08 王子様は「婚約破棄」を唱えた
二人の王子の婚約者が発表されてから、早いもので一ヵ月が経った。フィオレンツァたちが王宮でバーンスタイン夫人の教育を受けるようになってから半年の月日が流れている。
八月一日はルーズヴェルト王国の建国祭だ。
毎年王宮では、大々的な夜会が開かれる。表向きは初代国王ドゥエイン・ルーズヴェルトと、その正妻で賢妃と称えられるフォルトゥナータを称える式典だが、今年は二人の王子の婚約式も兼ねていた。さらに第一王子のユージーンは、この婚約式の成立と同時に王太子に任命されるともっぱらの噂だ。
そんな中、フィオレンツァは夜会の招待客ではなく、女官や侍女たちと一緒にホールを駆け回っていた。メイドの制服を着て、招待客に飲み物をサーブする部署に回される。助っ人アルバイトのような感じだが、これもバーンスタイン夫人の指示だった。バーンスタイン夫人の後を継げば、高位の女官になる。こういった夜会では全体を見ながら侍女や下級女官に指示し、招待客が気持ちよく過ごせるようにするのが役目の一つだ。今のうちに現場を知っておけということだろう。
バーンスタイン夫人は完全にスーザンを見限ったのか、この指示を受けた場に彼女はいなかった。あるいはスーザンが現場で侍女たちと一緒に働かされる話を聞いて無視したのかもしれないが…。
「フィオレンツァ嬢」
名前を呼ばれて振り返る。アレクシス王子がブレイクとは違う従者を連れて立っていた。
「あ、アレクシス殿下…。ごきげんよう」
「こんばんは。今日はメイド服なんだね。…とってもかわいいよ」
「そ、そうでしょうか…?」
フィオレンツァもメイド服は可愛いと思っていた。流石に前世の日本のカフェにいるようなミニスカではないが、ダークレッドの落ち着いた色合いの生地に、豪華なレースのエプロンが付いている。こういった夜会の時だけに支給される特別な制服で、王宮の威厳を象徴するための立派な服だ。
対するアレクシスは、金糸で細かく刺繍された王族の礼服をまとっていた。
「…アレクシス殿下、少し背が伸びました?」
フィオレンツァが指摘すると、アレクシス王子は嬉しそうに頷いた。
「やっぱり分かるかい?この数か月で結構伸びてるんだ。もう13歳だしね」
「先月でしたわね。おめでとうございます」
「ありがとう、フィオレンツァ嬢」
先月はそれこそ上の王子たちの婚約者の内定で大騒ぎだった。ゆっくり家族に祝ってもらうどころではなかっただろう。アレクシス王子はまだ話したそうにしていたが、「仕事があるので」と別れた。実際裏方はばたばたしていて忙しい。
「フィオレンツァ、裏のワインとシャンパンを台車のピッチャーに詰めて来てくれる?」
「分かりました」
班を担当する女官に指示され、台車を押して酒樽がある倉庫へ向かう。倉庫といってもパーテーションで仕切られただけの即席のもので、ある程度の酒樽はパーティー会場の裏からすぐに出せるようになっていた。フィオレンツァが言われた通りに酒をピッチャーに詰めている間も、すぐ隣の夜会の喧騒は聞こえてきていた。
「…あら?」
指示された酒をピッチャーに詰めて、台車に乗せ終えたところでフィオレンツァは違和感に気づいた。作業に夢中になっていて気が付かなかったが、会場の喧騒がいつの間にか消えていた。一瞬予定より早く王族一行が到着したのかと思ったが、音楽も止まっているのはおかしい。フィオレンツァはなるべく大きな音を立てないよう、ゆっくりと台車を押して会場に戻った。
「スカーレット・ティンバーレイク!貴様との婚約は破棄する!!!」
声を張り上げたのは、案の定というべきか、ヘイスティングズ第二王子だった。一人の令嬢を伴い、会場の中心に立ったヘイスティングズ王子は、本日正式に婚約者となるはずだったスカーレットを憎々し気に睨んでいる。
一方のスカーレットは、今日も赤い髪をきっちり縦にロールし、紫色の上品なドレスをまとって毅然と立っていた。その異様な様子を見た招待客の貴族たちはひそひそと言葉を交わす。
「スカーレット様…エスコートなしで一人でいらしたわ。お気の毒に」
「第二王子が伴っている令嬢は誰だ?」
「側室派はティンバーレイク公爵家を取り込んだのではなかったのか?婚約破棄とはどういうことだ?」
フィオレンツァは客たちのざわめきを聞きながら、会場の様子を覗き見る。
「やっぱり…スーザン・アプトン」
ヘイスティングズ王子の隣で、さも当然のようにエスコートされていたのはスーザンだった。リボンとレースをふんだんに使った赤いドレスをまとい、金細工の豪華な髪留めをしている。落ち着いた色合いのスカーレットに対してぎらぎらと品のない装いに見えた。
「ヘイスティングズ殿下…確認なのですが、今、私との婚約を破棄するとおっしゃいましたか?」
「そうだ!貴様のような腹黒い女を王妃にすることはできん!!」
アウトーーー!
王妃って!
あんたは王太子ですらないだろ。
「私はここにいる、心清らかなスーザン・アプトンを妃に迎える!」
「色々申し上げたいことはございますが…私が腹黒いとは一体どういうことですの?言いがかりはよして下さいまし」
「とぼけるのか、白々しい!いままで散々スーザンに嫌がらせをしてきただろう!!」
嫌がらせ、というワードに貴族たちが再びざわざわし出す。ティンバーレイク公爵家のご令嬢が子爵令嬢に嫉妬して虐げていたとなれば飛び切りのゴシップだ。
「嫌がらせなど私はしておりません。殿下、私と婚姻したくないという御身の要望は良くわかりましたが…罪を捏造するなど感心いたしませんわ」
「…あくまでとぼけるというのだな、仕方がない、スーザン」
「はい、ヘイスティングズ様」
「辛いだろうが、スカーレットにされた仕打ちを皆の前で話すのだ。きちんと彼女の罪を公にし、償わせなくてはならない」
「ヘイスティングズ様…」
ヘイスティングズ王子とスーザンはしばらく見つめ合っていたが、やがてスーザンはきっとスカーレットを睨みつける。そして声高にスカーレットの罪とやらを話し始めたのだ。
「聞いてください、皆さん!私は妃教育を受けるために半年前にこの王宮にやって来ましたが、以来ずっとスカーレット様をはじめとするご令嬢たちの嫌がらせを受けてきました。スカーレット様は公爵令嬢という立場を利用して侯爵家のロージー様やパトリシア様、そして伯爵家のフィオレンツァ様を使って私を虐げてきたのです。ある日は取り囲まれて子爵令嬢という一番弱い立場を笑われたり、王子殿下に近づくなど身の程知らずだと罵詈雑言を浴びせられました。またある日は私物のノートや筆記具を取り上げられて踏みつけられてめちゃくちゃにされました。そうして二日前のことです。…とうとう、スカーレット様に階段から突き落とされたのです!!」
おおう。フィオレンツァだけでなく、ロージーやパトリシアまでスカーレット様の取り巻きにされている…。想像たくましくて、もうフィオレンツァはツッコむ気にもならない。
しかし罵詈雑言と私物破損はともかくとして、階段から突き落とすとは…殺人未遂ではないか。スカーレット様は絶対にそんなことはしないと断言できる。だから100パーセントの確率でスーザンのでっち上げだ。殺人未遂なんて、そんな物騒な冤罪を吹っ掛けて大丈夫なのだろうか…スーザンとヘイスティングズ王子が。
「階段から突き落とすなど穏やかではありませんわね。…ちなみに、正確な時間や場所は教えていただけますの?」
案の定、スカーレットは詳細を問いただしてきた。
「二日前の、授業が終わった直後ですから…午後の四時過ぎです。私はスカーレット様に呼び出されて中庭に向かう途中だったのですが、西館の第二階段を降りていたら、突然後ろから呼び止められたのです。振り返った瞬間、肩を押されて後ろ向きに階段を転げ落ちました。ですが振り返って相手の顔をはっきりと見ましたわ。間違いなく、スカーレット様が私を突き落としたのです」
「大方私がスーザンを寵愛しているからと嫉妬して突き落としたのだろう、愚かなことをしたものだな」
寵愛って…。
一ヵ月前までならばともかく、内定段階とはいえヘイスティングズ王子の婚約者はスカーレット様とされていた。正式に婚約を結ぶのは今日だったので、今までスーザンと遊んでいたことは正確には浮気とは言えない。だが表向きだけでも貞淑を重んずる貴族からすれば眉を顰める行為だろう。開き直りとも取れるヘイスティングズ王子に対し、主にご婦人たちが不愉快な顔をしている。
「私はその日のその時間、バーンスタイン夫人とまだ教室におりました」
「愚か者め。バーンスタイン夫人と結託して、ともにスーザンを虐げていたことは分かっている。伯爵夫人の証言などアリバイの証明にはならんぞ」
「ではブレイク・タルボットの証言ならばどうですか、殿下?」
「ブレイク・タルボットだと?アレクシスの従者ではないか」
「ブレイク・タルボットはアレクシス殿下の従者を辞し、一ヵ月前より私が王宮に滞在している間は必ず傍におりました。彼も例の時間、私が現場にはいなかったと証言してくれるはずです」
「ブレイクは子爵家の人間に過ぎないはずだ。どうせ貴様が嘘の証言をさせたのだろう」
貴族たちがざわつき、ヘイスティングズ王子とスーザンは勝ちを確信したかのように歪んだ笑みを浮かべている。
と、そこへラッパの音が響き渡った。
「国王陛下のお成りです」
その場に立っていた全員が頭を下げる。
王族の面々が会場に現れた。
「皆の者、楽にせよ」
ルーズヴェルト王国の国王ガドフリーが用意された椅子で貴族たちを見下ろしている。国王の傍らで悠然と立っているのは第一王子、第三王子の生母で王妃のグラフィーラ。国王の隣の椅子に腰かけている先代王妃で王太后のアレクザンドラ。そして第二王子の生母で側室のヘロイーズはグラフィーラ王妃の反対側に立っているが、顔面蒼白でふらふらとしていた。
「父上!」
ヘイスティングズ王子はスーザンを伴ったまま父である国王へ近づく。しかし近衛騎士たちがそれを遮った。
「邪魔をするな!父上に私の妃となる令嬢を紹介するのだ」
「国王陛下のお許しをお待ちください。いくら王子殿下といえど、勝手に陛下に近づくことはできません」
「ええい、この無礼者め!父上、父上、この者たちをどかしてください」
「お黙りなさい!!」
声を上げたのはほかでもない、ヘイスティングズ王子の母である側室のヘロイーズだった。
「は、母上?」
「ティンバーレイク公爵家のご令嬢と婚約破棄などと、何を考えているの!?今すぐ取り消して、スカーレット嬢とティンバーレイク公爵に謝罪なさいっ!!」
「スカーレットに謝罪など…彼女は私の愛しいスーザンを虐げたのです。彼女は罪に問われるべきです」
「ああ、…何てこと」
ヘロイーズは頭を押さえて唸ったかと思うと、そのままぱたりと倒れてしまった。王の従者が慌てて助け起こしている。
「…ヘロイーズ様を別室にお連れして。手当をして差し上げなさい」
グラフィーラ王妃が顔色を変えずに女官たちに指示している。ヘロイーズ妃はそのまま運び出された。
自信満々だったヘイスティングズ王子は、母親が倒れたことでさすがに動揺したようだった。そして倒れた母に国王や王太后が一瞥もくれない事態に、初めてその端正な顔に焦りが浮かぶ。
「母上…」
「ヘイスティングズよ」
「は、はい。父上」
「お前の話は途中から聞かせてもらった。よくも余とヘロイーズが整えた縁談を、あのような茶番でぶち壊しにしてくれたな」
「茶番では…!本当にスカーレットはずる賢い女なのです!スーザンはずっと耐えていて…」
必死にスカーレットの悪行を訴えるヘイスティングズ王子。その言葉を遮ったのは、思わぬ人物だった。
「バーンスタインがスカーレット嬢と結託していた…確かそなたはそう申したな」
「王太后様」
「カルロッタ・バーンスタインは、わらわの代から王家に仕えている忠臣です。たとえ相手が公爵家といえど、王家に対して嘘の証言をすることなどありえません」
「し、しかし…」
「本当です、王太后様!!バーンスタイン夫人は大姪のフィオレンツァを自分の後継者にしたくて、最初から私をいじめて来ました。そして私がヘイスティングズ様にかばわれるようになると、今度はスカーレット様と手を組んで…」
勝手に口を開いたのはスーザンだった。この事態に成り行きを見守っていた貴族は息をのむ。いくら王子のお気に入りとは言え、子爵家の令嬢でしかない小娘が王太后の言葉を遮ったのだ。
「お黙り!!」
びりびりと会場の空気を震わせる、アレクザンドラ王太后の怒声。
ヘイスティングズ王子とスーザンは同時に飛び上がった。
「カルロッタ・バーンスタインを侮辱するということは、彼女を王宮付きの教師として毎年推挙し続けていたわらわを侮辱するということじゃ!…ヘイスティングズよ、今後はそれを理解したうえで発言するがよい。そして許可なく王族の言葉を遮る隣の小猿を黙らせておけ」
アレクザンドラ王太后は、現在ルーズヴェルト王国で最も高貴な女性だ。バーンスタイン夫人は、ほかならぬ王太后が長年重用し続けてきたことは高位貴族の中では有名な話である。つまり王太后という後ろ盾があるバーンスタイン夫人には、公爵令嬢でしかないスカーレットに阿る必要はないのだ。
さらにスーザンが勝手に発言したことで、状況は一斉にスカーレットに有利になった。万が一にも公爵令嬢が子爵令嬢を虐げた可能性があるのではないかと疑った者たちも、あまりに礼儀知らずな第二王子のお気に入りの振る舞いに疑問を感じ始めていた。
ご都合主義なので細かい部分は見逃してください。




