09 王都からの手紙
その日、執務室に呼び出されたザカリーが中に入ると、アレクシスが難しい顔をして手紙を睨んでいる所だった。
彼がオルティス公爵となって四年経つ。20歳になったばかりの若者だが、精悍さはさらに増し、緑の瞳は鋭くなっていた。さすが王族の血を引くだけあり、すでに貫禄まで備わってきているように感じる。
「公爵閣下、お呼びでございますか?」
「…ザカリーか。呼び出してすまない」
アレクシスはこめかみを押さえながら机の上に散らばった手紙から二通を手に取った。
「王都からいくつか手紙が来ているんだ。…君の意見を聞きたい」
話し合いを終えたアレクシスとザカリーが中庭に降りると、きゃあきゃあと賑やかな声が聞こえてきた。アレクシスは途端に目尻を下げる。
「僕の可愛いお姫様はどこにいるんだい?」
「おとうさま!」
「とーしゃっ!」
庭で追いかけっこをしていたらしい二人の幼女がアレクシスの元へ駆け寄ってきた。三歳になった長女のルナマリアと、二歳の次女アルトステラだ。美男美女の間に生まれただけあって、ザカリーから見ても天使のように愛らしかった。女児を望んでいたアレクシスは当然のことながら娘たちを溺愛している。
そして…。
「あなた、お疲れ様です」
木陰のベンチに座っていた、アレクシス最愛の妻がゆっくりと歩いてくる。
24歳になったフィオレンツァ。子供を二人たて続けに生み、母親になった彼女はますます女としての輝きを増したようだった。目元には柔らかさが出て、少し頬がふっくらし、艶っぽくなっている。
夫の領地経営を手伝ったり、施設を訪問したりと領内を駆け回っており、領民にはその美しさと仕事の熱心さから女神のように讃えられていた。結婚以来すぐ子供に恵まれたこともあって一度も王都に足を運んでいないが、それでもオルティス公爵夫人は絶世の美女らしいと社交界をにぎわしていることを本人だけが知らない。
しかしそんな妻を見たアレクシスは心配そうに声をかけた。
「フィオレンツァ、横になっていなくて大丈夫なのか?」
「もう、今回はそんなに悪阻が酷くないと言ったではないですか。少し眠いくらいで食事もとれますわ」
「そうか…」
そうなのだ、フィオレンツァは現在三人目の子を身ごもっていた。
まだ三ヵ月ほどで腹は目立っていないが、コルセットは付けていないので見る人が見れば妊婦だとすぐにわかる。アレクシスのフィオレンツァへの溺愛ぶりは結婚しても止まらず、むしろ増すばかりだった。さすがに妊娠中は抑えているが、そうでないときはフィオレンツァが起き上がれない朝がままあったほどだ。
今回の妊娠が分かったあたりから、使用人の間では二人の間に最終的に何人子供が生まれるのか賭けが行われるようになったくらいである。
「ああ、テルフォード女公爵様から手紙が届いていたんだ。夕食後、君宛ての分を持っていくつもりだ」
「スカーレット様の…え、ええ。分かりました」
フィオレンツァは親友のスカーレットからの手紙と聞いて一瞬目を輝かせるが、「あとで持っていく」という言葉に神妙な顔になった。友人の、ただのご機嫌伺いの手紙ならば、侍女にでも預けて部屋に届けさせればいいだけだ。それがアレクシスが直接、しかも夜に持っていきたいということは、その手紙の内容について話し合いをしたいということだろう。
どうやらスカーレットが王都で起こった何らかの報告を手紙にしたためたようだ。
「おとうさま、かくれんぼしよう!」
「とーしゃっ、あーれんぼ!」
ルナマリアとアルトステラの甲高い声に、一瞬淀みかけた空気が霧散した。
「仕方ないなぁ、じゃあ一回だけだよ?」
アレクシスは整った顔をこれでもかというほど崩すと、娘たちと手をつないで庭の奥へと向かった。
ルナマリアはブルネットの髪に藍色の瞳をしていて、目元がアレクシスにそっくりだ。
一方のアルトステラは母親譲りの青い髪に藍色の瞳だが、やはり顔立ちはアレクシスに似ていた。
どちらも将来美少女になるだろう。父親と無邪気に遊ぶ娘たちを見ながら、フィオレンツァはこの幸せが長く続くことを祈るのだった。
そして迎えた夜。
食堂で家族揃っての夕食を終えたフィオレンツァは、「おかあさまといっしょにいる!」とぐずる娘たちを宥めていた。そこへ部屋をノックする音がする。アレクシスがもう来たのかと思ったが、やってきたのは乳母を連れた侍女頭のアガタだった。
「奥様、お嬢様方をお預かりに来ました」
「ありがとう。よろしくね、アガタ」
泣きながら嫌がる娘たちを何とかアガタたちに預ける。しばらくして、アレクシスがザカリーと共に部屋に入ってきた。
「お待たせ、僕の奥さん」
「こんばんは。あなた」
おどけたように言うアレクシスに、フィオレンツァも自然に笑顔になる。しかしいつも微笑ましく見守ってくれているザカリーの表情が陰っており、やはり気がかりなことが王都で起こっていることを悟った。
「スカーレット様からのお手紙というのは?」
「これだよ」
アレクシスはクリーム色の小ぶりな封筒を差し出す。
封蝋はなく、別の大きな手紙の中に入っていた封筒の一つだということが分かる。スカーレットはアレクシス宛てとフィオレンツァ宛ての手紙を別々の封筒に入れ、また大きな封筒にまとめて入れて送ったのだろう。フィオレンツァは受け取った封筒から、薔薇の透かしが入った美しい便せんを取り出した。スカーレットらしい、几帳面で整った字が綴られている。
『親愛なるフィオレンツァへ。
ごきげんよう。しばらく会えていないけれどお元気かしら?
可愛いプリンセスたちは大きくなった?
ルナマリアはきっとおしゃべりが上手になっているわね、早く会いたいものだわ。
アルトステラは赤ちゃんの時に一度会ったきりね。早く「おばさま」と呼ばれたいわ。
さて、私たちやロージーたちの近況を少し書くわね。
手紙はやり取りしているでしょうけど、パトリシアはともかく、ロージーは強がって本当のことを書かなそうだもの。
まずはロージーかしら?
クラーラ嬢が起こした事件で女伯爵になった彼女は、知っているでしょうけどつい最近まで領地に引き籠っていたわ。
醜聞が好きな貴族たちの目を避ける必要もあったし、彼女自身も療養が必要だったしね。
つい先日、ロージーの元婚約者だった伯爵家の方が別の方と婚姻したの。
ロージーはようやく気持ちの整理をつけて、自分と一緒にスピネット家を背負ってくれる殿方を見つけると言っていたわ。
平坦な道ではないでしょうけど、王都で未だに働いているスピネット卿や私たち夫婦もできる限り彼女の幸せのために協力するつもりよ。
次はパトリシアね。
彼女とは頻繁に手紙をやり取りしているんでしょう?
彼女はあなたに相談したかしら…。
どうやら結婚して五年近く経つのに、妊娠する気配がないことを思い悩んでいるようなの。
ご主人は無理に後継ぎを作る必要はない、ゆっくり挑戦すればいいと言ってくれているみたいだけど。
この間会ったら、だいぶやつれていたわ…私も同じ立場だから慰めることもできなくて。
少し話したけど、あなたにとても会いたがっていたわよ。
あとは私たち夫婦と、バーンスタイン夫人のことを話すわね。
私もブレイクも元気よ。
子供は焦るつもりはなかったけれど、そろそろ挑戦したいと思っているわ。
私は女官長補佐として相変わらず西館で働いていて、次第に責任ある立場を任されているの。
だからもっと実力がついて、しっかりした基盤ができるまでと思っていたけれど…。
オルティス公爵そっくりのルナマリアやアルトステラを見て、ブレイクの子供が欲しいとすごく思ったわ。
待っていなさい。
必ず男の子を二人生んで、ルナマリアとアルトステラと結婚させて見せるわよ。
オルティス公爵は地団駄踏んで悔しがるでしょう…おーほっほっほっほっほ!ざまぁ●◆▽×◎●!!(文字が乱れて読めない)
バーンスタイン夫人もお元気よ。
でもそろそろ引退の準備をされているみたい。
ご主人と領地で静かに暮らしたいのですって。
…私の大切な親友、フィオレンツァ。
あなたは数日のうちに王都に来ることになるわ。
王都は平和よ。
でも、王宮の奥におわす王族の方々は平穏とは言い難いわ。
詳細はオルティス公爵への手紙に書いたけれど…私はあなたが心配でたまらない。
いいこと、王都では決してオルティス公爵と離れては駄目よ。
それが叶わないのならば、私かバーンスタイン夫人を探して頼りなさい。
絶対に約束して。必ずよ?
…それでは王都にあなたたちが来るのを待っているわ。
あなたの親友
テルフォード女公爵 スカーレット』
フィオレンツァは顔を上げた。アレクシスの険しい瞳とぶつかる。
王都の友人たちは各々悩みを抱えながらも壮健のようだ。しかし王宮の奥で不穏な動きがあることは、いまの手紙で十分にうかがい知れた。
「あなた…」
「その手紙は君宛てだったから読んでいないんだ。女公爵は王太子のことはなんて?」
「王族の方々が不穏だと…そして私たちが王都に行くことになるだろうと…それだけです」
どうやら王太子の身に何かが起こった、あるいは起こしたのか。
「そうか…。簡単に話すとね、ここ二年ほど、兄…ユージーン王太子とエステル妃の関係が悪化していたらしい。周囲に子供を促されて、どちらも神経質になっていたようなんだ。僕たちにあっさり子供ができたから、余計にプレッシャーがあったんだろう。そして一ヵ月前、王太子がある事件を起こした」
「事件、ですか?」
「テッドメイン宰相の屋敷を訪問していた際、見習いとして働いていたメイドに乱暴したらしい」
「!!」
フィオレンツァは息をのんだ。
王太子ともあろう男が、女性を襲うなんて。しかも王宮の外でそんな行為に及ぼうとは…。
スカーレットがフィオレンツァへの手紙に詳細を書かなかった理由はこれだろう。アレクシスも言葉を選んでいる様子だし、そのメイドはかなりむごい扱いを受けたのではないだろうか。
「気づいた宰相が止めようとしたが、激高して逆に大けがを負わせて…だから内々に済ませることができなくなってしまったようだ。さすがの醜聞に陛下もお咎めなしにすることができず、王太子は謹慎させられている」
「ダン・テッドメイン様が…」
「…実はまだあるんだ」
アレクシスはザカリーからまた別の封筒を受け取った。そこには王家の紋章が刻まれている。
「それは…」
「昨日の昼間、王妃からの使いが来て持ってきた手紙だ」
昨日の昼…確かに王家からの手紙が届いたという話は聞いていた。しかしアレクシスは実家にあたる王家とこれまでも手紙をやり取りしていたので、別段疑問に思わなかった。
「これまでにない強い文面で、僕と君たちに王都に来るように促している。表向きは孫娘に会いたい、ということだが…」
「王太子殿下のことは?」
「一言も書いていなかった。今日の朝に女公爵からの手紙が届かなかったら、兄が謹慎していることは知らないまま発っていただろう」
「…」
フィオレンツァは、ようやくアレクシスたちの懸念を理解した。
王太子が事実上失脚した。
そのタイミングで自分たちを王都に呼び出す真意は…。
不穏な空気ですが、第四章の本編はこれで終わりです。別視点による閑話を投下してから第五章(終章)に進みます。