23.地獄鮫
派手な金髪をオールバックにした男がいた。
亡者たちの海から身をくねらせ、何人もの人間を屠った鮫が背面に刺しゅうされたスカジャンを羽織っている。
背が高く、筋骨隆々とした肉体。
十代の頃は甘いマスクとして女性を賑わせた顔も、今は度重なる暴力沙汰で傷だらけだ。
仕事はクラブの用心棒。
そんな男が、シントサカでは比較的治安の良い地区の安いアパートの一室で、茶を啜っている。
フローリングの床に一畳だけ畳を敷いて、その上に正座していた。
使っている茶器は知る人ぞ知る名品。
贅沢に、しかし惜しみなく使う。
部屋には茶器専用の防弾ガラスケースがあった。
もちろんナンバーロック式の錠前も付いている。
玄関には高級な花器と見事に活けられた花。
防弾ガラスケースとは反対側の壁には、達筆な字で『日々、精進』と書かれている。
花も書も、すべてはこの男自身の手によるものだった。
「……あぁ」
茶を飲み干し、丁寧な仕草で畳に置き、誰にともなく両手をつけて頭を下げる。
「けっこうな、お手前でした」
流ちょうな言葉を放ち、男は満足げに顔を上げる。
彫の深い顔が、自身の好みだけで集められた生活空間を眺める。
「では、仕事に行ってきます」
正座から立ち上がり、男は茶器を布で拭って洗い、専用の籠に置いた。
それとは別の籠には、朝食に使った食器が置かれている。
ご飯と豆腐の味噌汁、納豆と焼き鮭というメニューだった。
男は鍵を取り、家を出る。
万が一にも空き巣被害に遭わないよう、三重にロックをかけた。
「こんにちは、管理人さん」
「おお、あんたか。仕事かい?」
二階から降りて、掃除をしていた初老の男性に挨拶する。
男性はこのアパートの管理人で、欧米からシントサカに来た男のことを気にかけてくれている。良い人だ。
「ええ、これから頑張って働いてきます」
「ああ、無理しないようにな」
「ありがとうございます」
男は自転車に乗り、アパートの敷地を出る。
「いってきます」
「あい、いってらっしゃい」
管理人に見送られ、自転車をこぎ出したこの男の名は──。
『地獄鮫』といった。
地獄鮫は自転車で通勤している。
用心棒をやっていくクラブは、ヒガシのほうにある。
車やバイクに興味がないといえば嘘になるが、それよりも茶器を購入するほうが大事だ。
和の文化に触れ、惚れこみ、そしてなぜか地獄鮫はシントサカにやってきた。
チョイスとしては限りなくミスに近い気もするが、本人が楽しんでいるのでいいのだろう。
職場であるクラブに到着し、ブラックスーツに着替える。
鍛え上げられた地獄鮫の身体には、よく似合う。
オーナーやパフォーマー、DJなどのスタッフと挨拶を交わしたあと、地獄鮫はフロアに立つ。
中央にパフォーマーたちの踊るスペースがあり、その周りにテーブルやイスを用意してあるタイプのクラブだ。
地獄鮫の仕事は酔っ払ってよろしくないことをする客を叩きだすこと。
もちろん最初は穏便に“お願い”するが、度を越したと判断されればすぐに店の外へつまみ出す。
地獄鮫はあまり勉強ができるほうではなかったが、腕っぷしは昔から強かった。
そして大好きな文化に触れるため、単身ここへやってきたのだ。
そのときに変えてから、この名前だ。
元の名前で呼ばれても、自分のことだとはすぐには気づけないだろう。
ところで、地獄鮫は用心棒としての腕は一流だ。
大抵の相手は地獄鮫に敵わない。
地獄鮫でも苦戦するような玄人は、そもそもだらしない遊び方をしない。
しかしそんな地獄鮫も、弱点はあった。
簡単に言ってしまえば“バカ”である。
以前、パフォーマーの胸に触ろうとした客を注意したことがある。
その際、自分は女のおっぱいを揉まないと死ぬ病気なんだ。このままだと悪化してしまう。頼むよ兄さん、あんたからもみんなを説得して、俺に女のおっぱいを揉ませてくれ。
などということを迫真の演技で言われた。
……少なくとも、地獄鮫にとっては迫真だった。
そこで一緒になっておっぱいを揉もうと、パフォーマーを説得しようとして、オーナーにぶっ飛ばされた。
後に嘘だとわかったのでそいつは念入りに(八つ当たり込みで)ぶっ飛ばしておいたが、地獄鮫はそういうちょっと考えればわかるだろうという案件に弱い。
親の死に目がどうとか、病気でもうすぐ死ぬとか言われたもうダメだ。
願いを叶えてあげたくなってしまう。
そもそも親の死に目や深刻な病気なのにクラブに来るヤツがいるかと言われハッとしたが、いや、それでも万が一……などと考えると、協力してあげたほうがいいのでは?という意識が勝ってしまう。
とはいえ、基本的に嘘をついたヤツの末路としては地獄鮫が地獄の果てまで追って噛み砕く(比喩)予定だし、実践したことも何度もあるので、周りから見れば騙されようのないアホな泣き落としは減った。
それでもごく稀に、パフォーマーや遊びに来ていた女の子をナンパして無理やり連れていこうとするスケベ野郎がいる。
そういうヤツは助かる、と地獄鮫は思っている。
もちろん遠慮なくぶっ飛ばせるからだ。
だから、頼むから泣き落としはやめてほしい。手を出しづらくなるし、後に倍返しじゃすまない噛み砕きは待っているから。
それでもスケベはやってしまうのだから、スケベたちの業は深い。
店が始まって4時間ほどで、地獄鮫は休憩に入る。
パフォーマーたちと兼用の休憩室にはすでに賄いの中華料理が届いていた。
今日は春巻きとラーメン、それからチャーハンのセットだった。
「いただきます」
地獄鮫は慣れた様子で両手を合わせ、それからレンゲでチャーハンを掬って口に運ぶ。
少しだけしょっぱく感じる、パラパラとした米と卵、肉やかまぼこなどが口いっぱいに広がって喉を通っていく。
「うん、今日も美味い」
和の文化だけではなく和食も好きだったのだが、それよりも中華料理が上を行ってしまった。
そしてこの中華料理も華僑から見れば全然違う代物らしい。
地獄鮫は一度本格的な中華料理を食べてみたことがあるが、そちらのほうはなぜか苦手だった。
日本人、というかシントサカ市民向けに改造された中華料理が好きなのだ。
なんでも自分たち流に改造する日本スタイルに圧倒されつつ、最終的には美味いから何でもいい。となりながら地獄鮫は賄いをかき込んでいく。
「ごちそうさまでした」
最後にラーメンスープを飲み干し、両手を合わせる。
そして食べ終わるとほぼ同時だった。
「鮫ちゃん! いる?!」
血相を変えて入ってきたのは、パフォーマーの一人だった。
黄金のビキニみたいな恰好で、黄金のハイヒールを履いているものだから、豊かな乳房がプルプル揺れている。
「どうしました?」
「やばい客が暴れてるの! 女の子たちの腕掴んで、接客させようとしてきて」
「OK! 地獄鮫に任せて!」
飯をたっぷり食ったあとだったので、地獄鮫は元気に飛び出していく。
「なあ、いいだろ。そんなプリプリとよぉ、いやらしく尻振ってるんだからそういうサービスも込みにしろよ」
「やめてください」
「なあ、お高く留まってないでよぉ」
「お客様」
「あん?」
パフォーマーに絡んでいた男が地獄鮫を睨む。
パフォーマーはホッとしたように用心棒を見て、男の腕を振り払った。
目当てのパフォーマーに振られた男はその怒りを、よりにもよって地獄鮫にぶつけようとした。
「なんだよお前。お前のせいであの子が逃げただろうが」
「お客様。一回目です。ここはそういったお店じゃありません。楽しく飲みましょう」
「なぁにが楽しくだぁ? お前のせいで楽しくなくなってんだろ! こらぁ!」
酔って気が大きくなった男が地獄鮫に詰め寄ろうとして、そのまま首を片手で締められた。
「ぎゅっ!?」
のど輪と呼ばれる掴み方で、男はそのまま持ち上げられて入り口まで連れて行かれる。
「パフォーマーへの違反行為、そしてスタッフへの威嚇と侮辱」
他のスタッフによってクラブのドアが開けられる。
「テメェはもううちの客のじゃねぇんだよ」
「ぎゃんっ!?」
投げ捨てられた男は地面を幾度かバウンドして倒れた。
しかしそれでも、地獄鮫を気丈にも睨む。
「この野郎……絶対許さないからな! 俺はなぁ、どんな手使ってもこの店潰してやるからな!」
「……はぁ」
言うだけ言って逃げようとする男を地獄鮫が全力で追いかける。
「ぎゃああ! なんで、なんで追いかけてくるんだよ!」
地獄鮫は鮫なのに陸でも速かった。
めちゃくちゃな速さで、男はあっという間に捕まって組み伏せられる。
「俺は鮫なんだ。店に危害を加えようとする人間を逃がすわけねぇだろうが」
「じょ、冗談です! 嘘です! そんなこと、俺にはできません!」
「本当かどうかわからない。俺には判断できない。だから、噛み砕かさせてもらう」
「か、噛み砕くってなにを……あ、あば、あばあばば!! ぎゃあああああああああああ!」
──拝啓、故郷のパパ&ママへ。
地獄鮫は異郷の地で、今日も楽しく暮らしています。
追伸。
今月は二人、噛み砕きました。
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それではまたお会いしましょう。




