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14.屋台「ヤムヤムミー」にて

 犯罪多発都市『シントサカ』にある中華料理屋『トカンチャ・ロウ』。

 その隣にあるビルの二階に、景虎は住んでいる。

 広さとしては3LDKが収まりそうだが、壁などは設置せず、広い1Kにしていた。

 リノリウムが敷かれた床にはダンベルが転がっている。

 そこそこ質の良いパイプベッドはスプリングが効いていて、年中温暖気候であるシントサカは毛布も薄手で充分だ。

 テレビはなく、ラジオと音楽を聴く機器が一台ずつ。

 そんなに服があるわけではないが、一応帆布で覆ったクローゼットが一つ。中は色とりどりのアロハシャツが入っている。

 風呂とトイレは別だが、もともとは事業者用のビルだったので、突貫で作られたシャワーの出は悪い。浴槽もあるにはあるが、あまり使っていない。トイレはちゃんと使える。

 相場よりもだいぶ安いのでそこに関して文句は言わない。

 部屋の中央には四人掛けのテーブルと椅子があるものの、椅子はほとんど埃を被っている。前の住民が置いていったものをそのまま使っているだけで、人を呼ばない景虎にはあまり必要がないものだ。

 けれども捨てるのも億劫なので、そのままになってしまっている。


「ふっ……ふっ……」


 景虎はむき出しになった鉄骨を掴んで、懸垂をしていた。

 上半身は裸で、鍛えられた鋼のような肉体が汗で濡れている。

 身体を持ち上げるたび、キッチンの換気扇からつながるダクトが視界を遮り、シーリングファンの音が近くなる。

 通りに面した窓から入ってくる風も申し訳程度で、部屋の中の熱気を微妙にかき混ぜるだけだった。


「はぁっ……」


 鉄骨から降りた景虎は、ベタっと裸足でリノリウムを踏む。

 上は裸で下は着古したジーンズのまま、キッチンに向かう。

 シンクに引っ掛けてあったタオルを取って汗を拭い、独身者用の小さな冷蔵庫を開ける。


「……」


 中に入っているのは飲み物だけだった。

 炭酸水とオレンジジュース、ミネラルウォーター。水以外は瓶入り。

 買い置きはない。

 起きてからは、出しっぱなしだったミネラルウォーターとナッツ、ドライフルーツを口に入れてそのまま日課のトレーニングを始めたから気づかなかった。


 トカンチャ・ロウに行くか、屋台に行くか。

 どちらか迷ったが、景虎は屋台に行くことにした。

 誘拐犯を捕らえたあとの、休みの日だった。

 トカンチャ・ロウに行って、万が一新しい仕事が舞い込んできても困る。

 景虎は常日頃から暴力に身を置いている人間なので、休息できる日を大事にしている。


「ヤムチキとチキンライス、あとロティチャナイを一つ」

「あいさー」


 シントサカの屋台街にある路面店「ヤムヤムミー」にやってきた景虎は、店の前に設置されたテーブルの一つを選んでから店員に注文して、前払いで金を払う。

 Tシャツに短パンというラフな格好の店員は注文を取るとすぐに注文票を屋台の厨房に貼り付け、次のテーブルへと向かっていく。

 店にはサービスの水や麦茶などはないため、注文と同時にミネラルウォーターを買っておく。

 ミネラルウォーターは注文を取りに来る際、店員がどでかい銃弾か砲弾みたいに腰に括りつけてくるので、それを一本購入すればいい。


 料理が来るのを待ちながら、椅子に深くもたれて周囲にさりげなく目を向ける。

 遅めの朝とはいえ、屋台街には人が大勢いる。

 これから仕事に向かう者、深夜早朝からの一仕事を終えた者、特に働く気もなく怠惰に日々を過ごしている者、徹夜で遊び回り、頭痛と眠気で不機嫌そうな者。

 レストランなどに行けばもう少し上品な人間が増えるが、ここではそういった人間たちがメインだ。

 しかし景虎はこの雑多な空気が嫌いではない。

 呼び込みの声と揚げ物や包丁で肉や野菜を刻む音。

 人々の笑い声や、車やバイクの走行音とクラクション。


 シントサカは日本でありながら日本ではない。

 その無国籍で雑多な空気が、景虎には心地よかった。


「あいさー、お待たせ―」


 店員が注文した料理を持ってきてくれる。

 テーブルに乗せられた料理に思わず喉が鳴る。


「ありがとう」

「ごゆっくり~」


 店員が去っていく。

 景虎はまずヤムチキに手を伸ばす。

 ヤムチキはヤムヤムミーの看板料理で、甘辛ソースに漬けたチキンだ。

 手で直接掴んでかぶりつくこと前提なので、サービスの紙ナプキンが5枚ほどついてくる。

 ヤムチキをあっという間に平らげて骨だけにしたあと、次はロティチャナイに手を伸ばす。

 ロティチャナイは丸く平たいパンのことで、付け合わせにカレーやダールと呼ばれるものがつく。それらを付けて、食べるのが一般的だ。


「うまっ」


 景虎は何口かタレをつけて食べたあと、チキンライスを挟んでロティチャナイを口に放り込む。香ばしく焼かれた鶏肉とジャスミンライスの組み合わせで作られたチキンライスとの相性は最高だ。

 そして次にどれを食べようか悩んでいるときだった。


「美味しそうなの食べてるじゃん、景虎」


 声につられて顔をあげると、劉ヤムが立っていた。

 肩甲骨まで伸びた艶のある黒髪に、膝までスリットの入ったチャイナドレスに平たいゴム靴。

 シンプルな恰好だが、劉は美女なので変に華美な装飾をしなくても映える。


「奇遇だね。今日はトカンチャじゃないんだ?」

「はい。今日は休みなんで、仕事が入っても困りますし」


 劉が対面に座り、扇子を取り出して仰ぐ。

 黒髪が風に揺れ、首筋の汗がドレスの襟もとに吸い込まれていく。


「ビール、瓶と……担々麺、あと餃子」

「あいさー」


 流れるようにやってきた店員がすぐさまビールを持って戻ってくる。

 劉はそれをコップに注ぎ、一息で飲み干した。


「はぁー、昼前に飲むお酒って最高」


 美味そうにビールを呷った劉は、二杯目を注いで、唇を湿らせる程度に飲む。


「オロカ・マフィア、一つ潰したんだって? しかも老舗のご指名で」


 景虎はチキンライスを口に運びながら、劉の目を見て頷く。


「だいぶ稼ぎましたよ」

「よーし、じゃあお姉さんに奢りなよ青年!」

「えぇ? まあ、いいですけど」


 景虎が苦笑すると劉はぱちんっと扇子を閉じて、頂点を唇に当てる。


「安心しなよ。タダとは言わんさ。ほれ、手ぇ出してみ」

「ふぁい」


 新たにチキンライスと付け合わせのカレーを頬張りながら左手を出す。

 劉は柔らかくしなやかな指で受け取ると、手相を見て、小さく笑みをこぼした。


「どうしたんすか?」

「前回と結果、あんまり変わってないね。むしろ、前よりも相が濃くなってる」

「喧嘩だらけの人生……って、やつですか?」

「そうそう。でも、あんた強いから、天寿ってやつを全うできそう。その天寿が何歳かってまでは、アタシにゃわからないけど。ま、当たるも八卦当たらぬも八卦ってね」


 景虎は再び苦笑する。


「毎度、そればっかりじゃないですか。でも、たぶん当たってると思うんで、頑張って生き抜きますよ」

「ふふふ、でも前回とは違う点が一つある」

「なんですか?」

「アタシに奢ってくれるってこと。アタシはそういう使うべき金を惜しまない人間が大好き。あんたが天寿を全うできるように、ピンチになったらお姉さんが助太刀してあげよう」


 劉がウインクすると、お盆を持った店員がやってくる。


「お待たせー、担々麺と餃子、あと瓶ビールのおかわりねー」

「ありがとー」

「いつの間に……」

「ふふーん」


 会話の最中に店員に合図を送っていたらしい。

 瓶ビールのおかわりがきたことで、劉は即座にコップを空にして、一本目の残りもラッパ飲みで飲み干した。


「いただきまーす!」


 箸を割って担々麺と餃子を食べ始める劉。

 そんな彼女を見ながら、景虎は一人だけ頭に思い浮かんだ人物を口に出す。


「カツリさん相手でも助けてくれます?」


 ピタっ、と劉の箸が止まる。


「探索屋?」

「はい」

「無理。アイツが相手だとするなら、うーん……トカンチャ・ロウの満漢全席五回分」

「うわ……」


 トカンチャ・ロウは高級な店ではない。

 しかしお忍びでシントサカのお偉方が利用するときがある。

 そのとき出される満漢全席は高級地区にある店にも劣らないという評判だ。

 一回、フルコース最低でも100万以上。

 それだけの素材、味、そして店の警備を請け負っている。

 トカンチャ・ロウ。それはお忍びで密談したいお偉方を繋ぐフィクサーたちの、選択肢の一つだ。

 もちろん、金があれば入れるという場所でもない。


「カツリさんじゃないなら、どれぐらい手伝ってもらえます?」

「うーん、そうだなぁ。チンピラ百人までは手伝ってあげる。でも、あんたそんなに残さないでしょ」

「まあ……」

「でも、本当にピンチになってたら手伝うからさ。安心してよ。カツリは相手にしないけど」

「それでも嬉しいです」


 それから景虎は、劉が店に戻るまでの間、他愛のない話をした。

 オロカ・マフィアがどうなったか、劉に粉をかけようとして失敗し、逆恨みして再襲撃してきた愚かな男の玉がどうなったか。


 久しぶりに平和な時間だった。

 とはいえ、多少の殴り合い程度なら、景虎にとっては平和な一日になるのだが。

読んでいただきありがとうございます!

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では、また次回でお会いしましょう。

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