4.隕鉄飯店
犯罪多発都市『シントサカ』には、他の都市と同じように飯屋がたくさんある。
アラゴト屋の景虎と探偵の日坂が暖簾をくぐったここ『隕鉄飯店』もその一つだ。
「大将、こんちは」
「おう、待ってたぜ便利屋」
中で鍋を振るう隕鉄飯店店主、調理帽を被った王は、二人を一瞥したあと中華鍋に入ったチャーハンをお玉に乗せて、皿に盛りつける。
「三番さん、持ってって」
「はい! 師匠!」
カウンターにチャーハンとスープが置かれると、王の料理の弟子であり、チャイナドレスを着た華奢なホールスタッフの楊が店の奥、三つある座敷の一つに料理を運ぶ。
店には客がそのテーブルにいる一人だけ。
戦争状態の昼飯時は避けたため、店員も楊と店長兼料理長の王だけだ。
「依頼の品はどこだい?」
「すぐに出す。それよかお前ら、飯は食ったか? まだなら食ってけ」
日坂の言葉に、王が鍋を拭きながら返す。
「やった! じゃあ僕、ラーメン。チャーシューとネギ大盛り。あとベトナム風揚げ春巻きで」
「了解。景虎は?」
「えっと、チャーハン大盛りと餃子」
「あいよ」
景虎は、さっそく王の正面を陣取った日坂の隣に腰を下ろした。
すぐにごま油とネギや香味の匂いが鼻腔をくすぐる。
胃袋を刺激する匂いだ。
「これ、依頼金から引かれる?」
日坂が訊くと、王が無表情で卵を入れた鍋を振り始める。
「当然だ。タダ飯なんてものはない。だが、どうせお前らは食っていっただろ」
「それは間違いない」
二人の会話に景虎がニヤニヤしていると、横からおしぼりが差し出される。
「はい」
「ありがとう、楊さん」
「どういたしまして」
楊はニッコリと営業スマイルで微笑むと、景虎と日坂におしぼりを手渡す。
それからいそいそとエプロンを外した。
「店長、ちょっとお昼行ってきます」
「おう。遅くなるなよ」
「わかってますって」
「どの口が……」
王の小言の途中で、楊はすでにエプロンを近場の椅子に置いて飛び出すように店を出て行った。
「すごいね。また研究?」
「ああ。うちの店の味を盗んでるくせに、他の店も味見だと。あいつが昼飯にどれぐらい時間かけるか知ってるか?」
王は湯通しした麺を湯切りしてスープを入れた器に流し入れる。
問われた景虎が首を横に振ると、チャーシューとメンマの上にネギをこれでもかと載せながら王が言う。
「5件だ。昼飯だぞ? 一日じゃあない」
「5件って……それ、時間通り戻ってくるんですか?」
「いや、当たり前みたいに遅刻してくる。けどあいつは必ず収穫してくる。うちの店のメリットになる情報とかな」
「たとえばどんな?」
日坂の言葉に、王は片頬だけ上げて笑みを作った。
「そんなこと教えるわけないだろう、探偵」
「だよね。残念。口を滑らせてくれるかと思ったのに」
「阿呆。そんなことするかよ」
他の鍋では春巻きが揚げられ、フライパンでは餃子が焼かれている。さらに話しながらも中華鍋を振る手に迷いなどもない。
パラパラとした米と卵を混ぜ、それから細かく刻んだチャーシューと、みじん切りのネギと玉ねぎ。
かなりシンプルな構成だが、景虎は隕鉄飯店のチャーハンは『シントサカ』でもトップレベルに美味いと思っている。
「はいよ、お待ち」
「うは! 待ってました! 今日も美味しそう!」
日坂がはしゃいだ声を上げる。
景虎も思わず唾を飲みこんだ。
そんな二人の間に口が丸められた紙袋が置かれる。
「いただきまーす」
日坂はそんなもの目に入ってないかのようにラーメンをすすり始めた。
景虎は仕方なくレンゲを持ったまま、王と目を合わせる。
「これが依頼の品だ。繰り返すのも面倒だが、一応。中身は見るな、聞くな。紙袋は開くな。開封した痕跡があった場合、報酬はなしだ。いいな」
「了解……食べていい? 大将」
「ふっ……食え。許可する」
「いただきます!」
景虎はもう我慢できず、すぐにチャーハンを掬って口に運んだ。
「うっまっ!!」
あまりの美味さにたまらず声が出た。
それからはもうチャーハンにつく卵スープと交互に食べ続ける。
手は止まらない。
隕鉄飯店のチャーハンは界隈で1,2を争うと言う人間の舌は信頼できると景虎は思う。
「景虎くん、そのままでいいから聞いて」
「……はい」
と、揚げ春巻きを美味そうに食べながら日坂が言った。
景虎は日坂のほうを見もせず小さく返事をして、餃子を酢とこしょうだけのシンプルなタレにつけて口に運ぶ。
「奥のヤツ、動きが怪しいね。なんかやるかも」
「……」
日坂に言われ、それとなく視線を送る。
景虎たち以外の唯一の客。
店の奥の席で、なにかそわそわと落ち着きがない。
三十代前半……いや、もっと若いかもしれない。
仕立ての良いスーツを着ている。
エリート銀行員や会社員が多く住む北区の人間かもしれない。
「ま、なんかするにしても僕らの出番はないだろうけど」
「……まあ、そうですね」
一応確認はしたものの、景虎は日坂を肯定した。
何をするにしても、この店にはそもそも王がいる。
「……お、おい!」
と、図ったように男が声を上げた。
王がジロッと睨めつけると一瞬怯んだように見えたが、右手の指先をチャーハンに向けている。
「髪の毛が入ってたぞ! この店は客にこんなものを食わせるのか! え?」
男の手には、男の髪と同じぐらいの長さの髪の毛が摘ままれていた。
その主張を聞いた瞬間、景虎と日坂は小さく噴き出す。
そして店主の王は、こめかみに青筋を浮かべた。
「なんだとこの野郎? 髪の毛だ? 本当に髪の毛が入ってたのか? お?」
王が凄んで手に中華包丁を持ったまま調理場から出てくる。
客は一切怯まない店主に多少驚いたようだが、今さら引っ込みはつかないだろう。
「こ、これだよ! これが証拠だ!」
相変わらず自らの髪と似た毛髪を一本、決定的証拠であるように掲げる。
「もう一度だけ聞くぞ。髪の毛が入ってたんだな。調理した俺の」
「そ、そうだ! あんたの髪の毛が入ってたんだよ! どうするんだよ。こんなもの食わせやがって。謝罪だ! いや、誠意を見せろ! 金を払えとは言わないが、せめて飯代はタダにしろ!」
声高に主張する男の言い分が面白すぎて、最後の一口がなかなか飲みこめない。
早くネタばらしすればいいのに、と景虎は思う。
日坂などはさっさと食べ終わって机に突っ伏して肩を揺らし続けている。
「よーし、上等だ。本当に俺の髪の毛だったら飯代どころか金を払って謝罪してやるよ」
「……え?」
男はなぜ王がここまで言うのか理解できないだろう。
しかし王が調理帽を脱いだ瞬間、自分が笑えるほどの失敗を犯したことに気づく。
「誰の何が入ってたって?」
王は禿頭だ。
頭部には髪の毛一本生えていない。
ツルツルのピカピカだ。
形もよく、剥き卵みたいでよく自慢している。
この店の常連なら、彼が禿頭であることを知らない者はいない。
「あ、あ……」
男は声を失っていた。
「おう、さっきまでの威勢はどうした青年」
「いや、あの、く、くそ!」
男は自分のミスに気づいても引き返せなかった。
席を立ち、脱兎のごとく逃げようとした。
けれども王の横を通り過ぎようとした瞬間。
王の手に握られた中華包丁が閃いた。
「こぇっ?!」
王は男のこめかみと頬を、包丁の腹で思い切り引っ叩いた。
男は椅子とテーブルを巻き込んで吹っ飛ぶ。
景虎は痛そう。と思いながら水を飲む。
日坂は手を叩いて子どもみたいにはしゃいで笑っていた。
「よし、お坊ちゃん。警察には突き出さないである。けど躾は必要だよな。二度としないように」
よろけてすぐには立ち上がれない男に王が近づいていく。
それから胸ぐらを掴んで無理やり持ち上げ、それからテーブルに向かって思い切り背中を叩きつける。
「ごぶぇっ!?」
王は、のたうち回るぐらいしかできなくなった男の尻ポケットから財布を抜く。
それから免許やそのカードの情報をザっと眺め、紙幣とジャリ銭を全部取り、雑にポケットにねじ込む。
「ど、泥棒……」
男がかろうじて声に出すが、王はそれを鼻で笑う。
「この店な。監視カメラが付いてるんだよ。お前の悪事は全部撮ってあるぞ。北区のエリート君」
王はニッコリ笑って店の一角を指さす。
そこには監視カメラが一台、二人のことを映していた。
もちろん一台だけではないが、懇切丁寧にすべての場所を教える義理は当然ない。
「大方、ヤクザの真似事をしてみたかったんだろ。いるんだよ。エリート街道を進んだお坊ちゃんにな。エリートの道、行き詰ったんだろ。だからヤクザの、いや、チンピラの真似事して自分はやっぱりエリートだ。何やっても上手くいくんだって思いたかったんだよな」
「いや、あ、あの……」
「わかるぜ。楽しかったか? 躾で暴力振るわれたことも初めてだろ。良かったな。他のお坊ちゃんお嬢ちゃんじゃ味わない貴重な体験だ」
「ご、ごめんなさい……ほんの出来心で……ひっ!」
男の顔のすぐそばに包丁が突き立てられる。
「ただな。一線を超えるなって話だよ。人様の作った料理に難癖付けるのはよろしくないぜ。なぁ?」
「は、はい……」
「俺は心が傷ついた。あとで治療費も持ってこい」
「え? そ、そんな……」
「そんなもクソもあるか。持ってくるんだよ。人様で遊ぶってことはこういうリスクがあるんだ。今のうちにわかってよかったな。そうだ、勉強代も追加だ」
「ひっ……ま、待ってください。わかりました。払います。払いますから、これ以上追加は……」
「そうさ。そうやってすぐ素直に頷けばいいんだよ。勉強になってよかったな。勉強代追加だ」
「いやーッ!」
男の悲鳴に日坂が腹を抱えて笑う。
景虎も苦笑する。申し訳ないが男には同情できなかった。
「いやー、笑った笑った。大将のほうがよっぽどヤクザだよね」
「そうですね。怒らせたらまずいっすよ」
「景虎くんなら勝てそうだけど、やっぱり怒らせたくない?」
「喧嘩で勝てても、そのあとここの美味い飯食えなくなるほうが痛手じゃないっすか?」
「あー、それは盲点」
納得する日坂の声で、王がこちらを向く。
手は男の襟首を掴んだままだ。
「なんだお前らまだいたのか。飯食ったならさっさと依頼を済ませてこい。あ、出ていくときは準備中の札にしといてくれ」
「了解です」
「あいあいさー!」
景虎と日坂はすぐさま紙袋を持って立ち上がる。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま!」
「おう。また来いよ」
王と捕まったままの男に見送られ、二人は店を出る。
「あ、あの、俺は……?」と、男が聞く。
「お前にはまだ世の中、シントサカ、この店の道理を教えなきゃいけないからな。まだまだ残ってもらうぞ」
「い、いやだー!!」
そんな男の声は扉を閉めると同時にシャットアウトされる。
景虎はそっと『営業中』の札をひっくり返し、『準備中』にしてから、先を歩く日坂のあとを追いかけるのだった。