11 告白
フィオレンツァとスーザンが極秘に面会した翌日、ティンバーレイク公爵家のタウンハウスでお茶会が開かれた。
「それではスカーレット様は王都を離れてしまわれるのですか?」
「…ええ。しばらくはゆっくりするつもりよ」
パトリシアの問いに答えたホストのスカーレットは、そのまま優雅に紅茶を口に運ぶ。何とも言えない顔をするフィオレンツァたちににこりと笑いかけた。
「心配しないで。今回の慰謝料はきちんとふんだくったわ」
「ふんだくったって…お下品ですわよ、スカーレット様」
お茶会に招かれたのはフィオレンツァ、パトリシア、ロージーの三人だけだ。数日中にティンバーレイク公爵家の領地へと旅立つスカーレットのためのこじんまりとしたお別れ会だった。
スカーレットはここだけの話、としながらもあの婚約破棄事件の裏側を教えてくれた。
「バーンスタイン夫人がスーザンに落第点を付けて早々に王宮から立ち去らせたかったことは気づいていたでしょう?待ったをかけていたのが王妃様だったのよ」
「お花畑令嬢が第二王子の周りをうろついているから、側室派を追い落とすために利用しようと思ったのね」
「ロージー嬢の言う通りよ」
グラフィーラ王妃は正妻だが、他国から嫁いできたためルーズヴェルト王国内では基盤が弱い。幸いにも最初に男児を儲けたものの、二年後に元侯爵令嬢で側室のヘロイーズも男児を生み、常に彼女と彼女の実家の侯爵家とは敵対してきた。
グラフィーラ王妃もなかなかだが、ヘロイーズ妃も結構過激な女性らしい。当時の他の側室候補たちは不可解な事故で死亡したり女性としては致命的な怪我を負ったりして脱落し、彼女は一人王宮に悠々と乗り込んだ。ヘイスティングズを産んでからは実家の人間を王宮に呼び寄せて周囲を固め、東館を我が物顔で闊歩した。ユージーン第一王子が襲われたり毒を盛られたりする事件も多々あったという。しかしそんなヘロイーズ妃は息子を舐めるように可愛がるばかりで、教育は実家が呼び寄せた教師に一任していた。それもヘイスティングズが嫌だと言えばあっさりと首を切られ、母子に媚びる者しか残らなかったらしい。ヘイスティングズのお頭のあの酷い仕上がりはそういった理由だ。
「うちのデクスターやパトリシアの兄上の他に従者がいたでしょう?あれが王妃様の手駒だったらしいわ」
パトリシアが頷く。
「そこは父からも聞きましたわ。その従者…名前は確かハーヴィーだったかしら。ヘロイーズ様にはスーザンのことを隠し、ヘイスティングズ様にもぎりぎりまで黙っておくように上手く言っていたみたいですわね。そしてあの二人を時には煽ってスカーレット様に難癖をつけさせたり…」
「ええ!?もしかしてあれ、演技だったんですか?」
フィオレンツァの第二の渾身の不埒者事件。
あれをやる必要はなかったの!?
「違うわ。きっと王妃様とハーヴィーにとってはそうだったけど、私はまだその時は何も知らされていなかったのよ」
スカーレットは慌てて首を振る。フィオレンツァがアレクシス王子に相談して初めて、スカーレットも王妃の思惑を知ることになったらしい。
基本的にこの国の貴族を信用していないグラフィーラ王妃は、スカーレットにも真実を伏せたまま第二王子との婚約を破談にさせるつもりだった。しかしいくら第二王子に非があるとはいえ、婚約破棄は女性側に大きな傷を伴う。あまりにスカーレットへの配慮が欠けているとアレクシス王子がグラフィーラ王妃を説得したらしいのだ。
「ブレイク・タルボットのことも、アレクシス王子の提案らしいわ。王太后のひ孫の彼なら、王妃の味方にも側室の味方にもならないし、その証言に誰も文句をつけられないって」
ガドフリー国王は自分がブレイクをスカーレットの監視役に抜擢したと言っていたが、筋書を書いたのはアレクシス王子だった。そうこうしているうちにスーザンは婚約式が行われる夜会が婚約破棄の舞台だと勘違いし、そこで大々的にスカーレットに婚約破棄を叩きつけるべきだとヘイスティングズに言い出した。それこそが第二王子と側室失脚の仕上げだとグラフィーラ王妃も思ったのだろう、ハーヴィーをスーザンに同調させ、浅はかなヘイスティングズをその気にさせた。あとはご存じの通りだ。
「王家には大きな貸しができたけど、逆にアレクシス王子には借りができてしまったわ」
スカーレットが何も知らされずブレイクの存在もないままあの場に臨めば、被せられた冤罪は曖昧なまま婚約破棄された可能性があった。スカーレットの父のティンバーレイク公爵はヘイスティングズにはもちろん、この事態をあえて放置したグラフィーラ王妃に思うところがあるらしい。それでもアレクシス王子が最小限の傷にとどめたことと、ガドフリー国王への義理で何とかこの事態を飲み込んだそうだ。
「王家からは婚約者を斡旋してやると言われたけど断ったわ。もっといいものをもらったの」
「…え、なんですか?」
「うふふ、あと三年もすればわかるわ。王家に世話されなくても結婚相手はきちんと自分で見つけるから大丈夫よ」
スカーレットは、王家から得た慰謝料の内容をとうとう明らかにしなかった。
「フィオレンツァ、王宮までうちの馬車で送るわ」
「すみません、スカーレット様。そうしていただけると助かります」
お茶会が終わった後、ロージーとパトリシアはそれぞれの屋敷の馬車に乗ってタウンハウスに帰って行った。フィオレンツァも辻馬車を呼んでもらおうと思ったのだが、スカーレットが公爵家の馬車を手配してくれるという。徒歩で王宮の門をくぐるのは、出るのはともあれ中に入るのに少し手間がかかるので、スカーレットの申し出はありがたかった。
それまで別室で待っているように言われ、玄関ホールにつながる部屋に通される。馬車を待つ客人のための控室のようだった。
「どうぞ中でお待ちください」
「はい…え、あのっ」
案内をしてくれた侍女に従って中に入ったまではよかったが、そこには先客がいた。仰天している間に侍女はさっさと部屋を出て扉を閉めてしまう。
嘘でしょう!?
いくら気心の知れたスカーレットの屋敷の中だからと言って、得体のしれない人物と二人きりはまずい。結婚願望がないとはいえ未婚の貴族令嬢なのだ。将来の王宮付き教師の職は目の前なのに、ここでおかしな噂を立てられては…!
扉を開こうとドアノブに手をかけるが。
「待って、フィオレンツァ嬢」
「…」
覚えのある声に動きを止める。この声は…。
「アレクシス殿下ですか?」
窓からの光が逆光になっているが、目を凝らせば先日会ったばかりの第三王子だった。ただいつものような煌びやかな服ではなく、従者や執事が着るような、ダークカラーの飾り気のないスーツ姿だ。眼鏡もかけているから、どうやらお忍びでこの屋敷にいたようだ。
「どうしてここに…」
「スカーレット嬢に頼んだんだ。王宮だとどうしても人の目があるからね」
こっちに来てくれる?と言われ、フィオレンツァはゆっくりと歩み寄る。眼鏡越しにアレクシス王子の緑の瞳を見つめた。彼の手には花束が握られている。いつかの時と同じく、赤い薔薇のみでできた花束。
「これ、今の僕の気持ち。どうか受け取ってほしい」
「…」
フィオレンツァは花束を受け取りながら、その本数をさっと数えた。
9本…『いつもあなたを想っています』。
「殿下…」
「ごめん、フィオレンツァ嬢。今は何も言わないでただ聞いてほしい」
「…」
「その花束に対する答えは今は出さないでほしいんだ。…だって、フィオレンツァ嬢は僕のこと弟としか思ってないでしょう」
「そんな…」
そんなことはない。
少なくとも、最初にもらったあの花束の意味を理解してからは彼からの好意をはっきりと感じ取っていた。だがフィオレンツァとアレクシス王子の間には、年齢的、身分的、状況的にいくつもの壁がある。彼のことを憎からず思いつつ、でも「結婚」というワードはどうしても浮かばなかった。
「僕は王族だ…いつ国の情勢が変わってもおかしくない。いくら王位から遠くても、政略結婚する必要が出てくるかもしれない」
フィオレンツァは頷いた。彼が言いたいことは何となく伝わってきた。
未来の約束などなくてもいい。こんなに純粋な想いを、いま真っすぐに向けられたことがただ嬉しい。
「ありがとうございます、アレクシス殿下」
フィオレンツァは花束を抱き寄せた。
「殿下に想っていただいたことは決して忘れません。一生の宝物にします」
もし彼が別の女性と人生を歩むことになっても、フィオレンツァはきっと祝福できるだろう。




