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3.シントサカの薬屋さん

 犯罪多発都市【シントサカ】。

 とはいえ、常に誰かが銃を発砲していたり、刃傷沙汰が起こっているわけではない。

 頻度が多いというだけだ。

 一般的な治安の良い都市にしてみれば、それだけで十分なのだろうけれど。


 アラゴト屋の葦尾景虎はシントサカの西地区、西焔さいえんのとある通りにやってきていた。

 いつものゴム草履をペタペタ鳴らしながら、目的の場所へ向かう。

 西焔はシントサカの中では落ち着いているほうの場所だ。

 特に現在歩いているジョングラ通り、通称『薬屋通り』は人通りは多いが、血気盛んな者は少ない。


 通称どおり、ここには古今東西のいろんな薬が流通している。正規の医薬品から怪しい黒魔術の道具まで扱っている。

 大抵の症状なら、この通りを探し回れば適した薬が見つかるだろう。


 痛み止めの種類も効き目も豊富だ。

 なのでアラゴト屋は世話になることが多い。

 景虎もこの仕事を始めてからよく世話になっている。

 今回用事があるのも、景虎が贔屓にしている処方士、キリコ先生の元だ。


「こんちは。キリコ先生、いますか」


 縦に長い長方形の建物。

 『キリコ薬店』と書かれた藍色の暖簾をくぐり、景虎は広い店の奥に声をかける。

 するとカウンターの向こう側で何かの葉っぱをしげしげと見つめていたキリコ先生──キリコ・エドマエ──が顔を上げた。


「ん? よぉ、カゲトラ。治療か? 薬か?」


 黒髪をひっつめた妙齢の白衣姿。

 キリコは、分厚い眼鏡をずらして、上目遣いに景虎を見た。

 景虎は処方箋を十数枚ヒラヒラと揺らし、キリコの元へ向かう。


「薬です。ティオンタのじい様、ばあ様に頼まれて」

「ああ、お使いか」


 キリコは処方箋を取り、素早く内容を確認していく。


「ティオンタじゃ報酬は安いだろ」


 処方薬を入れる袋を人数分用意しながらキリコが言う。


「代わりにこれをいっぱいもらいましたよ」


 言って、景虎はジーンズのポケットから色んな種類の飴玉を取り出して見せた。


「はっ、あの人ららしいな。ひとつくれ」


 袋と処方箋を並べ終えたキリコが手を差し出す。

 景虎はイチゴミルク味のキャンディーを手渡した。


「サンキュー。ふふふ、人情って感じだな」

「だからあそこからの仕事は断れないです」


 ティオンタはシントサカに住むタイ人移民の互助会および、彼、彼女らが住む地域の総称だ。

 ちなみに名前の由来は互助会を作ったメンバーの頭文字だの、昔の神の名だのと言われているが、なぜそんな名前なのか。現メンバーは誰も知らないらしい。


 それはおいて、ティオンタは気のいい人が多い。

 金はないが人情と義理がある。

 互助会の活動も活発で、金がないやつには飯を振る舞う人間がたくさんいる。

 景虎はそんな気質の人々が好きなので、基本的にティオンタからの依頼は断らない。


 さて、シントサカでは基本的に薬の受け取りは信頼できるアラゴト屋に頼む。

 なぜなら処方される薬というのはつまり、診断が出なければ処方されないということ。

 それらの薬には犯罪組織や少数のチンピラが欲しがるお薬も多々ある。

 力のない老人たちや普通の主婦、子どもなどがお使いで受け取りに来るのは正直言って自殺行為だ。

 薬を奪われるだけならまだ幸運。

 普通に慈悲もなく殺される。犯人は捕まったり捕まらなかったり。

 この都市で警官や軍隊は強いが、殺された者を生き返らせる力はない。

 なのでこういうときに景虎のようなアラゴト屋が必要となるのだ。


「少し待ってろ。すぐに用意する」

「わかりました」


 キリコが処方箋と照らし合わせ、天井まである壁の棚から薬の束を取り出しては分量を調整、確認していく。

 景虎はすることもないので、待合スペースの椅子に座り、漢方などのよくわからないモノが入った瓶を眺めた。


「けっこう面倒な薬が多いな。カゲトラ、お前から見てどうだ? みんな、元気にしてたか?」

「まあ、具合の悪そうな人はいなかったですね。それどころか捕まって一時間話に付き合わされましたよ」

「ふっはは、そりゃいい。私も往診に行くといつも捕まる」

「みんな、先生に会いたがってましたよ」

「冗談だろ。定期健診以外は行くつもりはないよ。何時間話が途切れないと思ってるんだ。あいつら私を暇な処方士だと思ってる節がある」


 キリコは話しながらも、袋に一人分ずつ薬を入れていく。

 十数人分あった処方箋も、次第に数を減らしていった。

 そして最後の一枚になったとき、一人の男が入店してきた。


「いらっしゃい。ご用は?」

「…………」


 男は何も答えなかった。

 景虎は、さりげなく男を観察した。

 日本人っぽい顔立ち。

 痩せぎすで、頬がこけている。

 ギョロギョロと動く目は、血走っていた。

 髪の毛は薄く、腐った何かの臭いがする。


「薬……薬、あるか」


 男が口を開く。

 腐臭が漂ってきた。


「何の薬? 風邪薬なら右の棚。痛み止めなら左中央……具体的に欲しいものがあったら、教えてちょうだい。処方箋があると助かる」


 キリコが答えるも、男は微動だにしない。

 キリコのほうを向いているが、目の焦点は合っていなかった。


「アイスだよ、アイス。アイスくれ」

「……お客さん、ここは薬屋。アイスクリームが食べたいなら……」


 男が銃を取り出し、キリコに向けた。

 景虎はとっさに動こうとしたが、キリコに軽く手で制される。手を出すな、という合図だ。

 景虎はそれに従い、椅子に深くもたれ、事の成り行きを見守ることにした。


「……覚せい剤のことだよ! わかってんだろ! 薬屋だろ? ここに売ってんのも知ってんだよ。出せよ。早く出せよ!」


 男は口から泡を飛ばしながら、キリコに迫る。

 キリコは両手を上げて降参ポーズを取りながら、視線を左の棚へ向ける。


「わかった。出すよ。そういうのはあそこ。でも、警察に見つからないように、ちょっとした仕掛けがある。動いてもいい?」

「…………」


 男は一瞬迷ったようだったが、こくりと頷いて銃口を横にずらしてキリコを促した。

 キリコは出している途中の処方薬を机に置いてから、男の前を通って棚の前に立った。


「どれだけ欲しいの?」

「あるだけ全部……」

「支払いは?」

「命が助かるだけマシだろ」

「……なるほどね」


 キリコは棚からマムシが五匹入った大きな瓶を取り、何でもない様子で男に手渡した。


「ほら、ちょっと持ってて。これがあると薬が取れないから」

「あ? お、おお」


 あまりにも自然に渡されるものだから、男は思わず瓶を受け取ってしまった。銃を持つ手が緩み、銃口がキリコから外れる。


「やっぱり、思考が相当鈍ってるね。そんなヤツに私の上質なお薬はもったいない」

「……はぁ?」


 キリコが景虎を見る。

 景虎が動くと同時に、キリコは男の鼻っ柱を、スナップさせた手の甲で叩いた。


「ぐべっ!?」


 そして男の手から慣れた仕草で銃を抜き取ると、何のためらいもなく男の足の甲に向けて引き金を絞った。


「がぁあああっ!?」


 たまらず男が瓶を落とす。

 景虎がそれを床と激突寸前でキャッチすると、キリコは白衣のポケットから小型の注射器を取り出して男の首に刺した。


「うげっ、げ、あ、え?」

「大丈夫。怖くない。心地よく眠れるだけだ。安心しろ。悪いようにはしないからな。大丈夫。ほら、おねんねの時間だ。大丈夫。大丈夫」

「あ、お……ん?」


 キリコに声をかけられながら頬を撫でられた男は、次第に撃たれた痛みなどないように、瞼がとろん、と落ちていく。


「カゲトラ」

「うっす」


 足から力が抜けてガクンとくずおれかけた男を、景虎が片腕で支える。瓶をキリコに渡して、男を肩に担ぐ。

 男は寝ていた。ぐっすりおねんねだ。

 キリコが首に刺して注入したのは、強力な睡眠薬だった。


「どうします?」

「奥に運んでおいてくれ。床に寝かせたままでいい。あとで助手を使うから」

「了解です。にしても、あんな古典的な手に引っかかるなんて」


 景虎は、瓶を手にしてしまった男の姿を思い出す。


「さっきも言ったが、過剰摂取で判断が鈍ってるんだよ。どうせどっかの組で粗悪品でも買ったんだろう。最初からウチで買ってれば、用法・用量を守った素晴らしい体験ができたのに」

「そんなこと言ってると、そのうち逮捕されますよ」

「ははは、できるもんならやってみろ。シントサカのお偉いさんたちは私の可愛い顧客だよ」


 片頬を持ち上げた笑みを浮かべ、キリコは最後の一人の処方箋を手に取る。

 男のことはもう眼中にないようだ。

 ごく自然に男の拳銃を白衣のポケットにしまったのは見えたが、深く追求しないことにする。


「ほれ、薬だ。持ってってやんな」

「どうも」


 店の奥の床に男を転がして戻ってくると、キリコから薬を渡される。

 それぞれの処方薬が入った袋を、さらに大きな紙袋に入れたものだ。


「じゃあ、俺はこれで。ありがとうございました」

「あ、そうだカゲトラ」

「はい?」

「しんどいことがあってどうしてもお薬に頼りたくなったら、私のところで買えよ? お前なら安くしといてやる」

「……そうならないことを祈ってますよ」

「ふっ……」


 キリコの処方する『お薬』なら依存性もなく、求める効果をくれるんだろうが、景虎に使用する意思はない。

 景虎はキリコに改めて礼を言って店を出た。


 ちなみにティオンタに薬を届ける道中、二組のチンピラがスクーターに乗って襲ってきたが、すべて返り討ちにした。

 やれやれ、こういうことがあるから、アラゴト屋の仕事は減らないのだ。

 

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