☆について思うこと
最近のエッセイは評価にどっぷり、ちょろっと個人企画についてが湧いているのかーと。ただ自分の目につきやすいだけかもしれないですけれども…予想は相互についての話題が出てくるかなと思っていましたが外れました。……ビミョーに当たっているのかもしれない気もしないでもないですが。
それで、☆についてどういう話かといいますと、私は満足度で☆を入れているのですが、だからか自分はやっぱりわからないなって。
「☆の数が少ない1や2は入れない」
「5以外入れない」
とかね、「高評価しかしないであとはブラバ」――ていうのがわからない。趣味でやってて評価が〜や平均点が〜で悩んでおらず、書籍化したいと思っていないからかもしれないし、そういうやつが評価について語るのも違うかもしれない。
しかし、1や2も加点だと思うと高評価して高評価じゃないと思ったものは何もされないというのは、これまでによく見かけてきた評価エッセイの「気軽に評価して盛り上げよう」は違うんじゃないかと思う。読んだ人それぞれで確かに違いますが、結局、高評価だと思ったものしか評価されないということはその間は無視されているということじゃないのかな? ブラバするということはそういうことではないだろうか…。
たった☆1、まあブクマ一つ分ですが、たとえ人気ジャンルでランキングに入れなくても、言い方は悪いですが過疎ジャンルには入れる。
評価が欲しいということは、ランキングに載りたいということでは?
じゃあ、貪欲に色んなジャンルに挑戦してみたらいいのではないでしょうか。もし、そこで☆2だったとしたら……埋もれるばっかりだった自分の作品が人目につきやすくなる。過疎ジャンルであっても好きな人はランキングを見ると思う。ハッキリと言えませんが、そのジャンルを書く作者さんは見てると思うんですけど違っていたらすみません。
でも、もし高評価しかされずそれ以外はブラバだとしたら、それって誰かのチャンスをふいにしていることと同じではないのかな。人目に触れやすくなってそこから広がっていく可能性が、別ジャンルで書いた作品も見てもらえるかもしれない一歩目すら踏み出せなくなるかもしれない。
自分の存在をアピールすべく、過疎ジャンルで挑戦する。そこですら読まれないってことは「なんで他の人、決まった人が読まれて評価されて自分は何も反応がないのか」を考えるしかないと思う。
評価の数、☆の数が多いほうが嬉しいだろうし認められたような気になるかもしれない。もっと沢山! と貪欲に求めて創作の意欲が湧くかもしれない。
けども、それで?て思う。もしも高評価することだけが良いことだ――のようになれば、自分も同じ扱いをされる。どれだけ書いても、どれだけ悩んで生み出しても「ここは気になるけどここは良かったな」の一部分に対する☆は貰えない、少しも認めても貰えないってことじゃないのだろうかと思うのです。誰かの高評価を狙うって難しくないですか?
気軽に評価しようということは、思うがままに評価しようではないだろうか。
言いたいこと全部まとめて言えない自分自身にモヤモヤしておりますが、作者が作者の評価範囲を狭めて何になるんだろう? 自分たちの首を締めているようにしか見えないのだけれど。そして、平均点なんてランキングに関係しないのにと疑問に思う。
それとも☆1や2は嫌がらせだとでも思っているのでしょうか。だったら、利用すればいいじゃない気前よく☆を入れてくれたんだから、高評価しかしないユーザーよりも私は良いと思ってしまう。
もっと正直にぶっちゃければ、「低評価つけたら可愛そうだから」と高評価しかしないユーザーがいたら、いつまでそのよくわからん憐れみを受けなければいけないんだろう? いつまでその人からの高評価を待つんです? ☆を0〜5まで使うユーザーだっているのに。
いつまで、足の引っ張りとも思える同情を浴びているのでしょうか。そんなユーザーに目を向ける暇があるなら、ランキングを眺めて自分に足りないものを探すほうがよっぽど有意義だと思います。
以上、なろうに登録してからずっと思ってきた評価についての感想でした。