表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/66

09 変わっていく状況



 フィオレンツァがアレクシスの婚約者として発表されると、本人はもちろん周囲もにわかに慌ただしくなった。


 「引っ越し!?スカーレット様のお屋敷にですか?」

 バーンスタイン夫人にすぐに西館の部屋を退去するように命じられ、フィオレンツァは命令の意味が分からず首を傾げた。アレクシスと式を挙げるまでの半年以内にスカーレットに仕事を引き継ぐことは理解したが、別に彼女と居住を共にする必要はないはずだ。

 「スカー…テルフォード女公爵様のご希望ということになっていますが、実際はアレクシス殿下の指示です」

 そう説明するバーンスタイン夫人の言葉は、後半はフィオレンツァにしか聞こえないほど抑えられていた。彼女は侍女たちを伴って部屋に入ってきており、フィオレンツァが引っ越しに同意する前にすでに荷物の移動を始めている。バーンスタイン夫人は侍女たちの作業の邪魔になるからとフィオレンツァを隣にある自分の部屋へと誘導した。


 「大丈夫ですか、フィオレンツァ」

 「…ええ。はい」

 フィオレンツァは用意された椅子に倒れこみそうになるが、はっとして居住まいを正した。大事なことを忘れていたことに気が付いたからだ。

 「バーンスタイン夫人…。申し訳ございません、今日まで指導していただいたのに、結局夫人の後を継ぐことはできませんでした」

 「謝罪なんて必要ないわ。私こそごめんなさいね、少し前からこうなることを知っていたのよ」

 それはそうだろう、フィオレンツァの後釜にスカーレットが決定していると聞いたから、バーンスタイン夫人が何も知らなかったはずはない。

 「黙っていたのはぎりぎりまでどうなるか分からなかったからよ。アレクシス殿下は慎重に動かれていたけれど、状況次第ではやはり別の方と婚姻を結ばざるを得なくなっていたかもしれない。かといって、先にあなたを婚約者だと発表してけん制するには、あなたの後ろ盾が弱かったから…」

 「そうだったのですね」

 「フィオレンツァ、いまや王宮内はあなたにとって安全とは言えないわ。王妃様はこの婚約に納得していらっしゃらない…未だにスピネット家のクラーラ嬢を宛がいたがっているの。あの方にとって、アレクシス殿下は自分を飾るアクセサリーのようなものよ。最高の家格の令嬢、アレクシス殿下と釣り合う年齢の令嬢で装飾したがっているわ」

 「王妃様が私を害すると?」

 「ありうる話よ。一部の者しか知らないけれど、亡き側室様との応酬を考えれば…」


 亡き側室…ヘイスティングズ元王子の生母ヘロイーズ妃。彼女が妊娠してから三年前に失脚するまで、毒殺未遂や暗殺者の侵入など、東館では様々な事件が起こっていたらしい。感情的だったヘロイーズ妃ばかりが注目されるが、グラフィーラ王妃も目障りな側室母子を排除すべく様々な手を講じていた。それが表ざたにならなかったのは、結果的にユージーンとヘイスティングズが無事だったからで、彼らの周囲の人間は何人も命を落としている。

 そして三年前、ヘイスティングズが決定的な事件を起こしたことで、とうとうヘロイーズ妃は息子ともども失脚した。ヘロイーズ妃は離縁されて実家に戻った後に変死しているが、王妃の仕業に間違いないだろう。そして幽閉されていたヘイスティングズも、ユージーン王太子が結婚した直後に部屋で首を吊っているのが発見された。

 バーンスタイン夫人をはじめ、事情を知る者たちはこれも王妃の仕業とみている。ヘイスティングズは仮にも現国王の息子だ。それにやったことはただの婚約破棄で、王族に相応しい振る舞いとは到底言えないまでも処刑するほどの罪ではなかった。本来ならば王太子夫妻に子供ができてから王籍から除籍され、子供ができない処理をしたうえで修道院に入れるはずだったのだ。しかしヘロイーズ妃の息子が生きているという事実がグラフィーラ王妃にとっては我慢ならないものであったのだろう。

 

 バーンスタイン夫人からグラフィーラ王妃の隠された気性を聞き、フィオレンツァはぶるりと身を震わせた。アレクシスが神経質になるわけだ…むしろ、よく今まで無事だったものだ。いくらぎりぎりまで婚約が決まらなかったからと言って、さすがに昨日今日決まったとも思えない。数か月前にはフィオレンツァの存在は王妃の耳には入っていただろう。

 「もしかして私、守ってもらっていましたか?」

 バーンスタイン夫人はその言葉ににっこりと笑った。アレクシスはこの数か月、フィオレンツァの護衛を増やし、王妃を監視していたのだろう。バーンスタイン夫人や、おそらくはヨランダも知っていたはずだ。フィオレンツァはようやく全ての状況を把握して、胸が熱くなった。

 「ありがとうございます、夫人…」

 「フィオレンツァ、あなたは素晴らしい女性よ。私が教えたことは決して無駄にはならないわ」

 「はい、はい…っ」

 いつの間にか涙が零れている。

 震えるフィオレンツァの肩を、バーンスタイン夫人はそっと抱きしめてくれた。

 「私の可愛い娘…幸せにおなりなさい」



 侍女たちが服や小物を箱に詰め、自前の家具は男性の使用人が運び出した。それでも大きな家具は王宮から支給されたものなので、大した量にはならない。フィオレンツァの引っ越し作業は二時間弱ほどで終了した。荷物の確認を終えたフィオレンツァが用意された馬車へ向かう。仲の良かった女官仲間や、侍女たちが見送りに来てくれていた。

 「アガタ!」

 「フィオレンツァ様、おめでとうございます」

 三年半前、初めて王宮にやってきたときに世話をしてくれた侍女のアガタがいた。専属がヨランダに代わってからは別の担当になっていたが、それでも同じ西館で働いているので定期的に顔を合わせていた。

 「本当に良かったですわ。どうか幸せになってくださいね」

 「アガタったら…まだ婚約しただけよ?それに引き継ぎの最中は何度か王宮に戻ってくるわ」

 また涙がせり上がってくるのをこらえ、アガタと笑顔で言葉を交わす。同僚だった女官たちにも挨拶をして、ようやく馬車へと乗り込んだ。これから結婚までの半年間、これまで学んだことをスカーレットに引き継ぎし、必要な時だけ王宮に通うことになる。

 

 「…あら?」

 てっきりヨランダがいるかと思ったのに、馬車の中には予想とは別の人物がいた。

 「殿下…」

 「心配だから送るよ」

 「ご公務はよろしいのですか?」

 「ちゃんと戻ってからやるよ」

 手招きされて、アレクシスの隣に座る。窓にはカーテンがかけられているので、王子が馬車の中にいることは分からないだろう。

 「ヨランダは?」

 「もうテルフォード家に向かってもらった。あちらで君を待っているよ」

 「…ヨランダは殿下の部下ですね」

 「そうだよ。君を手に入れたいと思った日から、君を守るために手配した」

 「…」

 「怒っているの?」

 「いいえ、大体の事情はバーンスタイン夫人から聞きました。守っていただいてありがとうございます」

 馬車が走り始めた。アレクシスの腕がフィオレンツァの腰を抱き寄せる。

 「母上に手出しはさせない。でもこうして婚約を発表した以上、母以外にも君を害しようという者が出てくるだろう」

 「…ええ」

 落ちぶれかけた伯爵の娘…それも王子より年上ならば、自分の娘だって、姉妹だって…。そう考える貴族は必ずいるだろう。

 「それにスピネット家もきな臭い。侯爵とロージー嬢が何とか抑え込んでいるけれど、侯爵夫人はクラーラ嬢を僕の妻にねじ込むことをまだ諦めていないようだ」

 「…」

 なんか、各方面に命を狙われてないか?今更ながら、すごいことに巻き込まれていることを自覚する。フィオレンツァがぐるぐる考えていると、急にアレクシスの腕の力が強くなった。

 あれ?と思ったときには唇を奪われていた。

 「…ん?」

 すぐに唇は離れたが、アレクシスの顔は近いままだ。なんだか嫌な予感がした。っていうか、今のはファーストキスじゃなかろうか。もう少し色っぽい雰囲気を作ってほしかった。

 「あの…殿下」

 「そろそろ名前で呼んでくれないか?」

 「いえその…」

 「っていうか、まだ僕のことを子ども扱いしてるでしょう?隙があり過ぎなんだけど」

 「そんなことは…」

 あるかもしれない。

 ごくごく自然に隣に座ってしまった。

 「半年後に結婚するんだからね、もう少し自覚してほしいな」

 フィオレンツァは後ずさろうとするが、アレクシスの腕の力は思いのほか強かった。16歳…前世では高校一年生か。確かにこのくらいで男子は一気に体つきが変わることが多い。背が伸びたとは思っていたが、胸の厚みは増し、腕もフィオレンツァより倍近く太くなっている。可愛い可愛いと愛でていた顔つきは、いつの間にか精悍になっていた。そうだ、もう少年ではないのだ。

 「ん…、殿下…」

 「ほら、名前」

 「アレクシス様…っ」

 逃げることが叶わないフィオレンツァは、あちこち「味見」されながら冷静に分析するしかなかった。

 


 テルフォード女公爵に与えられたタウンハウスは王宮から馬車で数分の場所にある。

 しかしフィオレンツァを乗せた馬車はどういうわけか遠回りし、三倍近くの時間をかけて目的地に到着した。やきもきしながら主を待っていたヨランダは、ぐったりした様子でアレクシスに抱きかかえられて出てきたフィオレンツァに仰天する。

 「殿下…」

 「まだ食べてないよ?」

 アレクシスは馬車から出た直後は飄々としていたが、射殺さんばかりの部下の目つきにさすがに背筋を伸ばすことになった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ