05 メイドの思惑
「フィオレンツァ!」
アレクシスは倒れこんだフィオレンツァに駆け寄ろうとしたが、行く手にニコールが身を乗り出した。
「…どけっ」
「閣下、お聞きください。フィオレンツァは…」
「子爵夫人ごときが僕に許しもなく勝手に話しかけるな!ザカリー!!」
「はっ」
すぐにアレクシスの意図を組んだザカリーがニコールの後ろに回り、腕をひねりあげる。
「い、痛い、痛いわ!何するのよ!!」
「ニコール!何をする、使用人ごときが…」
「その男も押さえつけろ!公爵夫人を害しようとした実行犯だ」
「なっ…!公爵閣下!気でもふれられたのですか?」
「早く捕まえろ!物置にでも閉じ込めておけ!!」
ようやく戻ってきたヨランダがザカリーからニコールを受け取り、ザカリーは今度はルパートを容赦なく締め上げる。夫婦はぎゃあぎゃあ騒いでいたが、やがてその声は遠ざかっていった。
アレクシスはフィオレンツァを抱き上げると、おろおろとした様子で傍に寄ってきたメイドを睨みつける。
「侍女頭はいるか?」
「は、はいっ。公爵閣下…ここに…」
「このメイドを子爵夫妻とは別の部屋に閉じ込めて監視しろ」
メイドのメリッサは顔をひきつらせた。
「監視ですか?ですが…」
「早くしろ!子爵夫人を手引きした裏切り者だぞ。あとで僕が自ら尋問する!!」
「か、かしこまりました…!」
「ちが…、違います!旦那様…ど、どうか話を…」
メリッサはアレクシスに縋りつこうとするが、寸でで侍女頭ともう一人のメイドが阻止し、部屋から引きずり出されていった。
「お手伝いしましょうか?公爵閣下」
ようやくフィオレンツァをベッドに運び終えたアレクシスに、一人の女性が声をかけた。人の気配には気づいていたものの、てっきり侍女の誰かか執事だと思っていたアレクシスは少し驚く。
彼女は40代半ばくらいで、女性にしては少しがっしりした体つきをしていた。
「医師のシェルヴィーと申します。ヨランダ嬢の依頼でオルティス公爵夫人の診察に参りました」
「…そういえば、いつもと違う医師を呼んだと言っていたが」
ルーズヴェルト王国では女性の身分はまだ低く、医師になれる者は少ない。
だが、とある部門においてはたとえ平民でも積極的に女性を受け入れていた。
「もしかして産科医か?」
「はい。ヨランダ嬢がもしかしたらと。診させていただいても?」
「あ、ああ。…いや、すまないがヨランダが戻ってくるまで待ってくれるか?情けないが、信用できる部下が彼女と護衛のザカリーくらいしかいない」
オルティス領に来る際、王都から連れてきた使用人はヨランダたちを含めて限られた人数に絞ってきた。華やかな王都に慣れた使用人が田舎に来ることを嫌がったこともあるし、アレクシスとフィオレンツァも早く領地の民と馴染みたかったので、屋敷の使用人は主に現地で採用したのだ。
グラフィーラ王妃もひとまずは二人の仲を裂くことを諦めていたし、王太子夫妻に子供ができない限りは権力争いに巻き込まれることもないと思っていた。まずは屋敷の雇用を利用して地元の領民と交流して行こうと思っていたのに、とんだ弊害が出てしまったものだ。これはアレクシスとフィオレンツァの認識が甘かったとしか言いようがない。
やがてヨランダが戻ってきて、フィオレンツァの診察が行われた。
「…シェルヴィー女医、いかがでしたか?」
「月のものが遅れて四週間とのことですし、発熱やうつ状態といった症状から見ても、妊娠しているものと思われます」
月のものが遅れていることについて、フィオレンツァとヨランダは当初は体調不良のせいだと思っていたという。それにニコールが来ることを知ってからのフィオレンツァは落ち着かない様子だったから、ここ数日は忘れていたのだろう。
ヨランダだけが疑念を深めて、手配ミスがあったということにして産科医のシェルヴィー女医を呼んだらしい。
「風邪ではなかったのですね」
「妊娠初期は、風邪のような症状が出るのです。人によりますが、感情をコントロールできなくなるなど神経過敏になることもあります。公爵夫人はそのタイプだったようですね。このまま順調に妊娠状態が続けば、そろそろ悪阻の症状も出てくるでしょう…あの様子だと、他人よりやや重い症状になるかもしれませんね」
「あれより酷くなるんですか?何とかなりませんか?」
ここ数週間のフィオレンツァの憔悴具合は酷かった。この上さらに悪阻なんて始まったら、出産を待たずに死んでしまうのではないか。
「公爵閣下、親になるためには避けて通れない道です。あなた様の試練でもあるのですよ。弱っていく奥様を見るのは辛いかもしれませんが、寄り添って支えて差し上げられるのは夫であるあなた様だけです」
「…分かりました。シェルヴィー女医、まめに様子を見に来てくれますか?」
「できる限りの融通は利かせますが…。まずは奥様の環境をどうにかして差し上げるべきかと」
「もっともだ。これからもよろしく頼みます」
アレクシスは控えていたヨランダに声をかける。
「一時間で戻るから、この部屋には僕とザカリー以外入れるな」
「かしこまりました」
「無理に入ろうとする者がいたら実力行使をしてもかまわない。死ななければ何をしても僕がもみ消すから」
「お任せください」
ヨランダはにっこりと笑った。
もともとある程度の護衛術は身に着けた上でアレクシスの元に配属されたヨランダだったが、この半年、同僚になったザカリーに請うてさらなる武術の指導を受けていた。ザカリーによれば上達目覚ましく、たぶん小型なら熊を仕留められるのではないかと遠い目で報告された。
正直何を目指しているのかとフィオレンツァと首を傾げていたものだが、今の彼女は実に頼もしい。それこそザカリーほどの武人でないとこの部屋を強行突破することはできないだろう。
安心してヨランダに妻を任せると、アレクシスはザカリーを連れてまずはメイドのメリッサの元に向かう。メリッサは、侍女頭が寝泊まりするための自室に閉じ込められていた。
部屋の前まで行くと、険しい顔をした執事と戸惑った顔の侍女頭が並んで立っている。
執事は王都から連れてきていたが、侍女頭はメリッサ同様オルティス領で雇っていた。
「メリッサは中に一人でいるのか?」
「はい…」
侍女頭はおろおろと落ち着かない。
もしメリッサが何かしでかしていたのならば、少なからず彼女も責を負うからだろう。
「君たちも中に入れ。尋問に立ち会ってもらう」
「かしこまりました」
「…かしこまりました」
ザカリーが扉を開けると、すぐにメリッサの姿が見えた。
ノックなしに開けたのでびっくりした顔をしている。
「あ、あの…っ。公爵様…、わたし…」
「黙れ。許しもないのに僕に勝手に話しかけるな」
「…っ」
メリッサはアレクシスの姿に気づくと先ほどのように縋りつこうとしたが、絶対零度の視線と拒絶の言葉に凍り付く。
そんなメリッサの様子に執事は顔をしかめていた。屋敷の使用人が主に向かってする態度ではない。
「侍女頭…。メリッサの教育はきちんと行ったと聞いていたぞ。問題ないというから奥様付きにしたのに、なんだ今のは…」
「…そ、それは…。ですが…」
「やめろ、その話はあとにするんだ」
侍女頭を詰めようとする執事をアレクシスが止める。
「申し訳ございません、公爵閣下」
「ザカリー、その女を椅子に座らせろ」
「かしこまりました」
ザカリーはメリッサを椅子に座らせる。メリッサは何か言いたげだったが、有無を言わせないザカリーの迫力に黙って従った。
座ったメリッサの前には簡素な机が置かれ、向かいにアレクシスが腰かける。
「左手を机の上に置くんだ」
メリッサは戸惑いながらも言う通りにする。するとアレクシスは彼女の左手を己の両手で包み込んだ。アレクシスの美貌を間近にし、さらに手まで握られたメリッサは頬を赤く染めた。
「こ…公爵様」
「どうして子爵夫人を部屋に誘い込んだんだ?」
「…そ、それは…いえ、奥様が夫人を無理やり…」
夢見心地だったメリッサはとっさに本当のことを言いかけるが、我に返って誤魔化した。
部屋での一部始終を全て見ていたメリッサは、さすがにニコールの異常性に気が付いている。しかしだからこそ、ニコールの言い分に合わせないと自分が罰を受けることをとっさに理解もしていた。
「本当のことを言うんだ。君がフィオレンツァの断りなく、己の勝手な判断でニコール・ブキャナンを部屋に入れたんだろう」
「いいえ、いいえ…。奥様がブキャナン子爵夫人を無理やり部屋の中に引きずりこ…、………、っ!」
数分後、メリッサは椅子に座ったまま失禁していた。顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、愛らしい顔立ちをしていたのに見る影もない。
一方のアレクシスは何事もなかったかのような顔をして部屋を出、それにザカリーが続き、執事が二人の背中を見送る。対する侍女頭は、部屋の中で起こったことに腰を抜かしていた。
魂が抜けたかのような女二人に、執事は顔をしかめながら言う。
「侍女頭、メリッサを部屋から出さずに見張っておけ。…なに、あの閣下の様子ならば決着がつくのは一、二時間だ。そのあとゆっくり部屋の掃除をすればいい」
「…思った通りでしたね」
ザカリーが苦々しく言う。
メリッサはニコールに言いくるめられ、彼女をフィオレンツァの部屋に引き入れたことを認めた。実家でフィオレンツァに虐げられていたが、夫のためにも関係を修復したいというニコールにほだされたと言っているが、おそらくは別の思惑もあっただろう。幽閉されていた部屋に入った時、メリッサがアレクシスに対して向けていたのは情欲に濡れた瞳だった。親戚が準男爵だということだし、整った顔立ちをしていたから、ニコールを使って公爵夫妻の関係にひびを入れ、あわよくばアレクシスの妾に…と思っていたのか。
そうしてニコールを部屋に引き入れたはいいが、彼女は「提案」と称してフィオレンツァにとんでもない要求をしていたという。夫のルパートに中央への伝手を用意し、さらに自分をアレクシスの愛人にしろと宣ったらしい。フィオレンツァが手を上げたのは、愛人発言のせいだという。
「どうされますか?子爵はともかく、子爵夫人は…」
あれはやばい女だ。ザカリーは過去に善良な顔をして平気で嘘をつき、自分を騙したスーザン・アプトンのことを思い出す。多分スーザンとニコールは同じ人種なのだろう。
いいや、ニコールの方が冷静で視野が広く、自分を装う術を知っている。スーザンは若くて浅慮な男を選んで篭絡していたが、ニコールは性別年齢関係なく手玉にとれるのだろう。アレクシスがフィオレンツァとメリッサの証言を盾に責めても、彼女ならば上手く切り抜けてしまいそうだった。
フィオレンツァが手を上げたのは間違いないようだから、むしろそれを材料にあちらの有利にことを運ぼうとするかもしれない。
しかしアレクシスは何らかの目論見があるようだった。
「子爵の方を懐柔する」
ザカリーとヨランダがブキャナン子爵ルパートと夫人のニコールを閉じ込めた部屋は、フットマン用の控室だった。アレクシスは王都からダリルという従者を一人連れてきているが、ほとんど秘書のような形で執務を手伝っているので、この部屋は当初から空き部屋だった。
アレクシスは途中で年配の侍女を一人拾い、フットマン控室にたどり着く。中に入ればルパートとニコールがそれぞれ椅子に座らされ、両隣にはザカリーの部下である護衛たちが立っていた。この護衛たちもオルティス領で雇っているが、ザカリーにきちんと指導されたおかげか子爵夫妻の言葉に惑わされずにきちんと番ができていたらしい。
ルパートとニコールとの間はある程度の距離がとられ、内密な打ち合わせができないようにされていた。
「オルティス公爵!こんなことをしてただで済むと思っているのですか?」
アレクシスの姿を見るなりルパートが声を張り上げる。
おそらく彼は先ほどの妻の言い分を信じているのだろう。
その表情には焦燥が浮かんでいたが、同時に戸惑いも浮かんでいた。妻と共謀した上でこのような状況になったのならば、企みがばれた時のことを考えてもっと怯えていてもいいはずだ。
アレクシスはルパートを一瞥すると、護衛に彼の拘束を解くように命じた。
そして…。
本当はアレクシスがメリッサを尋問する様子も書いていたのですが、暴力表現に引っかかるかなぁと削除してしまいました。メリッサの左手はしばらく使い物になりません。




