8.情報屋の手伝い 一
シントサカ、港湾区域に倉庫街がある。
寂れた倉庫もあれば、人や車で賑わう倉庫もある。
景虎がいるのは、寂れたほうの一角だった。
コンテナが乱雑に置かれた内の一つ。
扉が片方開きっぱなしになっている赤いドライコンテナの前に立ち、錆びついたドアを叩く。
「アガキさん」
「よぉ、景虎。待ってたぞ」
コンテナの中を生活空間にしたアガキが、箸を持ったままの右手を上げた。
左手にはカップラーメン。パッケージは普通だが、コンテナの中から独特の匂いが漂ってくる。
「また納豆ラーメンっすか?」
「おう、美味いぞ。お前も食べるか?」
「いらないっす。チャーハン食ってきたんで」
断りつつ、景虎はコンテナに入った。
中はまず、きちんとシーツと毛布が整えられたアルミフレームのベッドが一つ。
ヒューマンアルゴリズム系の椅子が二脚。
スチールデスクにはラップトップが一つ。
情報屋が一人。
以上。
中は思ったよりも広いが、家具は最低限だ。
ここは情報屋アガキの拠点の一つ。
情報屋はセーフハウス含めて、いろいろな顔を持つ家を持ってないといけない。
それがアガキの信条だった。
「で、今日は何の用っすか?」
景虎は椅子に座り、ヘッドレストを自分用に合わせて持ち上げ、深くもたれる。
「手伝ってほしいことがある」
アガキはラーメンを啜ってから、ラップトップの画面をこちらに向けた。
2画面表示されていて、左側には、不貞腐れて登録用のカードを胸の前で持つ長髪の色男の真正面ショット。
右側には、その男と思わしき人物を斜め上──防犯カメラだろう──から撮った画質の粗い写真。
「……こいつは?」
「進藤マツル。誘拐犯のボス」
「誘拐犯ってことは……」
「そうだ、日坂に捜索依頼が来てる子ども。こいつのところにいる可能性が高い」
景虎はジッと画面の男を見つめる。
まだ若い。しかし柔和な甘いマスクの中で一点、鋭い目つきが気になった。
それなりの修羅場をいくつも乗り越えてきた人間の目だ。
「だが可能性が高いだけだ。確度はまだ低い。証拠が必要だ」
「写真か音声?」
「ああ。子どもがまだ生きていて、こいつらが持っているという確証が欲しい。あとは日坂の仕事だ」
アガキがラップトップを戻し、ラーメンの汁をグッと飲み干した。
そのまま自分が助け出したほうが早い。
とは、景虎は言わなかった。
子どもを傷つけずに誘拐犯から奪還する。
それは日坂のように暴力の塩梅が上手い人間が得意とすることだ。
力の限りを尽くす景虎では、子どもを人質に取られて殺される可能性もある。
「連中、新興のオロカ・マフィアの割にはガードが堅い。元は老舗からの破門組も属してる。調べてるうちにミイラ取りがミイラになったら洒落にならんからな」
「そこで俺の出番っすね?」
「ああ、とにかく子どもが生きていることを写真か、最悪俺たちの目で確認できればいい。頼めるか?」
「もちろん。子ども浚うヤツは嫌いなんで」
景虎の返事にアガキはうなずき、それから扉を閉めるように言った。
「よし、じゃあ始めるぞ。まずは──」
ー・-・-・-
進藤マツルが犯罪者になったのは、中学に上がる前だった。
親が飯を食わせてくれないので、商店でお菓子を盗んだ。
商店の主はボケ始めた爺さんだったので、うたたねしているときを狙えば楽勝だった。
盗みを覚えたあと、マツルは女を覚えた。
顔は良かったから、その点だけはクソな両親に感謝している。
嘘だ。感謝などしていない。まだ生きてるなら今すぐぶっ殺してやりたい。
ともかく、女を覚え、酒とタバコに耽り、同じような連中とつるみ始めたマツルは、金が必要だと気づいた。
良い女や良い酒、とにかく良いものがある場所に入るには、そんな場所でも惨めに、卑屈にならない恰好をするための金が必要だった。
これまでみたいに同い年やその周辺の連中からカツアゲするはした金じゃ全然足りない。
けれど、どうやって金を作ればいいのか思いつかない。
ある日、身なりのいい少年が犬の散歩をしていた。
近くにあるお坊ちゃん校の制服だった。
反吐が出るほどムカつく、幸せな光景ってヤツだった。
それは衝動的なものだった。
マツルは人通りが少ない場所に少年と犬が入ったとき、小型犬をサッと横から抱きかかえた。
混乱して返してと言う少年を、マツルは腕を掲げて避けた。
マツル自身もなぜ自分がこんなことをしたのかわからなかった。嫉妬なのか、それとも──。
ふと、考えるよりも先に言葉が口を突いて出た。
「返してほしいか?」
少年は半べそをかきながら、頷いた。
犬は最初吼えていたが、脇の下を強く掴んで威嚇してやるとすぐに耳を伏せ、尻尾を丸めて大人しくなった。
「じゃあ、今持ってる金寄越せ。全部だ」
少年はすぐに財布を出した。
中には十枚を超える紙幣が入っていた。
すべてを奪ったあと、マツルはちゃんと少年に犬を返してやった。
それからこう忠告する。
「いいか。俺がお前から大切なものを奪うのはこれで終わりだ。だからお前も嫌な目に遭った。でもこれで終わりだから幸運だと思って生きろ」
少年が曖昧に頷いたから、マツルは少年の肩に手を置いて、身をかがめて目をジッと覗きこむ。
「もし、俺のところにお前のパパやママ、親戚、警察、そういうのが来たら、お前の大切なものを全部奪う。でも、お前がそういうことをしないで今日のことを忘れられたなら、俺とお前は今から無関係だ。いいな?」
少年は、今度はちゃんと頷いた。
目からポロポロとこぼした涙を、マツルは美しいと思った。
どんなに女を泣かせても、あれ以上のいい涙は見たことがなかった。
そして、背筋を走る感覚に唇を歪めた。
“ああ、これだ”。
と、マツルは感じた。
人は己の大切なもののためにいくらでも金を出す。
カツアゲなんてちんけなものではない、大きな金を。
それから七年。
居場所を故郷の街から犯罪多発都市、シントサカに移した。
そして新しい組織を立ち上げてから1年。
マツルは、今のところ上手くやっている。
マツルは根城にしている貧民街のアパートに戻ってきた。
部下となった友人たちに片手をあげて挨拶を交わしながら、アパートの階段を上っていく。
一番奥の部屋に入ると、そこは家具もないワンルームだった。
部屋には鉄製の椅子が二脚。
一方には椅子に全身を縛られた少年が座っている。
何度も何度も泣きはらし、涙のあとが酸性雨を浴びた銅像のようになっていた。
「一千万ぽっきりだ。お前を返却するときの値段」
マツルは少年の正面、もう一脚に座り、タバコを咥えてマッチで火を点ける。
「お前の人生全部で換算すれば、きっとなんでもない金だよ。いくらでも取り返せる。だろ?」
質問をしたが、答えは期待していない。
なんせ猿轡をしている。何か言っても聞き取れない。
「あ、そうそう。俺は自分が浚った人間は必ずリスト化してる。だから二度とお前を誘拐したりはしない。だからお前も、無事にお家に帰ったあとは、人生で何度もある不幸の一つだと割り切って、俺のことは忘れろ。いいな?」
縛られた少年は何度も何度もうなづく。
浚われてから一週間。
幾度も繰り返された質問と答えだった。
少年の本能が告げている。
彼は嘘を吐いていないと。
約束を違えさえしなければ、二度と彼と関わることはない。
ただの願望かもしれない。
それでも、短い人生の中で培った直感が、彼が本心で語っていると信じさせた。
「残り二日の監禁生活だ。楽しめよ」
マツルはタバコを椅子に押し付けて消し、そんな身勝手なことを言うのだった。
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