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20.血と薔薇と神様教の教祖

「それではみなさん、今日も良く生きることを」


 背の高い、ヒスパニック系の男が言った。

 肩幅と襟幅のブラックスーツを着こなし、左腕には辞書ほどの経典を抱えている。


「良く生きることを」


 男の言葉を、礼拝堂に集まった50名の老若男女が繰り返した。

 柔らかな陽光が入る、クリーム色の礼拝堂。

 彼らが崇める神は既存のモノではない。

 『血と薔薇と神様』教。

 ここはその新興宗教の施設だった。


 男──教祖のエミリアノ・ディアスが礼拝堂の中心を歩いて出ていくと、信者たちは手にした薔薇の棘に親指を押し付け、膨らみ出た血を薔薇の花に吸わせた。

 エミリアノ・ディアスはその光景を眺めながら、礼拝堂を出る。


 シントサカの比較的治安が悪いほう、ヒガシの一角に血と薔薇と神様教の施設はあった。

 礼拝堂を出るとすぐに両脇を護衛が挟む形となり、運転手付きの高級車に乗り込む。

 広い後部座席に深く沈みこんだエミリアノは、足を組み、抱えていた経典を太ももの上に置く。

 重い。

 中は鉄板が幾重にも重なっている。

 稼いでいる新興宗教の教祖はよく狙われるので、自分の身を守るための道具だ。

 そもそもエミリアノは言葉を話すことはできるが、読み書きができない。

 それでもそのカリスマ性で、ここまでのし上がってきた。


 血と薔薇と神様教は新興宗教だが、信者には大量のお布施をする者たちが多くいる。

 血と薔薇と神様教の教義としては、血の通う動物と植物、そして我々の神を愛せ。それ以外は自由。というものだ。

 既存の信仰などに疲れた人間は多い。

 だからこのシントサカにいる間だけ、こっそりと改宗する人間も多い。

 エミリアノにはあまりわからないが、シントサカの食事は美味しいから、信仰上の理由で食べられないのはもったいない。という話のようだ。


「止めてくれ」


 エミリアノが言って、停車させる。

 黒塗りの高級車は違法建築のアパートなどが立ち並ぶ区画に入っていた。

 高級車のそばではボロい服を着た子どもたちが立ち止まって車を見ている。


「行こう」

「はい」


 エミリアノが護衛と共に外に出る。

 男性二人の護衛が先に出てドアを開けて待つ。

 二人とも身長は180を超え、筋肉で体重は100キロ近くある。

 あとから出てきたエミリアノはその二人よりも高い2mだった。

 高級車から現れた巨人に、子どもたちがポカンと口を開けて見上げる。

 そしてすぐに、破顔した。


「エミリアノ!」


 子どもたちが駆けよっていく。

 エミリアノは汚れた路地に片膝をつき、子どもたちを抱き寄せる。


「やあ、お待たせ子どもたち」


 しばらくそうして抱擁を交わしたあと、ブラックスーツの懐から紙幣を取り出す。

 紙幣一枚としては最高額の一万円だ。

 それを子どもたち──親のいないストリートキッズたちの小さな手に握らせる。


「さあ、これで美味しいものでも食べておいで」

「うん!」

「ありがとうエミリアノ!」


 子どもたちが口々に礼を言う。

 全部で20人以上はいた。

 彼らに対して、エミリアノは微笑みを向ける。


「いいんだ。君たちに我らが神の加護がありますように」


 金を受け取った子どもたちが嬉しそうに散っていく。

 それを見送りながら、エミリアノと護衛は路地裏に入って、子どもたちが向かう食堂の裏手に向かった。

 そこには二人の男がいた。

 身なりの汚い、酒瓶を手にした男たちだ。


「……私は言いましたよ。子どもたちを狙うのはやめなさいと」

「ひっ!?」


 二人が振り向き、エミリアノを見上げる。

 顔は垢にまみれ、歯は抜け、髭を剃ることさえできない男たち。


「う、う、うるせぇっ! いいじゃねぇか! ガキどもが持つには大層な金だ! お、俺たちが有効利用してやるんだ!」

「お、おい!」


 一人は逃げようとしていたが、もう一人が懐からボロボロのナイフを取り出す。どこかで拾ってきたのだろう。錆びついて、ほとんど何も切れそうにはない。

 けれどもそれで万が一でも刺されたり切られたりしたら、破傷風などの危険性もある。

 この男たちを子どもたちに近づけるわけにはいかない。


「やれやれ。救いが欲しいのならそう言ってほしいものです」

「救いなんざっ……! もういい! お前の金をよこせ!」


 自棄になった男がナイフを構えて突進してくる。

 しかしエミリアノは冷静に、経典の表紙部分で男の顔を引っ叩いた。


「ぶへっ!?」


 なかなかに鈍い音を立てて吹っ飛ばされた男は、壁に頭を打ち付けて気絶した。

 もう一人の男は迷っていたが、結局男のそばに両膝をついてエミリアノたちに土下座する。


「ゆ、許してください! 腹、腹が減ってて、でも、仕事もなくて、その……いや、悪いことだってのは分かってるんですけど、あの、あの……」


 エミリアノは、必死に許しを乞う男の前に片膝をついた。


「顔をあげなさい」

「……は、はい」


 男が震えながら顔をあげる。

 自分も経典で引っ叩かれると思っているのだろう。

 しかしエミリアノがしたことは抱擁だった。

 子どもたちにしたのと同じように、饐えた臭いのする男を強く抱擁した。


「な、なっ……?!」

「よく頑張って生きてきましたね。私のほうで仕事と家を用意しましょう。お金が入るまで食べ物も」

「え? え? な、なんでそこまで……」


 困惑する男に、エミリアノは嘘くさいまでの微笑みを向ける。


「我らが神は血の通う動物と植物を愛するのです。困っているあなた方を見捨てることはできません。もちろん、我々のために働いてもらうことにもなりますが」


 さあ、と言ってエミリアノが手を差し伸べる。

 困惑しながらも、男はその手を取った。

 大きな、万力を思わせる手だった。


「彼とともにあの車に乗りなさい。住まいには運転手が連れていってくれます」

「え? あ、あの、あんた……いや、あなた様はどうするんですか?」

「我々はこの先に少し用事があるので。歩いていきますよ」

「そ、そんな……あ……」


 男の話を最後まで聞かず、エミリアノは運転手に軽く片手をあげて合図を送る。

 運転手はそれだけで事態を察し、運転席から出て来て後部座席のドアを開けた。

 それから男とともに、気絶した男を運び始める。


「我々も行こうか」


 エミリアノが言うと、護衛たちは頷き歩き出す。

 単なる施しのためではない。

 実際、エミリアノの目的の場所がこの近くにあるのだった。


「やあ、待たせたね」

「どうも」


 シントサカ、ヒガシにいくつかある屋台街、フードコートの一つに、その男はいた。

 ボサボサの髪に銀縁の眼鏡をかけた細身の男。

 麻のシャツにスラックス、スポーツシューズとこの辺ではありきたりな恰好だ。

 探偵、日坂。

 シントサカでは、そこそこ名の知れた存在だ。


「先にいただいてますよ」

「ええ、お構いなく」


 日坂はチャーハンを食べていた。

 横にはジンジャーエールの瓶がある。


 エミリアノはプラスチックの椅子を引いて腰かけ、その後ろに護衛二人が立った。


「何か食べます?」

「いえ、結構。私が中華料理を好まないのは知っているでしょう」

「美味しいのに」

「ふっ……」


 エミリアノは中華料理が苦手だ。

 そしてこのフードコートのほとんどが中華料理屋だった。

 嫌がらせなのかと思ったが、日坂はそんな人物ではない。

 ただ単に自分が食べたいか、一番近い場所を指定しただけだろう。


「それで? 依頼の品は」

「ああそうです、そうです」


 日坂は言いつつ、横の椅子に置いていたリュックから物を取り出す。


「これですよね」


 テーブルに出されたのは縦長で細い缶だった。

 茶葉缶だ。


「失礼」


 エミリアノは缶を取ると、蓋を開けて中にぎっしり詰まった茶葉を見、それから匂いを嗅いだ。

 芳醇でいて、甘く薄い香りが鼻腔をくすぐった。

 エミリアノは、感嘆の吐息を漏らした。


「ああ、これです。この茶葉。この匂い。1892年イングランド製アールグレイ『ボサ・ルヴァ』」


 エミリアノは名残惜しそうに蓋を閉め、缶を大事に抱えた。

 代わりに懐から分厚い封筒を取り出し、テーブルに乗せた。


「報酬はこれで。本当に助かりました。このシントサカでも手に入らなくて困っていたんです」

「それは良かった」


 日坂は封筒を取り、中身を確認してニンマリと笑みを浮かべる。

 それからエミリアノを見た。


「それなりに苦労はしましたけど、僕でもそんなに難しい依頼ではなかった。探索屋を使えばもっと早かったのでは?」


 探索屋という単語が出たとき、エミリアノはかすかに眉をひそめた。


「あの人たちは悪党相手じゃなくても、目的のモノを手に入れるために暴力を使うでしょう。苦手なんですよ。力とは、悪を排除するためにあるべきだというのに」

「……ふーん」


 納得したのかしてないのか、日坂が曖昧な返事をする。

 しかし別に議論をするわけではないので、相手の納得は必要ない。


「それでは、私はこれで。また必要があれば頼らせてもらいます」

「ええ、ごひいきに」


 エミリアノは口だけで笑みを作り、立ち上がる。


「行きましょう」


 日坂に目礼だけして、踵を返す。

 そして護衛を引き連れ、フードコートを出た。


「トヨサカ社長たちとのランチは何時の予定でしたか」

「1時間後です」

「ありがとう。なら、歩いて向かっても間に合いそうですね」


 エミリアノは言って、タクシーを捕まえることもなく、ヒガシから北区へ向かう。

 高額のお布施を出す人間たちとのランチが待っている。

 その際に出すお茶は、自分の好みであることが望ましい。


「みなさんも気に入ってくれると良いですが」


 そう呟きながら、我慢できずにもう一度だけ蓋を開け、茶葉の美しい香りを堪能するのだった。

さあ、あなたもともに祈りましょう。

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では、また次回。

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