10.情報屋の手伝い 三
「最近、お前の名前をよく聞く。えらく調子に乗った若造がいるってな」
己の頭を掴み、首をゴキリ、ゴキリと鳴らして日丸栄重が言った。
軍隊出身だけあって、その肉体は鋼のようだ。
日焼けした身体を軽く揺すり、それから拳を固めて顔の前に持ち上げる。
「やろうぜ、アラゴト屋。こそこそとネズミの真似するより、こっちのほうが得意だろ」
「……ああ、そっすね」
景虎も構えた。
ゴム草履がジャリッ、と、屋上の砂状になった埃を削る。
アガキがゆっくりと二人から離れる。
栄重の狙いがアガキでないことを察し、何があってもいいように距離を取っていく。
栄重はチラッとアガキを見たが、すぐに景虎へ視線を戻した。
景虎を倒すついでにアガキのデータといったところだろう。
ナメられたものだが、下手に刺激などはしない。
アガキは距離を取りつつ、建物の下や周囲に人の気配がないか探る。誘拐グループの根城になってから、ここにはあまり人が近寄らない。
頭の中で周辺の地図を思い起こす。
逃げる際に地理は重要だ。走る早さが同じなら、知識が勝負を分ける。
「ふっ!」
栄重が先に仕掛けた。
重そうな身体をしているのに素早いステップで前進。
そのまま左のジャブを打つ。
「ぐっ!」
景虎は両腕を上げてガードしたが、打たれた腕がジンと痺れた。
素早さ重視のジャブなのに、重い一発だった。
「ふっ!」
続いて右のフック。
身体を寄せてコンパクトで速い。
景虎は上体をのけ反らせて、空を切らせた。
身体を戻す反動を利用して、栄重にジャブ。
「ぶっ!?」
パンッ、と乾いた音がして、栄重の鼻から血が出る。
しかし次の瞬間、栄重は笑みを浮かべて景虎の後頭部を掴んだ。
「おらっ!」
「がっ!?」
額と額をぶつける頭突きだった。
ガツンッと衝撃が頭からつま先まで走って、ぐらりと視界が歪む。
「いてぇじゃねぇかこの野郎!」
「ごっ!」
栄重のアッパーが鳩尾に刺さる。
さらに畳んだ肘でこめかみを打たれ、くの字になった景虎はアロハシャツの背中側を掴まれて、今度は膝で腹部を打たれた。
「がはっ!?」
筋肉で百キロ近くある身体が簡単に放り投げられ、景虎は地面を転がった。
「げほっ、ごほっ……はぁ……」
口に溜まった唾を吐きつつ、両手を使って起き上がる。
アガキが屋上の縁、景虎と上ってきた場所に到着していた。
これで最低限、景虎がやられてもアガキは逃げられる可能性が出来た。
しかし、景虎とて簡単に負けてやるわけにはいかない。
「こんなもんか、アラゴト屋。娼婦のほうが俺をヒィヒィ言わせてくれたぜ」
「ははは……安心しろよ。お姉ちゃんたちじゃ見せてくれない地獄を見せてやる」
景虎は立ち上がり、再び構える。
笑みを浮かべたままの栄重は、握った拳をゆらゆらと動かして余裕を見せつけていた。
「ふぅ……っ!」
景虎が全力でダッシュする。
栄重は何が来てもいいようにガードを固めつつ、景虎にカウンターの拳を仕掛けようとした。
「なっ!?」
しかし景虎が仕掛けたのは全体重を乗せたドロップキックだった。
勢いのままに空中に飛び上がり、揃えた両足で栄重をガードの上から吹っ飛ばす。
「ぐわッ……!?」
屋上を転がる栄重。
景虎は着地するや、低い姿勢のままもう一度突進。
栄重が体勢を立て直す前に馬乗りになり、握った拳の小指側から落とす鉄槌で顔を殴りつける。
「ごぶっ……!?」
栄重の身体が防御反応を示して、硬直する。
その隙に五発ほど顔を殴りつけた。
しかし栄重に腕を掴まれ、手首を捻られそうになる。
「チッ……!」
景虎は腕を引っこ抜くために勢いよく立ち上がった。
栄重も完全に極まるとは思っていなかったのだろう。
景虎のあとを追って、身体を起こそうとした。
だが、景虎はそれを許さなかった。
「なっ……!?」
飛び退いたと見せかけて、栄重が身体を起こしたのと同時に再び接近。
栄重の頭を掴んで顔に膝蹴りを入れる。
「ごぶぁっ……!?」
これには栄重もたまらずのけ反った。
しかし両手で後頭部をガッチリロックされ、ダメージの逃げ場がない。
「ちょっ、待てっ、おい!」
「ふっ!」
荒事において相手の言葉を聞くか聞かないかの判断は重要だ。
その後の仕事のリスクが変わる。
この場合は聞かない一択。
景虎は躊躇なく、栄重の顔に膝蹴りを何度も打ち込んだ。
「ふー……」
栄重は動かなくなった。
殺しはしていない。身体を引きずり、屋上の縁に立てかけてやる。
鼻血で呼吸が止まらないように顔の角度も調整する。
「よし、行きますかアガキさん」
「……お前、えげつないね、やっぱり」
「アラゴト屋にそれは誉め言葉っすよ」
荒事を結末まで見ていたアガキは感心したように言って、景虎と共に屋上から降りる。
「……四人か」
地面に着地してすぐ、アガキが言った。
路上へ出る道を塞ぐように、四人の男が立っていた。
進藤マツルの部下だろう。
「三人任せた。一人ぐらいは自分でやる」
「了解~」
幸い、見張りをしていた連中ではないようだ。
見たところ銃を持っているヤツはいない。
代わりに拳に填めるメリケンサックや木刀を携えているが、まあ武器を持っているだけではアラゴト屋の敵ではない。
「逃げられると思うなよこら!」
「ぶっ殺してやるよぉ!」
男たちが威勢のいい声を上げて走ってくる。
アガキはリュックの背中側にあるポケットから何かをズルリと取り出した。
それは氷嚢に似た、黒い袋だった。
ブラックジャックと呼ばれる武器だ。
中にはコインや石などがずっしりと入っている。
「おらぁっ!」
アガキの元へ向かったメリケンサックが拳を突き出す寸前、振り上げられた黒い袋が風を切って男のこめかみに叩きつけられた。
「ぁ……」
鈍く重い音とは対照に、男の声はか細く弱かった。
突進の勢いが殺されず、そのまま家屋の壁に頭を打ち付けられて、ズルズルとくずおれていく。
「情報屋をなめんじゃねぇぞ」
「えげつないのはどっちだよ」
景虎は呟きながら、もう一人のメリケンサックにあえて接近する。
槍のような前蹴り──直蹴りでみぞおちを打って吹っ飛ばす。一発KOだった。
「うるぉああ!」
一人が木刀を振り上げる。
だが振り下ろす前、スピードが乗る前に両手首を捕まえて、同じくみぞおちに膝蹴りを二発。
「おえぇええッ……」
痛みと呼吸がまともにできない苦しみで男が崩れ落ちる。
木刀を奪った景虎は、最後に残った一人、短い鉄パイプを持っている男の手首を素早く打った。
「いてぇっ!?」
その一撃で男の手首は折れていた。
鉄パイプが落ち、硬質で甲高い音が響く。
景虎は木刀を捨てる。
このまま打てば、相手を殺してしまう可能性があった。
「ひぶっ!?」
代わりに手の平の固い骨で打つ掌底で、男の顎を打ち抜いた。
男は一瞬で意識を刈り取られ、他の連中同様に地面に突っ伏した。
「行くぞ景虎」
「うす」
先に出て周囲を探っていたアガキが先導し、景虎は路上に出る。
「……ん?」
他にもいるかと警戒はしたものの、誰も出て来ていない。
「ボーっとすんな! 急げ急げ急げ!」
「はい」
アガキが足に使っているバンに乗り込み、すぐさま通りを離れる。
荒事はあったが、情報は手に入れた。
仕事としては成功だ。
「しかし、なんで追って来なかったんですかね?」
助手席でジャムパンを喰いながら景虎が言う。
アガキは手で握りつぶしたレーズンパンを、缶コーヒーで流し込みながら景虎を一瞥する。
運転をしながら器用なものだと景虎は少し感心していた。
「そりゃお前、自信があるんだろう」
「自信?」
「どこの誰に情報を流されても別に構わない。誰が来ても必ずぶっ潰せる。俺たちなら。そういう類の自信だよ」
「……ああ、ご愁傷様だ」
残りのジャムパンを口に放り込んで、景虎は合掌して祈る真似をした。
ー・-・-・-
シントサカにある料理屋「トカンチャ・ロウ」。
そこへアガキと景虎が帰ってくる。
「エビ焼売と五目チャーハン、大盛りで」
「俺はチンジャオロースとご飯大盛り」
「はいよー」
入るなり二人は注文しながら奥のパーテーションで区切られた場所へ向かう。
中で海鮮ラーメンを啜っていた眼鏡の優男──日坂が二人に気づいて手を上げる。
「お帰りなさい、二人とも。どうでした?」
「全部そこに入ってますよ」
アガキは丸椅子に座り、カメラごと日坂に渡す。
景虎も椅子に座って、備え付けのピッチャーからコップに水を注いで一気に飲み干す。
「……うん、よく撮れてます。いやぁ、やっぱりアガキさんに頼んで正解でした」
データを確認した日坂が柔和な笑みを浮かべる。
すでに配膳されていた五目チャーハンを口に運びながら、アガキが苦笑する。
「他に仕事が入ってなきゃ、先生だって簡単に探り当ててたでしょうよ」
「買いかぶりすぎですよ」
「ふっ……それから、景虎。良い腕してますよ。先生ほどじゃないですけど」
「アガキさん、一言余計」
ご飯をかき込みつつ、景虎が答える。
「当然ですよ。景虎くんは僕が仕込みましたからね。ね、景虎くん」
「……はい」
厳しい修行だった。
というか一方的に叩きのめされていた思い出ばかりが蘇る。
「ともあれ、これで材料は揃いましたね。さっそく今晩、始めましょうかね。景虎くん、一緒に来ますか?」
「もちろんです! ぜひ!」
景虎が車の中でご愁傷様と言ったのはこのためだった。
日坂先生が動く。
それはつまり、一介のオロカ・マフィア程度なら、すぐに壊滅するという意味だった。
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