24.そいつは自分を医者だと名乗っている
寂れた倉庫街にある、簡素なプレハブ素材の倉庫が一つあった。
単身者が住むとしたら十分な広さのその中は、透明のビニールで覆われていた。
中心には簡易的な手術台と、上で横たわる血まみれの男。
男は腹と腕を刃物で刺され、ここへ運ばれてきた。
「はい、これで大丈夫でしょ」
「ありがとうございます、先生」
手術台の横に立っていた男がゴム手袋を外してゴミ箱に捨てて、術着を脱ぐ。
透明なビニールの外側にいた男が頭を下げ、帯一本分の札束を先生と呼ばれた男に渡した。
「はい、どうもね」
男はそれを受け取り、外へ出る。
待機していた護衛の一人が停車していた高級車のドアを開けた。
当然の顔をして、もう一人の護衛と男は乗り込んだ。
「ん~、ゴンザレスちゃんただいま~!」
「わふっ!」
男──キリル・アシモフは愛犬のミニチュア・シュナウザーにただいまの頬ずりをした。
愛犬、ゴンザレスも嬉しそうにキリルの顔を舐める。
「出してくれ」
「はい」
護衛が車を発進させる。
キリルは受け取った金を無造作にシートに放り投げ、自身もだらりと力を抜いてシートに深くもたれた。
スタッドの付いた黒の革ジャン。気合の入った金色のモヒカン。目には濃い隈取りのメイク。唇と耳たぶのピアスを細いチェーンで繋いだ男。
キリル・アシモフを初見で医者だとわかる人間はいないだろう。
実際、彼に医者としての資質はほぼない。
頭が悪く、喧嘩も弱いし、度胸もない。
だが一つだけ美点があるとすれば、キリルは金持ちの家に生まれた。
そして色々なコネと金を使った結果、医師の免許を持っている。正規のモノだ。
キリルが医者として動くことに向いていることがあるとすれば、人を切ったり縫ったり、注射をぶち込むことが好きということだ。
ある意味では向いている。ある意味では。もちろん皮肉だ。
もちろん彼に医者としての専門的な知識は身についておらず、処方箋や器具の説明などを見ても意味が分からない。
当然、こんな人物が正規の免許を持っていても、正規の病院で働けるはずもない。
そればかりはコネでもどうにもならなかった。
誰だって自分の病院をマッドな実験施設にはしたくない。
代わりに、キリルは自分の腕が必要とされる場所を見つけていた。
彼が医者として一定以上の地位にいることができる場所。
それは犯罪多発都市『シントサカ』だ。
シントサカでは腕は低くてもいいから、とにかく最低限の処置が出来る人間が求められる。
“本物”の医者がいる場所にはいけない後ろ暗い人間たちが呼ぶ、応急処置要員。
それが闇医者キリル・アシモフのシントサカでの立場だった。
しかし何が功を奏するかわからないもので、キリルはこれでも闇医者の中では実力派となっていた。
なにせ現場経験が地元よりも段違いなのだ。
あの治安がすこぶる悪いと言われた地元よりも。
どんな下手でも二流にまで成れる。
シントサカにおけるキリルは、若くして経験豊富なお医者様だった。
そんな彼が相手にするのは様々な“事情”で医者にかかれない者たち。
その中でも金を持っている裏社会の人間たちだ。
金のない貧乏人を相手にする闇医者とは一線を引いている。
今日相手にしたのも、そんな金を持つマフィアの一人だった。
抗争中の事故だったらしい。
キリルは金が貰えて、切ったり縫ったりできるなら事情はどうでもいい。
弾丸を抜いたり、注射器をぶち込める機会があるとなおいい。
ちなみにキリルの顧客には金払いの良い人間しかいない。
治療費を出し渋ったり、脅して払わずに済まそうとするヤツは護衛に殺される。
護衛たちは全部で5人。
キリルにとても甘い父と母が厳選してつけた護衛なので、キリルのことをしっかりと守ってくれる。専門の訓練を積んでいるので、よっぽどの実力者じゃないかぎり彼らを退けることはできない。
「ここでいい」
「わかりました」
護衛が車を止め、残りの護衛たちに囲まれながらキリルが車を降りる。
シントサカでは比較的治安の良い北西地区だった。
ここにある公園で、キリルは愛犬ゴンザレスの散歩をする。
看板を掲げていない診療所自体はヒガシにあるのだが、散歩はここだ。
愛犬を間違っても薬中のバカや道交法丸無視のオロカに傷つけられるわけにはいかないからだ。
「…………」
公園に入ってしばらく歩いた先にある噴水前のベンチの右端に、キリルは座った。
護衛がその後ろと前、横につく。
ベンチの左端には一人の男が座って新聞を読んでいた。
角刈りに鋭い目。鍛え上げられた肉体を黒いスーツに包んでいる。
キリルは無造作にベンチの中央に、先ほど報酬としていただいた帯付きを置いた。
男の視線が一瞬だけそれを見て、それから新聞紙を畳んで帯付きの上にかぶせる。
角刈りが人が来た居心地の悪さから立ち上がった。
そう見えるように動いた。
新聞紙と共に帯付きがなくなっていた。
代わりに手のひら大のパッケージに入った“覚せい剤”が置かれていた。
キリルはそれを何気ない風の仕草で取ると、革ジャンの内ポケットにしまい込む。
「さあ、行こうかゴンザレスちゃん」
「わふ!」
立ち上がり、散歩道を戻って高級車に再び乗り込む。
シートに深く沈んで、覚せい剤を炙って溶かし、注射器で体内に取り込んだ。
腕は注射痕でどす黒く変色している。
「……はぁあ~」
キリルの顔に喜色が浮かぶ。
やはり、シントサカを根城にするジャパニーズマフィアの卸す覚せい剤は上質だ。
地元では舐められているキリルが渡される粗悪品ではない。
ここでは金を払う人間にはちゃんとしたものが渡される。値段交渉をしなくても、だ。
「…………」
上質の味を堪能しながら、キリルは深く息を吐いた。
キリルはこの都市も、上質なヤクも気に入っているが、ジャパニーズマフィアが嫌いだ。
もっと言えばヤクザ映画が嫌いだ。あの中で描かれる仁義だのなんだのが面倒くさい。
不利益を出す人間なんてさっさと殺してしまうか、視界から消してしまえばいいのだ。
このシントサカのヤクザは古い体質の人間が多いと聞いてうんざりした。
実際、キリルが相手してきた老舗のヤクザの人間はそういった気質を持ったものばかりだった。
だからヤクザからの依頼は手早く済ませてさっさとお帰り願うことにしている。深入りして仁義だ恩義だのに巻き込まれて、面倒で大変なだけの要求をロハな金額でされたらたまらない。
だが、それでもキリルはこの上質なヤクのために完全に手を切ることができない。
だから、だから一組織につき、一回だけ。
この上質なヤクを提供してくれるなら、面倒な要求を頼まれたらそのときだけは、願い事を聞いてやってもいいと思っている。
「あー……澄み渡る……」
モヒカンが十メートルぐらい上に伸びた感覚があった。
今なら十人同時に切った縫ったをしても完璧にこなす自信がある。
傷口にぶっかける生理食塩水は何リットル必要だろうか。
まあ何リットルでもいい。
足りなくなったら水道水に塩入れてぶっかけてやればいい。
「…………なんだ、誰も来ないじゃねぇか」
しかしそんなハイな日に限ってヒガシの診療所には急患は来ない。
なのでキリルはパンクな音楽を聴いて、護衛たちと一晩中踊り狂うのだった。
あんたは怪我してないか? 小さな切り傷でもいいんだ。
俺が広げて縫ってやる。ヒャハハー!




