25.刑事 西芝の事件簿「暴力の沼1」
「なんで、なんでお前が……」
シントサカの端。
犯罪者街と貧民街の境目にある路地裏で、男が一人、頭と顔を血まみれにして倒れていた。
もう一人の男も額から血を流し、壁を背にして座り込んでいる。
「なんで……ぎゃっ!」
男がもう一度言ったところで、鉄パイプで頭を殴打された。
男──オロカマフィア「外様D-LAN」の三島は、揺れる視界の中に、倒れている仲間、斉藤を入れた。
これから成り上がるはずだった。
いや、成り上がれなくてもこの犯罪多発都市で仲間たちと好き勝手に楽しくやりたかっただけだ。
それがどうして──。
ぐわんぐわん、と揺れる頭が偶然、目の前に立つ男を見た。
三島には信じられなかった。
男は泣きながら、手を震わせて鉄パイプを振り上げているのだ。
そんなに怖いなら、恐ろしいなら、こんなことするんじゃねぇよ。
そんなことを思っていると、再度、鉄パイプが三島の頭に叩きつけられる。
そこで、三島の意識は途絶えた。
ー・-・-・-
「こっちだ、西芝」
「おう」
早朝。
市民からの通報でシントサカ警察第六分署の刑事、西芝良明警部補が現場入りした。
同僚の東神斉治警部補に呼ばれ、立ち入り禁止の規制線テープをくぐって中に入る。
シントサカの貧民街と犯罪者たちが群れる区域の境目にある歓楽街の路地裏だった。
灰色のコンクリートには、まだ生々しく赤っぽさの残る黒ずんだ血痕があった。
「……被害者は?」
「新興のオロカだな。リスト入りしてる。外様D-LANの三島と斉藤。知ってるか?」
「ああ、当然だ」
「さすが」
西芝は屈んでコンクリートと壁についた血痕を見つめる。
「ずいぶん、派手に痛めつけたな」
「そうなんですよ」
答えたのは第六分署鑑識課課長の三宅下直之だった。
髪の毛を落とさないように帽子を被った眼鏡の初老は、したかどうか微妙な会釈をしてから話を続ける。
「二人とも死んではいないんですがね、頭ベコベコ。まず間違いなく植物状態でしょうな。生きてるのが不思議ですよ」
「見せしめか?」
「いやぁ、どうなんでしょうな。それにしては無分別というか。見せしめならもっとこう、誰が誰に何をしたのかわかりやすくやるでしょう。でもこれは……」
「恨みのほうが筋が通る」
「そう、そのとおり」
西芝が立ち上がる。
186センチの105キロで、鍛え上げられた体格なので立つだけで威圧感があった。
東神も178センチと低い方ではないが、西芝の横に立つとひょろっとして見える。
160センチ台の三宅下などは言わずもがなだ。
「とは言え、だ」
東神が手袋をした両手で腕組して、西芝を見上げる。
「オロカなんて恨みを買ってナンボ。闘争してナンボってところがあるからな」
「そうだな。一応聞いておくが、こいつらもか?」
「当然。窃盗、暴行、傷害。特にトップの串名斡錐がヤバイ。他の奴はあまり大したことないが、こいつだけは老舗の構成員を何人か潰してる」
「殺したのか?」
「いや、殺しまではしてない。だが、まだヤってないというだけだろうな。何かのきっかけがあれば、簡単に殺しをするだろうよ」
「……そうか」
西芝は三宅下に軽く会釈をして、東神とともに規制線を出る。
路地の端に寄ると、スーツの内ポケットからタバコを取り出した。シントサカだけで流通しているタバコ『稲荷』。キツネ色のそれを口に咥えて火を点ける。ゆっくりと深く吸い込み、ため息のように煙を吐いた。
東神が手で顔の前をあおぐが、西芝は気にしない。
「外様D-LANの拠点は割れてるのか?」
「いや、所轄の人間によると定まった場所はないらしいな。まあ、大体の場所はわかってる」
「なら、そこから攻めよう。なぜ襲われたのか、やられた当人たちが知っていたら話が早い」
「はいよ。じゃあちょっと車回してくるから、ここで待っててくれ」
東神が乗ってきた覆面パトカーへと向かった。
西芝は徒歩でやってきたので、車があるのは助かると思った。
まあ、刑事としては結局歩いて情報を集めることになるので、主に移動用拠点兼簡易休憩所として使うことになるだろうが。
「……ん?」
携帯灰皿にタバコを揉み消すと、視界に何かが入った。
一人の青年だった。
頬や目、口元にいくつか青あざを作っていて、その上現場のほうを見て血の気を失った顔をしている。
「おい、君」
長年の刑事としての勘か、西芝はその挙動不審な青年に声をかけた。
何かを知っていると、直感が告げていた。
「あ……」
青年が走って逃げる。
「おい! 待て!」
西芝はすぐに追いかけた。
しかし青年は荷物を抱えているのにすばしっこい。
この一帯のことも頭に入っているのか、路地を曲がるとあっという間に見えなくなった。
「どうした、西芝」
胡乱な目をした人々の中に紛れた青年を探していると、後ろから東神に声をかけられる。
車を横づけし、身を乗り出して西芝と同じく路地の奥を見た。
「なんかあったのか?」
「いや、大したことじゃない。行こう」
「ふーん」
西芝が助手席側に身体をねじ込むと、車はすぐに発進した。
「奴らがたむろしてる梁淡通りのクラブにまずは聞き込みにいく」
「わかった。任せる」
答えて、西芝はシートに身体をグッと沈めた。
「また寝てないのか」
「刑事がぐっすり眠れる仕事じゃないことはわかってるだろう」
「お前のは度を越してるんだよ。いくつ事件抱えるつもりだ。日本警察とは違って、一人の刑事に任される裁量が多いとはいえ……」
「事件が起きるのが悪い」
「はは、そりゃそうだ。寝てろよ。ついたら起こしてやる」
「……ああ、頼む」
目をつむると、三十秒もせずに睡魔がやってきた。
刑事たるもの、風呂、トイレ、飯、睡眠は素早くこなせ。
そう言った先輩刑事は誰だったか。
頭の片隅に浮かんだ疑問は、暗闇に絡めとられ、意識の底に沈んでいった。
ー・-・-・-
「くそがっ!!」
手近にあったゴミ箱を蹴り飛ばして、オロカマフィア『外様D-LAN』のリーダー、串名斡錐が吼えた。
たむろする場所に使っているクラブ『アディンサ』はまだ営業時間外で、客も店員もいない。
串名はここの店長を暴力を使って脅し、営業を邪魔しない約束で好きに使っている。
もちろん営業は邪魔しないが、店の酒などはタダで飲み食いしていた。
「なんで三島と斉藤がヤられんだ! 植物状態で話も聞けねぇってのはどういうことだ!」
串名が蹴り飛ばしたスツールが、大げさな音を立てて床を転がっていく。
「串名さん、落ち着いてください」
「落ち着けだぁ? 誰に言ってんだ倉田ぁ!」
「ぐっ、う……」
金髪を掴まれ引っ張られ、ナンバー2であるはずの倉田は何も言えなくなる。
こうなったときの串名には好きにさせておくしかない。
倉田以下のメンバーはそう考えて黙りこくる。
「クソがよぉ、また人数揃えないといけねぇだろうが」
倉田から手を離した串名が乱暴にソファに座る。
テーブルに置いてあった酒瓶を掴んで、一口呷った。
「誰がやったかわかんねぇのか?」
串名の言葉に倉田以下、十名のメンバーたちは顔を見合わせたあと、首を横に振った。
それがまた串名を苛立たせ、酒瓶が飛ぶ。
酒瓶はカウンターに当たって砕け、中の酒がスツールと床を濡らした。
「ちっ、使えねぇな」
串名が悪態を吐いた直後、クラブのドアが恐る恐るといった様子で開いた。
全員の目が入り口に向く。
そこに立っていたのは、気弱そうな青年だった。
青あざの多い顔を汗だくにして、荒く息を吐いている。
「未知野、てめぇどこ行ってやがった?」
「あ、あの……串名さんの言いつけ通り、三島さんと斉藤さんの襲われた場所に」
「なんかわかったか?」
「いえ、あの、警察がもういたんで、何も……」
串名が立ち上がり、未知野と呼んだ青年のもとへ向かう。
「警察がいるのは当たり前だろ! それを潜り抜けて情報取ってこいって言ったよなぁ?」
「いや、でも」
「いやもでももねぇんだよバカが!」
串名の長い脚から繰り出されるローキックが未知野の左太ももを叩いた。
「うっ!?」
未知野は痛みに顔をしかめ、膝をつく。
串名は未知野の黒髪を掴んで、今度は頬を思い切り殴りつけた。
「がっ!?」
鈍い音がして未知野が床に倒れる。
「すいま、せん……すいません、すいま……げっ!」
さらに串名がつま先で未知野の腹を蹴り飛ばした。
「お前はガキんときからずっとそうだな。役立たずが。おい、教育だ教育。やれ」
「は、はいっ!」
「勘弁してください、すいません、串名さ……」
串名は未知野を振り返りもせずにソファに戻ってドカッと座る。
代わりに倉田たち構成員が未知野を取り囲み、亀みたいに丸まった背中を何度も蹴った。
「すいません、許してください、すいません、すいません……」
痛みに呻く未知野の声など聞こえていないみたいに、串名は新たな酒瓶を取って口をつける。
「ちっ、誰だ。俺の駒に手ぇ出したのは。見つけてぶっ殺す。誰が相手でもぶっ殺す」
ブツブツと串名が呟き、もう一口酒を呷ったときだった。
「はい、そこまで。暴行、傷害で全員しょっぴくぞお前ら」
「あぁ?」
入り口が再び開き、スーツ姿の優男が入ってきた。
全員の動きが止まる。
一瞬先に我に返った倉田が「誰だ」と凄もうとして、優男の後ろから入ってきたもう一人の強面の大男に言葉を飲みこむ。
大男はぐるりと辺りを見回したあと、スーツジャケットの内側に手を入れて手のひら大の手帳を取り出して開く。
「警察だ。聞きたいことがあったんだが、傷害・暴行で現行犯逮捕のほうが先か?」
「ただの教育だよ、お巡りさん」
串名が再び立ち上がり、酒瓶を持ったまま刑事──西芝と東神の前に立った。
手帳をしまった西芝と東神は、剣呑な雰囲気を出す串名にまったく怯む様子もない。
「お前が串名斡錐か?」
「驚いたな。俺みたいな新興のことも知ってるんだな」
西芝に聞かれ、串名は皮肉げに笑みを作った。
「ここの人間が襲撃されたのはもう知ってるよな?」と、東神。
「当然だろ。どんな間抜けだと思ってんだ」
「襲撃犯に心当たりは?」
「ありすぎてわからねぇよ。そもそも知ってたらもう報復してる」
「だろうな。直近で争った組織は? 老舗、オロカ、どこでも」
「言うわけねぇだろ。勝手に調べろ。というか、俺たちみたいな人間が襲撃されても、お巡りさんって動くんだな」
串名の言葉に、西芝が応える。
「関係ない。事件があれば解決するのが警察だ」
「ははは、隠蔽、工作なんでもござれのくせによくもまぁ……」
「そいつはお前の部下か?」
「あ?」
西芝の視線の先には、へたりこんでいる未知野の姿があった。
「部下? そんな上等なもんじゃない。こいつは奴隷だよ。ガキのころからな」
「そうか……」
「なんだよ」
「今見たのは教育だと納得してやる。だが次、同じ現場を見たら即刻逮捕する。いいな」
「……ちっ。えらそうに。クソ国家権力が。おい、こんなヤツのことより犯人さっさと割り出せよお巡りさん。そんで情報寄越せ。お前らの労働の手間、俺らが代わりにやってやるからよ」
「……ふん」
西芝は鼻を鳴らし、鋭い目つきでもう一度串名を含め周囲を見渡すと、くるりと踵を返した。
「邪魔したな。お前らこそ、情報掴んだらクソ国家権力にちゃんと提供しろよ」
「……」
去っていく東神を無言で見つめたあと、串名は床に唾を吐き捨てた。
「あの、串名さん……」と、倉田。
「なんだ?」
「教育は……?」
「もういい。おい、未知野! そんなとこでへばってないで、酒とつまみ用意しろ!」
「は、はい……」
よろよろと立ち上がる未知野の後頭部を平手で叩き、串名は三度ソファに座った。
「倉田、竹下」
「はい」
「は、はい」
呼ばれた二人が串名の手前に出てくる。
「二班に分けて最近俺らとやったところ当たれ。怪しい奴がいたらボコって情報聞きだせ。情報屋も使え」
串名は酒を呷り、テーブルに足を載せた。
「俺らナメたこと後悔させてやる。行け」
「はい!」
倉田と竹下が四人ずつの班を作ってクラブを出ていく。
残りの二人、王と趙は護衛として残る。
串名の視線は鋭く前を見据えたままだった。
頭の中では、捕らえた襲撃犯をどう拷問してやるか。
そればかりが渦巻いていた。




