだった。
【登場人物とか】
アン王女 ……ローレンシア王国第8王女。ボクっ娘15歳。星彩の花
サイラス ……ヘーゼル侯爵家嫡男。オレ様系18歳
ミセス・アラン ……アン王女のメイドを束ねる婦長。しっかり者系三十路
わたし ……アン王女のメイド
バスティアン ……サイラスの執事。腹黒系
ローレンシア ……西の方にある小さな島国
ノースケイプ修道院 ……ローレンシアの最北端にある修道院
タイトルについて……色事を好む人には、邪な誘惑が多いと言うこと。
【更新履歴】
2024.3. 5 微修正
2024.3.18 アンの質問を掛け算から割り算に変更。微修正
2024.5. 7 微修正
2024.5.15 微修正




