閑話 ザカリー・ベケットは振り返る(1)
君は憶えているか、この男のことを!?
第一章で華々しく現れ、流星のように消えていった彼のことを!
そう!その名は…!
ザカリー・ベケットは、ベケット伯爵の長男である。
騎士だった父に憧れ、体格に恵まれたこともあって己も騎士を目指した。
そんなザカリーの初恋は6歳の時だ。
母の姉、つまり伯母が二人目の赤ちゃんを産んだということで、お祝いに行ったのだ。スピネット侯爵家に嫁いだ伯母のビヴァリーに挨拶をすると、小さい子同士で遊んできなさいと一人の女の子を紹介された。それが従妹のロージーだった。
同い年のロージーは、それはそれはもう可愛かった。オレンジ色の瞳はきゅっと吊り上がっていて勝気そうだったが、文句なしの美少女だった。陶器のような滑らかそうな肌につやつやとした小さな唇は愛らしく、ザカリーは一瞬で恋に落ちてしまった。
…そして、恋に冷めるのも早かった。ロージーは口が悪かったのだ。
下品な物言いをするという意味ではない。相手の神経を逆なでするような、苛立たせるような残念な言い回しをするのだ。顔は天使の少女から「あんたみたいな軟弱な男が騎士になれるわけがない(まだ体がちいさいのだから無理に剣を振るってはいけないわ)」「脳筋のくせにまとわりつかないでよ(男の子と遊んだことがないの、ごめんなさい)」などと言われて、衝撃のあまりザカリーは泣きながら母のスカートの中に潜り込んだ。未だに消去したい思い出の一つだ。
母親同士はザカリーとロージーを婚約させたいと思っていたようだが、初対面でこんな調子だったし、スピネット家の第二子が結局女の子だったことでこの話は流れたと後から聞いた。
それから十余年、ザカリーは訓練を重ね、父が騎士団の一つを任されているという伝手もあって順調に出世の階段を上っていた。領地から王都のタウンハウスに移り、訓練生にもかかわらず第二王子から側近にならないかと声をかけられていた。
「お前がベケット団長の息子か」
出会った第二王子のヘイスティングズは金髪に飴色の瞳をした、眩いばかりの美男子だった。とても堂々としていて、これが王族の貫禄かとザカリーは感心する。
「スピネット家のロージー嬢と従兄妹同士だと聞いたが…彼女はどんな人物なんだ?」
「は?…ロージー・スピネットは確かに従妹ですが、彼女がどうかしましたか?」
ザカリーの問いに答えたのは、第二王子の傍らに侍る宰相子息だった。
「ロージー嬢をはじめ、婚約者候補の令嬢が王宮に招かれて淑女教育を施されることになりました。私、クィンシーの妹パトリシアや、そこにいるデクスターの義姉のスカーレット嬢も候補者です。伯爵家の令嬢も招かれますが、おそらくはこの三人のうちの誰かがヘイスティングズ殿下の妃に選ばれます」
「…ロージー嬢とは十年以上も前に会ったきりです。その後彼女の叔母にあたる私の母が亡くなりましたので、交流はありませんでした」
ザカリーの母は八年前に馬車の事故で亡くなった。その後父は部下だった女性を後妻にし、腹違いの弟が生まれている。
「少し気の強い女の子だった記憶があります。ただ、六歳の頃の話なので性格も少し変わっているのではないですか?」
「そうか…。ロージー嬢が私の婚約者になる可能性が高いから何か聞けるかと思ったが…。まあいい。これからよろしく頼む」
そんな話があったのでロージーに再会する可能性はあると思っていたが、その時は意外にも早く訪れた。
その日はヘイスティングズ王子の使いで西館を訪れていた。いくら王子の命とは言え、本来東館にしか出入りできないザカリーはあまり西館をうろうろできない。用を済ませて手早く戻ろうとしたのだが、廊下を曲がろうとしたときに一人の少女とぶつかりそうになったのだ。
「…っ、すまない!」
「い、いえ…。私の方こそ、前を見ていなくて」
愛らしい顔立ちをした、茶色の髪の少女だった。ザカリーはすぐに謝罪して立ち去ろうとしたのだが、少女の目がはらはらと涙をこぼしていることに気づいてつい足を止めてしまった。
「もしかして驚かしてしまったか?」
「いいえ、…いいえ。騎士様のせいではないのです。ちょっとつらいことがあって、情けなくて涙が…」
ザカリーはつい少女に何があったのか聞いてしまった。ロージーとの初対面以来、ザカリーは気の強い女性が苦手になり、反動でお淑やかで儚げな女の子ばかりに恋をするようになってしまった。そしてその時出会ったスーザン・アプトンは、まさにザカリーの好みの真ん中だったのだ。
廊下で話すのは誰かに聞かれてしまうからと中庭に促され、スーザンは王宮内でいじめにあっていると話した。なんと王子たちの妃を決める淑女教育に、スーザンは子爵令嬢ながら参加しているというのだ。しかしその優秀さを他の令嬢たちに嫉妬され、子爵家出身という身分を理由に虐げられているという。先日は授業中に紅茶をかけられたあげく、宰相のご令嬢に火傷を負わせたと謹慎を言いつけられたらしい。
「誤解なんです。パトリシア様が急に腕を振り上げて、紅茶がかかってしまって…。先生もみんなも見ていたはずなのに、私がわざと溢したって…」
泣きながら話すスーザンの小さな背中は震えていて、とても演技には思えなかった。
「そうだったのか、辛かっただろう…」
「ありがとうございます、ザカリー様。話したら少しすっきりしました。…あ、すみません。ベケット伯爵子息様でしたね」
「ザカリーで構わない。私には婚約者はいないから、とやかく言う人間はいないしな」
ザカリーは中庭のベンチから立ち上がり、スーザンに手を差し伸べた。
「さあ、部屋まで送っていこう」
「ありがとうございま…」
スーザンの動きが止まった。灰緑色の瞳が大きく見開かれている。ザカリーがつられて振り返ると、中庭の入り口をふさぐように気の強そうな美女が立っていた。そのオレンジ色の特徴的な瞳には見覚えがある。
「…ロージー、嬢か?」
「スーザン・アプトン子爵令嬢…。あなたは謹慎中のはずでしょう?どうして部屋の外に出歩いているのですか」
「ち、違います…。わ、私…」
スーザンは青い顔をしてぶるぶると震えている。まさか、スーザンを陥れた令嬢とはロージーのことなのか?
「スピネット侯爵令嬢、それ以上近づかないでもらおう」
「どういうこと?あなたに関係ないことですわよね?」
「彼女がこんなに怯えているんだ。騎士として黙って見過ごせない」
「あなたはこれくらいの演技も見破れないの?相変わらず脳筋なのね、ザカリー」
ザカリーの頭にかっと血が上った。
「俺の名前を気安く呼ぶな!」
「そこをどきなさい。スーザン嬢をバーンスタイン伯爵夫人の所へ連れて行きます」
それでもザカリーはどかなかった。やっぱりとんでもない女だった。王子妃になるために優秀なスーザンを陥れようとしたのだ。結局押し問答になり、互いにヒートアップした結果、ザカリーは剣の柄に手をかけてしまった。
そしてその行動が、ザカリーの運命を大きく変えてしまった。
「この…っ、大バカ者がぁ!!」
「ぐがっ!」
頬を思い切り殴られ、ザカリーは吹っ飛ばされた。
あの後ロージーの護衛騎士たちと一触即発になってしまったものの、一人の令嬢の介入で最悪の事態は免れた。しかしスーザン、ロージー、そしてザカリーはそれぞれ処分を受け、ザカリーに至っては王宮内で侯爵令嬢相手に剣を抜こうとしたことで一時牢に入れられてしまった。鬼のような顔でザカリーを迎えに来たのは継母のワンダで、彼女はザカリーが屋敷に一歩足を踏み入れるなり張り倒した。
…そう、ザカリーを殴ったのは元女騎士の彼女である。
義理の母子ではあるが、ワンダはザカリーをベケット家の嫡男として丁寧に接し、今まで関係は良好だった。男爵家出身の、あまり上昇志向のないさっぱりした性格の女性なのだ。なのでワンダに怒られたことも、殴られたことも、ザカリーには初めてのことだった。
「こんのクズ野郎が!!貴族令嬢相手に剣を抜こうとしただぁ?しかもただの口喧嘩でか?騎士の剣を何だと思ってやがる!!」
…これ、ベケット伯爵夫人の台詞です。ちなみにこの台詞の間にも、ハイヒールでの蹴りで追い打ちをかけられています。
「は、継母上…っ、ちょ、ちょっと…待っ…は、話、を…」
「ああん!?てめえは相手の話も聞かずに暴力をふるおうとしたんだろうがよ?なのに自分の話は聞いてほしいだぁ?何様のつもりだ!!」
「で、ですが…っ。相手は大人数で…!」
「ロージー嬢が武装でもしてたのか?スカートの下にナイフでも隠し持ってたのか?丸腰のご令嬢にてめえは剣を抜いたんじゃ!」
「はう…!!そ、そこは…!」
「最終的に抜かなかったからこの程度で済んだんだよ!抜いていたら、旦那様と私は爵位返上の上、切腹するところだっての!」
「や、やめて…、そこだけは…っ。そこへの、攻撃だけは…、どうか、ご勘弁を…!!」
「母上!!?何してるんです?やめてください!兄上が死んでしまいます!!」
二人の間に入ってきたのはワンダの息子でザカリーの異母弟スペンサーだった。
ありがとう、心優しい弟よ。
「こんなクズ男の遺伝子なんて、絶えればいいんじゃーーー!!」
「なんのトラウマ!?」
継母の鉄拳制裁にすでにぼろぼろになったザカリーを見たベケット伯爵は、さすがにそれ以上の叱責はしなかった。ただザカリーの騎士団入隊の内定が取り消され、半年間王都に立ち入ることを禁じられたとだけ伝えられた。ちなみに父は今回の件で辞表を提出したものの留保されたらしい。
ザカリーは休暇を取った父に付き添われ、領地に戻った。
それから半年…。
ちょうど処分として申し渡された半年の期間が明けるころ、ザカリーはヘイスティングズ王子が失脚したことを風の噂に聞いた。
ザカリー視点はもう一話あります。
彼はこの後登場が増えるので、どうかお付き合いください。




