27.刑事 西芝の事件簿「暴力の沼3」
「三人目が出たな」
シントサカに多数ある小さな個人商店『青竹』の中。
トイレの扉の前に西芝はいた。
内部は血まみれで、今も鑑識が証拠を集めている。
トイレの床まで丹念に見なくてはいけない仕事だ。頭が下がる。
「篠井修平。こいつも外様D-LANの人間だな」
「昨日、“挨拶”に行ったときにいたな」
「そいつだけどね……」
東神と話していると、横からひょっこり鑑識課課長の三宅下が割って入ってくる。
「顔も頭もボコボコ。どんな恨まれかたしたらここまでされるのか。前回の二人同様、意識不明で植物状態だね」
「回復する見込みは?」
「せいぜい二割ってとこじゃないかな。生きてるのが不思議なくらいだったもの」
「そうか……」
西芝は腕を組み、血が飛び散ったトイレの壁を見つめる。
「死んでてもおかしくないぐらいの暴行を加え、しかし相手を殺すまでは至っていない、か」
「そうなるように手加減したって感じじゃないな」
東神の言葉に西芝は頷く。
遊び半分で人を植物状態にできるような人間なら、もっと己を誇示するだろう。
必ずどこかでボロを出す。
しかし今回の事件ではそんな形跡が見当たらない。
連続性を感じさせながらも、どこか突発性も見受けられる。
「マフィア同士の抗争ってわけでもない」
「その線も薄いな」
「外様D-LANを狙う個人か、多くて数人というところか」
「だとすれば目撃情報ぐらいあるだろう。店員は、篠井がトイレに一人で入っていったと証言していたぞ」
「そうか……」
西芝は少しだけ考えたあと、トイレから離れてレジへと向かった。
不安そうな顔をしていた店員は昨日勤務していたアルバイトのようで、店長を通じて警察に呼ばれていたのだ。
西芝が近づくと明らかに狼狽し、顔を強張らせた。
「すまないが、いくつか質問させてもらえるか」
「は、はい……!」
店員は後ろめたいことがあるわけではなく、ただ単に自分に怯えているだけだと理解した西芝は、メモも用意して淡々と質問を始めた。
「被害者の男がトイレに入ったあと、誰もトイレには近づいてなかったか?」
「は、はい。僕の見た限りですけど。さっきの刑事さんにも聞かれましたけど、複数人とか武器を持った人、みたいなのも。そもそもあの被害者の人ともうひとり入ってきた以外は、店に入ってきてないんですよ」
「……もうひとり?」
店員の言葉に引っかかった西芝はメモを書く手を止めた。
「はい。その被害者の人にこき使われてるというか、下っ端? みたいな感じでした。トイレの前で待ってろ的なことも言われてたような」
「そいつの特徴は?」
「うーん、とにかく弱そうな人というか。おどおどしてる人でしたね」
西芝は昨日、外様D-LANがたむろしているクラブを思い出した。
そこで教育という名のリンチを喰らっていた男の顔を思い浮かべる。
「でも、その人は犯人じゃないと思いますよ。しばらくしたら、もう行きますからね。とか声をかけてましたし。そのあとは普通に買い物をして出て行きましたし」
「様子がおかしいとかはなかったか?」
「さぁ、ずっとおどおどしてましたからね。会計のときも目を合わせないし。そんなお客さんは珍しくないんで、特にはなんとも」
店員に対してもおどおどした態度を取る男の姿が容易に想像できて、西芝は鼻から小さく息を吐いた。
(店員の言うことが本当なら、あの男は除外すべきか。そもそも自分が一番疑われる立場になる中で、犯罪を犯すようなタイプとは思えなかったが……)
先入観だけで動いてはいけない。それは刑事として基本の鉄則だ。
自分の思い込みが捜査の邪魔をすることなんてよくあること。
だから西芝は一応、男のことを頭の隅に引っ掛けるようにはしておいた。
仲間から酷い扱いを受け続け、それに耐えかねて──。
動機としては十分と言えそうだ。それでもまだ、あの男が仲間をここまで徹底的に暴行するような人間とは思えなかった。
「最後に、何度も聞かれているとは思うが、この店に防犯カメラはないんだな?」
「……はい」
「導入したほうがいい。事件はいつどんなときに起きるかわからないからな」
「えっと、それは店長に言ってください」
困惑する店員に、西芝は確かにと頷いた。
「もっともだ。協力感謝します。ありがとう」
「あ、いえ。お疲れ様です」
キチンと頭を下げて礼を言う西芝に面食らった店員が狼狽えている間に、西芝は頭をあげ、タイミングよくやってきた東神と合流する。
「鑑識は?」
「もう終わる。俺らが見てもめぼしい証拠はなさそうだ」
「……もう一度外様D-LANに話を聞きに行くか」
「収穫はなさそうだけどな」
「行ってみなければわからんだろ」
「はいはい」
先に店を出た東神が覆面パトカーの運転席に乗る。西芝は助手席のシートに身体を沈めた。
「行くのは昨日のクラブでいいんだよな?」
「ああ。篠井修平がトイレに入ったとき、クラブで教育を受けていた男が一緒にいたそうだ」
「おい、初耳だぞそれ」
「聞き方が悪かったんだろう。とにかく、奴が何か知ってるかもしれない」
「バイトくんめ。そういうのは最初に言えよなぁ」
「そもそもお前は聴取してないだろう」
「……まあ、そうなんだけどな」
東神はニッと片頬を持ち上げ、エンジンをかけてハンドルを握る。
「着いたら起こしてやるから、寝てていいぞ」
「……ああ。悪いな」
東神の好意に甘え、西芝はシートを倒して仰向けになり、目をつぶった。
考え事をする暇さえない。睡魔に飲みこまれるのは一瞬だった。
ー・-・-・-・-
これは夢だ。
そう気づいたとき、西芝は「ああ、しまったな」とつぶやいていた。
夢の内容はいつも同じだ。
殺された妻子が自宅の床に倒れている。
そのそばに立っているのは西芝ではなく、彼女たちを殺した犯人だ。
声を出すことはない。
無駄だとわかっているし、何よりこの光景を西芝は見ていない。
見たのは遺体袋に入れられた妻と、まだ5歳になったばかりの娘だ。
二人の顔はぼやけている。はっきり見えないというのもある。
しかし、振り向いた男の顔。
犯人の男の顔だけは鮮明に見える。
西芝が手加減なく、躊躇なく拳を叩き込んだ相手。
最近では、妻子よりもこの男の顔をよく思い出すようになっていた。
夢の中でも、妻子は死んだままで。
夢の中で、犯人は生きていた。
西芝を見て、にたりと笑うあの顔。
西芝はたぶん、一生忘れられないだろう。
「……」
目を閉じたまま、西芝は夢から覚める。
車の規則的な振動を全身で浴びながら、小さく息を吐いた。
二日連続でよく眠りすぎた。
眠りすぎると、西芝は夢を見てしまう。
だからできるだけ、眠りたくないと思ってしまうのだ。




