01 悪役令嬢は一足先に成り上がっている
あの日から三年の月日が流れた。
フィオレンツァはあの後まもなくバーンスタイン夫人の後継者として正式に王宮女官に採用になった。バーンスタイン夫人の補佐として忙しい日々を送っている。
「んふふふ…」
「フィオレンツァ様、気持ちの悪い笑い方をするのはやめてください」
給与明細を見てにやついていたフィオレンツァにヨランダが呆れた顔をする。フィオレンツァが正式に女官に採用されて新しい部屋を与えられると、ヨランダは彼女の正式な専属侍女となっていた。
「毎月給与明細が来ると、フィオレンツァ様はいつも幸せそうなお顔をなさりますね」
「それはもちろんよ!この世は金、金、金よ!!本当に女官になってよかったわ!」
「フィオレンツァ様…王宮女官はただでさえ婚期が遠のくと言われているのですから、そのような言動はお控えください」
「ヨランダったら、お金はすごく大事なのよ?」
「私の実家は男爵家なので、それはよく存じております。口にするのは良くないと申しただけです」
王宮の女官となった初めての月、ホワイトリー家の使用人たちに半年間待ってもらっていた給与を一気に支払えるほどの金が口座に入った。わかるだろうか、こらえてもこらえてもあふれ出す嬉しさが。フィオレンツァはあの日、本気で空を飛べる気がした。女官万歳。高給取り万歳。行き遅れがなんだというのだ。ばっちこいである。
その日を境にフィオレンツァはせっせと稼いだ金を実家の伯爵領に送っていた。三年たった今、父の話では実家の借金はほとんどなくなり、11歳になった嫡男のミリウスに縁談の話がいくつか来ているという。資金面に余裕ができたことでワイン用の葡萄の栽培などいくつかの事業も軌道に乗り始めていた。
「ご実家の父君と弟君はもうお金を援助しなくてもいいとおっしゃっているのでしょう?そろそろフィオレンツァ様もご結婚をお考えになっては?」
「そうは言ってもねぇ…。もう19歳で伯爵令嬢としては立派な行き遅れだし。実家だってまたいつ傾くか分からないじゃない?やっぱり貯金かしら…」
この国では国家に承認された立派な銀行がある。働いたら働いた分だけお金が貯まるのだ。
ヨランダはそれ以上は何も言わず、今日も新しく差し入れられた花を一輪、花瓶に飾るのだった。
ヨランダに身だしなみを整えてもらい、少し早めに自室を出る。ここ数日、フィオレンツァをはじめ王宮女官は忙しかった。爵位授与の式典が開かれることになり、対応に追われていたのだ。
爵位授与に関しては式の当日まで秘されることが多く、フィオレンツァにも誰が何の功績でどの爵位を得るのかまでは知らない。あのヘイスティングズ元王子の婚約破棄騒動以来、爵位を得た貴族はいないため、フィオレンツァにとっても初めての式典だ。ルーズヴェルト王国は爵位の授与や後継に関する締め付けが厳しいため、そう何度も行われる式典ではない。ここでしっかり内容を頭に焼き付けておこうと意気込んでいた。
「フィオレンツァ…フィオレンツァよね!?」
呼び止められ、フィオレンツァは後ろを振り返った。懐かしい声にまさかとは思ったが…。
「スカーレット様!」
「久しぶりね、元気だった?」
「ええ、もちろん。ブレイク様も。結婚式以来ですね」
二年ぶりに会うスカーレットだった。縦ドリルを卒業し、赤い髪を後ろで上品にまとめている。彼女の傍らには、かつてアレクシス王子の従者だったブレイクがいた。
あのヘイスティングズとスーザンが画策した愚かな婚約破棄の後。ティンバーレイク領に戻ったスカーレットだったが、一年後に突然ブレイク・タルボットと結婚すると発表して世間の度肝を抜いた。というのも、皆がスカーレットはティンバーレイク家の後継とされていた養子のデクスターと結婚すると勝手に思っていたからだ。
なぜならば公爵位は後継に関する条件が特に厳しく、当主の直系の男児でないと家格が下がる。ティンバーレイク公爵の実の子供は長女スカーレットと体の弱い次女しかいないため、デクスターが当主になる際は侯爵以下になることが決まっていた。もしデクスターの妻になる女性が公爵の直系の女子ならば侯爵位、それ以外ではたとえ親類関係にあっても伯爵位になる。公爵は王家に連なる血筋でなければならず、家の乗っ取りを防ぐためでもあるからだ。ゆえにスカーレットは実家の家格を伯爵位まで下げないためにも義弟のデクスターと結婚し、侯爵夫人になるのだろうというのが大方の見方だった。
しかしデクスターはティンバーレイク家の後継者のまま、スカーレットは全く公爵家とは関係のないブレイクに嫁いだ。ブレイクはタルボット家の三男なので、継ぐ家はない。スカーレットとブレイクはティンバーレイク領で暮らしているが、貴族籍にはあってもティンバーレイク家の親戚…という微妙な立ち位置なのである。スカーレットほどの血筋と能力がありながら、ある意味無為とも思える結婚をしたことに皆は首を傾げた。
かといって、彼女がティンバーレイク公爵が溺愛する娘であることに変わりはなく、しかもブレイクはアレクザンドラ王太后の血縁者。フィオレンツァが招待された結婚式は豪勢なものだった。一目で上等と分かるウェディングドレスをまとったスカーレットは夢のように美しく、いつもは吊り上がり気味の彼女の目元が、ブレイクを見るときだけ優しく緩んでいた。
ロージーに至っては「あの赤ドリルはこれで終わるような女じゃない。目を覚まさせてやる」と意気込んでいたのに、スカーレットの心からの笑みを見た途端にワインを浴びるように飲んで男泣きしていた。それをパトリシアと二人で慰めたのも今はいい思い出である。
「スカーレット様、王都にいらっしゃるということは、もしかして明後日の式典に参加されるのですか?」
スカーレットもブレイクも公職にはないため、普段はティンバーレイク公爵領に滞在していたはずだ。わざわざ王都に来るということは、爵位授与の式典に招待されたのだろう。王家に縁の深い二人の立場ならばありうることだった。
「…もちろんそうよ。フィオレンツァは女官としての仕事が忙しそうね」
「ええ、式典の準備に追われていて…。今日はどうして王宮に?」
「ちょっと待ち合わせをしているのよ。…ああ、いらしたわ」
スカーレットが目線で指した方を向く。その相手を見た途端、フィオレンツァは唇を引き締めた。ゆっくり呼吸を整え、居住まいを正してカーテシーをする。隣のスカーレットも完璧なカーテシーをしていた。
「アレクシス殿下、お久しぶりでございます」
「待ったかい?ブレイク、スカーレット夫人…」
第三王子アレクシス。
フィオレンツァが初めて会ったとき12歳だった彼は、16歳の成長期真っ盛りだった。可愛らしかった顔つきは精悍になり、華奢だった体つきは連日の剣の訓練のおかげで厚みのある筋肉質なものになった。身長はまだ伸びている途中で、先日見かけたときはフィオレンツァとさして変わらない背丈だった。あと三ヵ月もすれば抜かれてしまうだろう。それでも整った美貌はそのままで、未婚の貴族令嬢はもちろん、王宮の女官侍女に至るまで魅了している。
「フィオレンツァだね。久しぶり」
「は、はい…殿下」
名前を呼ばれて顔を上げる。しかし目線が合うとかっと首から上が火照り、慌てて目を伏せた。
アレクシス王子を見るたびに思う。可愛い成分が…抜けた。この三年で少しずつ、少しずつ抜けていき…とうとう消えてなくなった。さらばエンジェル。
今やもう、あふれる色気、色気、色気だ。信じられない、まだ16歳だよ?前世で見た小説で「あの男は女を見ただけで妊娠させることができる」という表現を見たことがある。その時はそんなことあるわけないだろと思っていたが、アレクシス王子を見る度に体がぞくぞくして逆に顔は熱くなる。本当の妊娠はともかく、想像妊娠くらいはしてしまいそうだ。
やばい、自分はもしかして欲求不満なのだろうか。
「フィオレンツァ、…フィオレンツァ――?」
「ぴゃあっ!!」
気が付けばアレクシス王子の顔が目の前にあって飛び上がった。
色気噴霧器に耐え切れず、すぐ後ろにいたヨランダの背に隠れる。
「ぴゃあって…酷いよ」
「す、すみましぇん。あまりの色気…じゃなかった、エロさ…でもなかった、高貴さに驚いてしまいまして…」
「…褒めてもらったのかな?」
「もちろんそうですわ、アレクシス殿下」
フォローしたのはスカーレットだ。再会した時も笑顔だったが、さらにいい笑顔になっている。隣のブレイクも、フィオレンツァの言動がおもしろかったのか肩をぷるぷるさせていた。
「そろそろ参りましょうか、殿下」
「そうだね。案内するよ。…またね、フィオレンツァ」
「は、はい…。ごきげんよう」
「フィオレンツァ、式典で会いましょう」
スカーレットたちはアレクシス王子と待ち合わせしていたようだった。王子直々に迎えに来たということは、これから王族と会うのかもしれない。フィオレンツァは己の素っ頓狂な言動に赤面しながら、何とかカーテシーを取って彼らを見送るのだった。
翌々日。爵位授与の式典が行われた。
夜には祝いのダンスパーティーが行われるが、夕方の式典は公職に就く重臣や、特に身分の高い選ばれた貴族しか参加しない。引き締まった空気の中、国王ガドフリーが朗々と宣言する。
「スカーレット・タルボットにテルフォード女公爵の位を授ける。同時に王家直轄地よりタリス地方を含む一部の土地を領地として授ける。今後はスカーレット・テルフォード女公爵を名乗るがいい」
「承ります、国王陛下」
先ほど公爵位は男しか継げない、と説明したが、例外はある。それは何らかの功績を上げた女性…それも王家か公爵家出身に限る…が、新たに名誉爵位を与えられる場合だ。女公爵は貴族女性の最高栄誉…そうそう授与されるものではない。
フィオレンツァは理解した。三年前にスカーレットが言っていた慰謝料はこのことだ。授与までに三年もかかったのは、ヘイスティングズが起こした騒動のほとぼりが冷めるのを待っていたのだろう。女公爵授与の理由は表向きは技術援助とされているが、察しが良い者にはこの裏側が見えている。
夫に選んだブレイクの存在もあるだろう。アレクザンドラ王太后の唯一の気がかりだったはずだが、子爵家の三男坊として生まれた彼を特別扱いするのは難しい。同じ方法を使ったとして、一代限りの伯爵位がせいぜいだ。ならばスカーレットに新たに公爵位を与え、その夫にして次代に血を繋げるチャンスを与えた方が王太后の憂いも消えるだろう。
フィオレンツァはバーンスタイン夫人の隣で優雅に挨拶をするスカーレットに拍手を送る。ロージーの言う通り、彼女はあれで終わらなかった。王妃、王太子妃に次ぐ、貴族女性としては最高の名誉を得たスカーレット。
新たな女公爵は悠然とほほ笑んでいた。




