10 〇〇キャラだったスーザン
フィオレンツァは騎士に伴われて地下の階段を降りていた。
降りるたびにかび臭い匂いが漂い、空気が淀んでいく。そこは罪人が収容される地下牢だった。一応貴族専用の牢であるために多少は小綺麗にされているが、やはり地下にあるためか空気はどんよりと鬱屈していた。
「こちらです」
騎士がある牢を指し示す。
「…ありがとうございます」
「面会は20分間です。会話はすべて上に報告いたします」
「構いません」
フィオレンツァは頷くと、牢に向き直った。ベッドに横になっていたはずなのに、牢の中の人物はいつの間にか起き上がって昏い目でこちらを睨んでいた。
「スーザン、久しぶりね」
「…何しに来たのよ」
あの夜会から一週間。
王家の騎士に拘束されたスーザン・アプトンは、ティンバーレイク公爵令嬢を貶め、王家と公爵家が取り決めた婚約を妨害した罪に問われていた。暴力こそ振るわれていないようだが、連日厳しい取り調べが行われ、スーザンの顔からは生気が抜けている。差し入れられる水で体を清めることは許されているが、着替えもろくにできないために外見は薄汚れていた。
「どうしても聞きたいことがあって、バーンスタイン夫人やスカーレット様に根回ししてもらったの」
「聞きたいこと?」
「あなた、この世界をゲームだと言ったわね?スカーレット様は悪役令嬢だって…あなたは何を知っていて、何をしようとしていたの?」
スーザンがしたことは滅茶苦茶だった。子爵令嬢で、しかも王宮付き教師の後継者となるべく城に上がったはずなのに、勉強そっちのけで王子や貴族令息たちに色目を使う。明らかに身分が上の令嬢たちに阿るどころか喧嘩を売り、トラブルを起こす。挙句の果ては、あのお粗末な冤罪と不可解な婚約破棄だ。あんなものがどうして通用すると思ったのだろう。彼女はまるで現実を見ていない…それこそ、いつでもリセットボタンを押せるゲームをしているようだった。
「いいわよ、教えてあげる。こんなことを話せるのもきっと最後だもの」
「…」
「この世界はね、乙女ゲームの世界なの。主人公が攻略対象と恋愛をして、最終的には王妃か貴族の夫人になる恋愛シミュレーションゲームよ」
「…お、お、乙女ゲームって何?」
「…あら、本当に転生者じゃないのね。もしかしたらって思ったんだけど」
いやいや、ばっちりしっかり転生者である。しかし乙女ゲームとやらの知識は本当にゼロだ。
RPGゲームや格闘ゲーム、あとはパズルゲームならフィオレンツァも前世でプレイした記憶がある。恋愛シミュレーションゲームということは、疑似恋愛をするようなやつだろうか。プレイしたことはないが、確かにそんなジャンルのゲームもあった気がする。
「ヒロインは王子の婚約者候補として城に上がるの。そして二人の王子や宰相子息といったイケメンたちと出会うのよ…」
「そのイケメンが攻略対象なのね」
「ええ!第一王子に第二王子、公爵令息、宰相の息子、騎士団長の息子に商会の若い頭取よ!結婚したい相手を選んで、その距離を会話やイベントで深めていくの。そしてそれぞれにライバル令嬢がいるわ」
二人の王子を選んだ場合は妃候補の令嬢全員、宰相の息子の場合はその妹、公爵令息の場合は義理の姉、騎士団長の息子の場合は従妹の令嬢、そして唯一既婚者の商会頭取の場合は彼の妻がそれぞれ恋路を邪魔するらしい。ていうか、最後…いや、迂闊なことはしゃべるまい。
つまり宰相の息子はクィンシー・テッドメイン、公爵令息はデクスター・ティンバーレイク、騎士団長の息子はザカリー・ベケット、そして商会の頭取はアーヴァイン・ケンジットなのだろう。そしてスカーレット、パトリシア、ロージー、シャノンがライバル令嬢だということか…シャノンは令嬢ではなく頭取夫人だが。
「いやいや、最後は浮気でしょ!?略奪でしょ!?」
あ、ツッコんでしまった。
「婚約破棄イベントを起こすために逆ハーする必要があったのよ。アーヴァインは平民だったけどずば抜けて美形だったしお金持ちだからキープしたかったのに。元貴族でプライドが高い奥さんに長年冷たくされて、その傷ついた心をヒロインが癒す設定だったのに…王宮に来たのは一回だけで、しかも未だに奥さんとは離婚してないって言うじゃない!訳が分からないわッッ」
「…」
逆ハーって…あ、多分逆ハーレムのことだな。キープってキープ…ああもう、腹が立つしどこから何を言っていいやら。
フィオレンツァが前世の記憶と現世の怒りで混乱しているのをよそに、スーザンはさらに話し続ける。
「もし王子のどちらかを選んだら、もう一方の王子の婚約者が必ずスカーレットになるの。そしてスカーレットと相手の王子はヒロインに様々な罠を仕掛けてくるわ。そしてヒロインは選んだ王子とともに困難を潜り抜け、最終的に二人が王位に就くのよ」
「…ちょっと待ってよ、おかしくない?だって、あなたは第二王子を選んだんでしょ?だったら…」
ヒロイン?のスーザンは第二王子を選んだ。つまり、スーザンの話が正しいとするなら、スカーレットは第一王子の婚約者とされていたはずだ。
「違うわ。ヒロインのエステルが第一王子の婚約者になったから、私は第二王子を選んだの。前半で逆ハーをしておけば悪役令嬢スカーレットがエンディングを迎える前に途中で婚約破棄されるイベントがあるのよ。強制的にそれを起こせば私が第二王子の婚約者の後釜になれると思ったのに…!」
待て待て。重要なことがすっ飛ばされている。
「ヒロインは誰ですって?」
「エステルよ」
「エステル・パルヴィン嬢?あなたじゃないの?」
「私だってヒロインに生まれ変わりたかったわよ!でも記憶を取り戻してみればサポートキャラだったのよ!」
「サポートキャラって?」
「ヒロインのお助け役よ。バーンスタイン夫人の部下って設定で…話しかければ好感度の上がり具合が分かったり、王宮の裏情報を教えたり、便利なアイテムをくれたりするキャラだったわ」
「…」
「ちなみにあんたはいなかったわよ」
そうでしょうそうでしょう。前世の記憶がなければ、今頃は結婚先を探して父伯爵と共に奔走していたはず。
「探りを入れたけどヒロインも悪役令嬢も転生者じゃなかったわ。だからゲームの知識を使えば王子妃になれると思ったのに!」
「それにしては色々と手を抜きすぎじゃないの?あなたがしたことといえば攻略対象の方々と仲良くして、証拠のないいじめを捏造しただけじゃない。階段から突き落とされたっていう言いがかりは事前に犯人役のスカーレット様の行動を把握してないし、お粗末にもほどがあったわよ。勉強だってもう少し真面目にやる姿勢を見せれば、王子以外に信じる人もいたかもしれないのに」
「私はゲームの通りに動いてゲームの通りの台詞を言っただけよ。それ以外の行動をどうすればよかったかなんて知らないわ!多少のことはゲームの強制力でどうにかなると思ったのに…っ。第二王子のルートに入って、クィンシーやデクスターたちも最初は好感度が良かったし上手くいっていたはずよ。あのままヘイスティングズの婚約者になれていたら、そうすれば王妃にだって…!」
「…そうだったの」
「どうしてこんなことになったの?どうして失敗したのよ!!バッドエンドになったのにゲームオーバーにならないし…」
「スーザン」
「どうしてよぉ…」
スーザンは頭を抱えて床に座り込む。
いつもつやつやだった彼女の髪は、脂ぎってぼさぼさだった。
「スーザン、ゲームの知識の通りにならなかったことが納得できないみたいだけど」
「そうよ!私は何も選択を間違ってない!!」
「そうは思えないわ」
「はあ!?」
「…だって、ヒロインはエステルなんでしょう?あなたはただのサポートキャラ。そんなあなたがヒロインになり替わろうとしたのよ?だから何らかの歪みが生じてゲームが知識の通りに進まなかった…それだけのことじゃないの?」
「で、でも、だって…え、わたし…」
「もう行くわ。質問に答えてくれてありがとう」
フィオレンツァはそう言うと、さっと踵を返した。
これから彼女は知るのだろう。決してこの世界にはゲームオーバーがないということを。終わりがない囚人生活を死ぬまで続けなくてはならないということを。
これ以上哀れなスーザンを見ていられない。
「待って、お願いフィオレンツァ!私、私はどうしたらいいの?どうやったらゲームオーバーになるの?」
スーザンが必死に呼びかけているが、それに応える術はフィオレンツァにはない。
「行かないでフィオレンツァ!!助けて!ここから出してよぉ――――!!!」
スーザン・アプトンの罪は公にはされなかった。第二王子は、表向きは例の夜会の前に病にかかり隔離されたことになったためだ。
スーザンは地下牢での暮らしに耐えられず、半年後に獄中で自死した。
父親のアプトン子爵は別の罪で裁かれて爵位と領地を没収され、残された家族は平民として生きることになる。
あと一話で第二章は終わりです。




