06 第三王子は結構前から暗躍していた(2)
とある侯爵夫人が催したお茶会に参加した王妃がこう漏らしたらしい。
「アレクシスの妃には、スピネット家のクラーラ嬢しかいないと思っている」
なんて無責任なことを言うのだとアレクシスは天を仰いだ。
急遽テッドメイン宰相にコンタクトを取り、本館の一室で話し合いをする。誰かに見咎められていらぬ詮索をされるかもしれないが、ことは急を要した。
「お茶会は…確か二日前だったよね。なんてことだ、あの侯爵夫人のお茶会だと、もう噂が広まり切ってるよ」
「ええ、手の者に調べさせましたが、アレクシス殿下とクラーラ嬢がすでに内々に婚約しているという話にまで発展しています」
「…もしかして、僕って母上に愛されてない?」
このまま噂が広がってクラーラが今の婚約を破棄なんてことになれば、アレクシスは自分の都合で他家の婚約を破棄させたという者も出てくるだろう。また、侯爵家の後ろ盾を得てユージーンから王太子の地位を奪おうとしているという疑いも状況的に絶対に出てくる。実の母親がこんな事態を引き起こすなんてあんまりである。
テッドメイン宰相がアレクシスを不憫なものを見る目で見てくる。
「王妃様のことですから…ご自分の息子たちが争うなんてことを夢にも思っていないのでしょうね。当事者たちはともかく、王位ともなれば周囲が勝手に憶測し、煽り、化かし合うというのに」
「…スピネット侯爵はどうしている?」
「スピネット侯爵はこの話に、あわよくば…と思っているようですね。期待をかけていたロージー嬢が王子妃になれず、王家に食い込むという計画が崩れ去ったのです。このまま放っておけば、クラーラ嬢の今の婚約を白紙にしようと動き出すでしょう」
「スピネット侯爵って、そんなに考えなしだったっけ?」
「目の前に極上の肉がぶら下げられて、つい食いついてしまったのでしょうな。…少しお仕置きしますか」
「うーん、この手はもう少し後に使いたかったんだけどな」
アレクシスはため息をついた。
「あとは…ユージーン兄上にも協力してもらうか。ぎりぎりになってから計画を話すつもりだったのに」
それから数日後のこと。
領地から王都に戻ったロージーはスピネット家のタウンハウスに向かっていた。ロージーは第二王子の婚約破棄騒動の後、スカーレットの後を追うように侯爵家の領地に戻っていた。幼馴染と会ったり、新しい婚約者の釣書を吟味したりしながらしばらく静養していたのだ。ところがそんな彼女の元へ実家に関するただならぬ噂が聞こえてきたため、慌てて荷物をまとめて王都に戻ってきた。
執事に父が執務室にいることを確認し向かっていると、目的の部屋から金切り声が聞こえた。どうやら先客がいたようだ。
少し待っていると、顔を真っ赤にした母である侯爵夫人が出てきた。ロージーに気が付くと、忌々しそうに睨みつける。しかしそのまま何も言わずに立ち去ってしまった。
「お父様、ロージーでございます」
「…ロージー!戻ってきたのか」
許可を得て執務室に入ると、父のスピネット侯爵が頭を抱えて椅子に座っていた。外交という華やかな職務に相応しく、どこか人好きのする優し気で整った顔立ちをしている。しかしそれは見せかけだけということを娘であるロージーはよく知っていた。
「お父様、先触れも出さずに申し訳ございません。しかしただならぬ噂を耳にしたもので、事の真偽を確認しに急ぎ戻って参りました」
《噂》というワードにスピネット侯爵は過剰に反応した。
「どんな噂だ!?」
「…我がスピネット侯爵家が、第三王子のアレクシス様にクラーラを娶らせ、そしてアレクシス様を担ぎ上げて王太子にしようとしていると」
「王都に近いとはいえ、領地にまでそんなに早く…」
「どういうことなのですか?まさかクラーラの婚約を解消させて、アレクシス様の妃になんてお考えではありませんわよね?どうかスピネット家を貶めるようなことだけはお止めください!」
「…」
「お父様!」
「先日、王妃様がアレクシス殿下の妃にクラーラが相応しいとおっしゃられたらしい」
「王妃様が!?なんと迂闊なことを…」
王妃が発端だったとは。第二王子の婚約破棄騒動で王家の信頼が揺らいでいるというのに、さらに同じことを繰り返そうというのか。
「お父様…まさかベル家に婚約を解消したいなどと打診しておりませんわよね?」
ベル家とは、クラーラが婚約している子息の実家だ。このベル子爵家の次男を婿に迎え、クラーラは侯爵家を継ぐことになっていた。
「私が行動を起こす前に、お前が聞いた噂が王都中に広まったのだ」
「…」
行動を起こす前に、ということは、あわよくば王妃の失言に便乗しようと思っていたのだろう。父の強欲さにいらっとしたロージーだが、話が進まないので聞かなかったことにした。
「この話をよく思わない人間が…まず間違いなく王太子殿下とパルヴィン家だろう…クラーラが王子妃になるのを阻止しようとしている」
「当たり前ではないですか。王太子殿下がパルヴィン家の令嬢を選んだ時点で、我が家は王子妃を出すことはできません。もしクラーラが婚約していなければ大変なことになっていましたわ。王太子殿下が王位を継げば、我が家はアレクシス殿下ごといらぬ疑いをかけられて失脚していたかもしれません」
「そもそもお前が王太子殿下を射止められなかったから…」
「幼女好きに私がどうアプローチすればよかったのです!?それを言うならば最初から私を後継ぎにしてクラーラを妃教育に送り込めばよかったでしょう!ユージーン殿下の女性の好みを調べるのを怠ったお父様のミスですわ!」
「…うっ」
それを言われるとスピネット侯爵も黙らざるを得なくなる。ユージーン王太子はロージーをはじめ年の近い令嬢に見向きもしなかったらしい。エステルより一つ年下のクラーラが妃教育に参加していれば、もしかしたら…。
「もういいですわ、分かりました」
ロージーが額を押さえながら首を振る。
「下手に火消しに走らない方がよいでしょう。とにかく、お母さまとクラーラが暴走してベル家に婚約解消を打診しないようにくぎを刺してくださいませ」
「それはたった今したところだ。クラーラはアレクシス殿下に会いに王宮に行くと言ってきかないので部屋に閉じ込めている。ビヴァリーには迂闊なことを話さないように言っておいた」
さすがにやり手と言われているスピネット侯爵だ。守りに入ると決めたら行動は早い。それに対し、クラーラは早速家を危機に陥れかねない行動をとろうとしていたようだった。
「お母さまとは先ほどすれ違いましたわ。納得していらっしゃらないようでしたわね」
「あれはクラーラを可愛がっているからな。あの子が王族になれるかもしれないと期待が大きかった分、受け入れられないのだろう」
「お母さまとクラーラのことはお父様にお任せしますわ。私が何を言ってもあの二人は聞き入れませんもの」
侯爵夫人のビヴァリーは、同じ腹を痛めた娘でも自身の髪や瞳の色を受け継いだクラーラばかりを溺愛していた。対するロージーは父親…というよりは父方の祖母、つまりビヴァリーの姑に容姿が似ており、成長するにしたがって敬遠されている。
「ベル子爵のお屋敷には、明日にでも私が向かいます。このような事態になったことを謝罪し、婚約の解消はあり得ない、ぜひご子息に婿に来てほしいと改めて説明しなければ。今は足元を固めて嵐が通り過ぎるのを待つしかありません」
「それしかないな。…あとは王妃様だが」
「バーンスタイン夫人を通して王宮の様子も探ってみます。王妃様個人からお誘いがあっても、理由をつけて決して応じないでくださいませ。噂を流したのは王太子殿下で間違いありません。こちらから王妃様やアレクシス殿下に接触さえしなければ、あちらで抑え込んでくれるはずです。王太子になったばかりのユージーン殿下がお父様を下手に失脚させれば、重臣たちの信頼を損なう恐れがあります。今はそこまでしないでしょう」
王妃の失言に端を発したこの騒ぎは、噂が広まるのも早ければ収束するのも早かった。危機を察知していち早く王家から距離を取ったスピネット侯爵と、それをサポートしたロージーの尽力も大きい。
しかし表向きは収まった噂も、一部の人間の心には燻ぶり続けた。
そしてそれが三年も続こうとは、アレクシスも予測しえなかった。




