13 ビヴァリーの失墜
「…ロージー様、これってどう思います?」
「なによ?」
フィオレンツァが困った顔で差し出した手紙を、ロージーはなんで私が、とぶつぶつ文句を言いながら受け取る。
「『フィオレンツァ殿。折り入ってご相談したいことがございます。7日の20時、王都のはずれにあるホテル「パラドクス」の裏手で待っております。どうか誰にも内緒で、必ずお一人でいらしてください。…ロージー・スピネット』…ふーん。私が明日の夜遅くに怪しげなホテルにフィオレンツァを呼び出しねぇ…。ふーん…ふ、ふふふふふふ…、ふっざけんなぁーーー!!!」
「…ですよねぇ」
手紙を床にたたきつけ、ハイヒールで踏みつけようとするロージーを「大事な証拠だからやめなさい」と慌てて押さえ込んでいるのはザカリー・ベケットだ…スカーレットの手配で、数日前から新たにフィオレンツァの護衛に加わっていた。
あのアレクシスの成人を祝うパーティーの後、フィオレンツァの周囲の侍女と護衛はほとんど入れ替えられた。やはりあの日の家族の危篤は誤報だったということが分かったヨランダは残ったが、他は全て新しく雇われている。ちなみにメラニアとメルヴィンはパーティーの翌日から失踪したと聞いた。
同席していたスカーレットが手紙を拾い上げ、封筒と一緒に細かく検分した。
「封蝋に押されている紋章はスピネット侯爵家のもので間違いないわね。手紙の文字もロージーのものによく似せてあるわ」
「この場にロージー様がいなければ完璧な作戦でしたね」
「そうかしら?内容が怪しすぎるわ。それにロージーがフィオレンツァ宛てに書いたにしては文章が丁寧過ぎるわよ」
「…確かに、ロージー様が私に嫌味の一つもない手紙を送るわけありませんね」
「あなたたち、どういう意味よ!!?」
ザカリーに羽交い絞めにされたロージーがきゃんきゃんと騒いでいる。
「まあ私たちはロージーと親しいから違和感に気づいたけど…第三者から見たら、ロージーがフィオレンツァを呼び出したことを疑わないでしょうね」
「スピネット侯爵家からの手紙に間違いなければ…」
「クラーラ嬢か、あるいはビヴァリー夫人かしら?」
フィオレンツァが手紙に従ってのこのこと指示された場所に向かえば、金で雇われた連中が犯罪まがいのことをせんと待ち構えているのだろう。そしてフィオレンツァが襲われて純潔を失ったと騒ぎ立て、アレクシス王子の婚約者の座から引きずり降ろしてしまおうというところか。ロージーの名前を使ったのはフィオレンツァを騙すだけでなく、いざという時には彼女に罪を擦り付けようとしたのだ。
「ロージー様…」
「同情なんてしなくていいわよ。もう何年も前から母には嫌われているの…この顔のせいでね。…それよりどうするの、その手紙。無視するの?」
「無視したらしたで、変に騒ぎ立ててないことをあるように吹聴するかもしれませんね」
「では知り合いの女剣士に身代わりを頼みましょうか?当然警邏にあらかじめ連絡して、彼女が危ない目に合わないように…」
ザカリーの提案に、スカーレットが首を振る。
「だめよ。身代わりを使ったなんて、フィオレンツァの印象が悪くなってしまうわ。それにロージーはもうすぐ結婚するのよ。スピネット侯爵家が醜聞まみれになるのも避けたいわ」
「…ではどうするのですか?」
そして迎えた7日の夜。
朗報を今か今かと待っていたビヴァリー夫人は、帰ってくるなり真っ赤な顔をして部屋に入ってきたスピネット侯爵に張り倒された。
「あ、あ、あなた!?何をするのですか!」
スピネット侯爵は感情に任せて激高することなどめったにない。ビヴァリーは結婚して以来、どんな我が儘を言っても許してもらえたし、手を上げられたことも当然なかった。
「この…、大馬鹿者が!!!」
「…がっ、あ、…あっ、…やめっ!」
しかしスピネット侯爵は感情が抑えられないのか、さらに手を上げる。ビヴァリーが両頬を腫らす頃、このままでは当主が夫人を殺しかねないと使用人たちが総出で二人を引き離した。
そこへロージーがビヴァリーの部屋に入ってきた。長女の蔑むような視線に気づいたビヴァリーは、ようやく自分の企みが全てばれていることを知った。
「先ほど王都の警邏が『ホテルの裏手に怪しい連中が屯している』というパラドクスホテル側の通報を受け、五人の男を拘束した。…連中は『20時頃にやってくる青い髪の女を乱暴するように指示された』と言っているらしいが…」
スピネット侯爵はじろりとビヴァリーを見る。椅子に座らされ縄で拘束されているビヴァリーは、何か言おうとして、けれども唇が切れてまともに声が出せないようだった。涙をぽろぽろとこぼしながら首を振る。
「…その青い髪の令嬢は現れなかった。だから警邏隊も、男たちの戯言として処理するつもりのようだ。前科のある連中だったらしく、牢に入っている」
ビヴァリーは目を見開いている。まさか自分の企みが失敗するとは、フィオレンツァが現場に現れないとは考えもしなかったようだ。こんな穴だらけの作戦、スピネット侯爵にとっては狂気の沙汰としか思えなかったが。
「お母様」
突然ロージーが口を開き、ビヴァリーは縋るような目を向けた。この部屋にはスピネット侯爵とビヴァリー、ロージーしかいない。スピネット侯爵はこの事件を秘密裏に処理するために使用人をすべて遠ざけていた。
「お母様、実はね…私、今日はテルフォード女公爵様に招かれてパーティーに出たのですよ。突然開かれることが決まったのですが、女公爵様とテルフォード邸に滞在されているホワイトリー伯爵令嬢と誼を通じようと、王都にいる貴族のほとんどが出席していましたわ。…ええ、ええ、そうです。フィオレンツァ嬢は今夜はずっとテルフォード女公爵邸におられましたの。目撃者ならたくさんいます」
「…」
「私もパーティーを楽しんでいたのですが…パーティーの途中で急に女公爵様に呼び出され、謝罪を受けましたわ。どうしてだとお思い?」
ロージーは何かを取り出して見せた。あのフィオレンツァに宛てられた手紙だ。ロージーの名前を使ってビヴァリーが出したものだった。
「この手紙…。女公爵様のお屋敷の小間使いが、誤って女公爵様のデスクに置いてしまったのですって。忙しかった女公爵様は手紙を確認するのがパーティーの始まる直前になってしまったとか。そのままフィオレンツァ嬢に渡そうとしたが、パーティーに私も参加することになっていましたから、行き違いのないように手紙をお返しする、後で場を設けるから直接渡したら?と言われました」
もちろん、スカーレットと話し合ってそういうことにしたのだ。フィオレンツァはこの手紙を見なかった、だからテルフォード女公爵邸から一歩も外に出ていない…ビヴァリーがフィオレンツァの醜聞を流したとしても誰も信じないだろう。ビヴァリーの顔色は真っ青だった。フィオレンツァを陥れることはかなわず、夫と、罪を擦り付けようとした娘には企みがすべて露見している。
「ビヴァリー…お前という奴は…。母に似てしまったロージーを邪険にしていたのは知っている。それを咎めなかったのは、母との関係に神経をすり減らしていたお前に当時の私は何もしてやれなかったし、ロージーを嫌ってはいても手までは上げなかったからだ。だというのに、こんなとんでもない企みを…しかもロージーの名前を使ったということは、ロージーに全て擦り付けようとしたのだな?自分の腹を痛めて生んだ娘に何という仕打ちを…!!」
口に出しているうちに興奮してきたのか、スピネット侯爵はまたビヴァリーの頬を張ろうとする。
しかし、それをロージーが止めた。ロージーはうっすら涙を浮かべていた。いつも毅然としている彼女だが、やはり母にされた仕打ちに傷ついている。
「ビヴァリー…お前はこのまま領地に送り、屋敷の離れに幽閉する。監視をつけるから逃げられると思うな!?ロージーが無事に嫁いだら、クラーラもすぐにベル家の息子と結婚させる。お前が甘やかしたあのバカ娘は私がしっかり躾けてやる!」
ビヴァリーは屋敷を発つその日まで自室に閉じこめられることになった。扉の前ではロージーへの忠誠心に厚い護衛たちが番をすることになり、自力で逃げることはできないだろう。
「このまますぐに領地に送ってもいいが、きちんと幽閉するまで見届けたい。明日の仕事を終えて私も領地まで付き添うつもりだ。…ロージー、留守を頼んだぞ。執事と侍女頭にも、ビヴァリーでもクラーラでもなく、お前の命令を聞くようにとよくよく言い聞かせておく」
「かしこまりました、と言いたいところですが…。執事も侍女頭もお母様を慕っていました。私はこの数年屋敷にはおりませんでしたし、大丈夫でしょうか?」
特に侍女頭はビヴァリーと共にクラーラを甘やかし、一方でないがしろにされるロージーを見下していた。執事も、将来この家を出るロージーではなくクラーラの方に味方するのではないだろうか。
それを指摘すると、スピネット侯爵は頭を抱えた。この屋敷の差配は基本的にビヴァリーに任せていて、仕事中心の生活をずっと送っていた。クラーラのあまりの不出来に気が付いたのもつい最近のことだ。
「どうしてこんなことになってしまったのだ。ビヴァリーはずっと優秀な女主人だと信じていたのに…お前を孤立させ、クラーラを甘やかして貴族のルールさえ理解できない無能に育てた…。私の目が曇っていたのか?」
「いいえ、お父様。お母様は母親としては失格ですが、女主人としては優秀でした。…人を使うのがとても上手いのです。相手がやりたい仕事や得意な仕事を見つけると、そのまま指示権ごと放り投げていました。部下の専横を許す行為に思えますが、それをしえない、本当に仕事が好きな者しか手元に残さなかったので成り立っていたのです。ゆえに執事や侍女頭をはじめ使用人たちはお母さまを慕っていました」
執事と侍女頭は、ビヴァリーが侯爵夫人になってからその地位に抜擢された。スピネット侯爵の母である前夫人の時代では正当に評価されなかったのに、ビヴァリーに見出されたと思っている。ビヴァリーはそうやって優秀な人材を見つけては仕事を任せ、そうして空いた時間はすべてクラーラを甘やかすことに注ぎ込んでいた。
「…このままでは婿にきたベル家の息子を蔑ろにするかもしれんな。これを機に人事を入れ替えた方がいいのかもしれん」
「その方がいいでしょうね。クラーラも我が儘を叶えてくれるお母様や侍女頭がいなくなれば少しは成長するでしょう」
「それにしても、フィオレンツァ嬢をこんな怪しい手紙で呼び出そうとは随分とお粗末な作戦だったな。仮にフィオレンツァ嬢が現場に現れて襲われたとしても、あんなに口が軽い破楽戸たちでは計画したのがビヴァリーだとすぐに露見しただろうに」
人を使うのが上手くても、自分で考えて物事を進めるのは苦手だったということだろうか。ともあれ、ビヴァリーの企みは一部の者を除いて露見することなく潰えた。
このままことは収まるかと思われたのだが…。
「ねえねえ、聞いた?奥様のこと」
「ええ、お部屋に閉じ込められているらしいわね?何があったのかしら?」
「理由は良くわからないけど、どうやら明日にでも領地に送られるらしいわよ」
「嘘でしょう?じゃあこの屋敷はどうなるのよ、クラーラ様が女主人になるの?」
「それがさっき執事と侍女頭様が旦那様に呼び出されてたんだけど、ロージー様の指示に従うようにと言われていたわ。クラーラお嬢様のいうことには決して耳を貸すなって念押しされてたわよ」
「あなた、盗み聞きしたの?」
「私だけじゃないわ。みんな扉に耳を押し当てて聞いていたわよ」
「まったく…」
「まあまあ、執事は淡々としていたけど、侍女頭様は納得いかないって旦那様にかみついていたわね。あの方は奥様とクラーラお嬢様を崇拝しているから」
「私は別にロージー様でも構わないけれど。でもあの方はもうすぐ嫁がれるのよね?後を継がれるのはクラーラ様だから、今後のためにもあまり不興を買いたくはないわねぇ…」
メイドたちのそんな会話を、こっそりと聞いている人影があった。
次の日、スピネット侯爵を見送ったロージーは当主の執務室で人事の資料を確認していた。もちろん父侯爵からやってくれと頼まれて、許可を得て執務室に滞在している。
しかし一時間ほど経った頃、窓の外が騒がしいことに気づいた。気になって窓を開けて様子を見ると、ちょうど侯爵家の馬車が屋敷を出るところが見える。
「そんな…!」
まさかビヴァリーが抜け出した?
ロージーは慌てて執務室を出ると、そのままビヴァリーの部屋へと直行した。しかし部屋の前に到着すると、ロージーの護衛の騎士たちが昨夜同様部屋の前に立っていた。突然現れたロージーに驚いている。
「お母様は?」
「お、奥様ならお部屋から一歩も外に出られていませんよ。…どうかされたのですか?」
「…どういうこと?」
彼らは侯爵家ではなくロージーが直接雇っているので、嘘をつくはずがないし買収もされない。
ビヴァリーでないということは…!
「クラーラ!クラーラは何処!!?」
ロージーはクラーラの部屋がある三階に走った。
ちょうどクラーラの自室の前には人影がある…侍女頭のハンナだ。
「まあ、ロージーお嬢様。そのように急がれて…何かあったのですか?」
「クラーラは…!?さっき馬車で屋敷の外に出たのはクラーラよね?!」
「クラーラお嬢様ですか?…いいえ、お部屋にいらっしゃいますよ。たった今お茶をお持ちしたところです」
「…え?」
ロージーは勢いをそがれて立ち尽くした。
「本当に?」
「ええ、何ならお入りになりますか?」
「…」
ハンナ侍女頭は全く動揺した様子がない。ロージーの勢いは急速に萎んだ。もしかしたら、父侯爵が忘れ物でもして一度戻ったのかもしれない…しかし…。
「そうね、クラーラに会うわ。話したいこともあるし」
「かしこまりました」
先にハンナ侍女長が中に入り、そして扉を開ける。ロージーは促されて部屋の中に入った。
「クラーラ、お邪魔するわ。…クラーラ?」
部屋を見渡しても妹の姿はない。ロージーは二、三歩部屋の奥へと進み…。
「どこに…、…あっ!」
後頭部に衝撃があり、ロージーの体はうつぶせに倒れこんだ。
殴られた…と思ったときにはすでに手遅れで、彼女の意識は遠ざかっていた。




