07 そうです、アノ不埒者ですよ
エステルとスカーレットが王子たちの正式な婚約者となってから三週間が経った。
王妃派と側室派は様々な駆け引きを行っているようだが、妃教育は表向きは穏やかに行われていた。エステルはスカーレットに進んで喧嘩を売るような令嬢ではないし、スカーレットも年下のエステルに張り合うようなことはしない。そんな微妙な均衡を引っかき回しているのは、やはりというかあのご令嬢だった。
その日授業を終えたフィオレンツァは、バーンスタイン夫人に頼まれて借りていた資料を返しに行っていた。一階の資料室で用を済ませ、二階の自室に向かうために階段があるエントランスホールへと向かう。しかし階段に近づくにつれて空気が物々しくなっていることに気づいた。
「おっしゃっている意味が分かりません、殿下。私がスーザン嬢に何をしたとおっしゃるのです?」
凛と響いたのはスカーレットの声だった。
フィオレンツァはエントランスホールに続く廊下の手前で止まり、様子を窺う。
「とぼけても無駄だ。スーザンにした嫌がらせの数々は聞いているぞ。公爵令嬢という立場を使い、逆らうことができない彼女に暴言を吐いたり私物を取り上げたりしているそうだな!」
「そんなことはしておりません。何を証拠にそんな言いがかりを…」
「言いがかりだと!?少しはスーザンに申し訳ないと思わないのか」
「そうはおっしゃられましても。私には何のことか分かりません」
はいはい。
再び登場しました、現場のフィオレンツァ・ホワイトリーです。
現場の状況は…聞いちゃいます?
スカーレット様と言い争っているのはヘイスティングズ第二王子です…どうして西館にいるのやら。そしてヘイスティングズ王子の隣にはスーザンが立っております…一体どっちが第二王子の婚約者なのやら。
どうやらスーザンは、相も変わらず存在しないいじめを受けているとヘイスティングズ王子に訴えた模様です。そして激高したヘイスティングズ王子は、いじめの首謀者と目される(あくまでスーザンの嘘)スカーレット様を問い詰めている模様。当然いじめなどしていないスカーレット様は冷静にヘイスティングズ王子の叱責を躱していますが、冷静過ぎて逆に相手を煽ってしまっているようです。
スカーレット様!正論で返せばいいってもんじゃないんだよ?
あっ!ヘイスティングズ王子が腰に下げられたサーベルに手をかけてしまいました。あーもう、この国の男は本当にしょうもないな…いつぞやの悪夢が…。スカーレット様の護衛も相手が王子殿下となると剣を抜くことができません。
私が出るしかないのか…。方法が例のアレしか思い浮かばない。恥ずかしいからもうやりたくないんだけど…。
「きゃーーーーっっ!!!スカーレット様ぁーーー!!!!」
「え?」
「は!?」
まさにサーベルを抜こうとしていたヘイスティングズ王子は、突然明後日の方向から響いた悲鳴に目を剥いた。と、斜め後ろから青い髪の若い女性が走ってくる。一瞬自分がスカーレットを咎めるのを邪魔するのかと思ったが…。青い髪の令嬢はスカーレットに横から突進し、スカーレットは見事に真横に吹っ飛んだ。
「うぐっ」
二人は床に転がってもつれ込む。さすがのヘイスティングズ王子もどうしてよいか分からず、そのまま固まってしまった。
「フィ、フィオレン、ツァ嬢?」
腰に抱き着かれたまま、スカーレットが何とか自力で起き上がる。ようやく起動したスカーレットの護衛たちが二人を取り囲んだ。しかし護衛たちは無理に青い髪の令嬢を引きはがそうとしない…どうやら顔見知りのようだ。
「フィオレンツァ嬢、どうなさったの?わ、私、今それどころでは…」
「助けてくださいませ、スカーレット様!また…また出たのです、あの不埒者が!私ずっと追いかけられていて、とても恐ろしくって!」
「ええ!?不埒者って…あの不埒者のことなの!?本当に出たの?」
「間違いありません、すごく怖かったの!!」
どうやら青い髪の令嬢はフィオレンツァというらしい。少し地味な装いだが、まあまあ美少女だ。
スカーレットは「不埒者」というワードを聞いた途端、顔を青くして立ち上がった。きょろきょろと周囲を見渡している…もうヘイスティングズ王子と言い争っていたことなど忘れてしまったかのようだ。あまりの展開に、ヘイスティングズ王子はついていけていない。フィオレンツァという令嬢とスカーレットの動揺ぶりに、何か得体のしれないものでも出るのかと不安に駆られてしまう。
「嘘よ!またあなたなのね、フィオレンツァ!」
すると、ヘイスティングズ王子の隣で愛しいスーザンが目尻を吊り上げた。
「またそうやって私の邪魔をして…あなたはやっぱり…」
しかしスーザンの台詞は、フィオレンツァの悲鳴にかき消されてしまった。
「きゃああっ!スーザン様!!スーザン様の肩の上に…!!!」
「…え?……ぎゃああああっっ!!うそ、嘘ぉ!!!いやよぉぉーーー!」
「す、スーザン?」
ヘイスティングズ王子の隣で淑やかそうに立っていたスーザンは、びょんっと床と垂直に飛び上がった。唖然とするヘイスティングズ王子をよそに、スーザンは肩を払ったりスカートを大げさにひらめかせたりと大げさな動きをしながら走っていく。戸惑いながらもその後をヘイスティングズ王子が追っていった。
騒がしい二人が去った後、スカーレットにかじりついていたフィオレンツァはあっさりと彼女から手を放して立ち上がった。
「乱暴に抱きついてしまって申し訳ありませんでした、スカーレット様」
「フィオレンツァ嬢…。いいえ、助かったわ、ありがとう」
フィオレンツァが差し出した手をスカーレットが取る。すると護衛の一人が膝をついた。
「スカーレットお嬢様、お助けできずに面目ありません」
「いいのよ。心配かけたわね」
ヘイスティングズ王子がサーベルを抜こうとしたときに止められなかったことを言っているのだろう。しかし彼らの身分では、いくら主のスカーレットを守るためとはいえ王子に向かって剣を抜いたら不敬罪になり、ひいては公爵家が罪に問われてしまう。それでもいざヘイスティングズ王子がサーベルで切りかかってきたら、彼らは肉の盾になろうという覚悟だったはずだ。まさかフィオレンツァが突進してくるとは思わなかっただろうが、寸でで彼女がスカーレットのために飛び出したことを悟って妨害しなかった判断はさすがだ。
一瞬空気が緩みかけたが、再び切羽詰まった別の声が響いた。
「スカーレット嬢、フィオレンツァ嬢も…大丈夫ですか!?」
思わぬ声に、フィオレンツァたちは目を瞬いた。
「アレクシス殿下…?」
ブレイクを侍らせてやってきたのは、何とアレクシス第三王子だった。今日は西館によく王子が出没する日のようだ。空気が再び引き締まる。
「どうしてアレクシス殿下がこちらに?」
「ヘイスティングズ兄上が西館で騒ぎを起こしていると聞いて…様子を見に来たらフィオレンツァ嬢の悲鳴がしたので…。それで不埒者とは?!」
「…」
「…」
「あの蟲を『不埒者』とは…。さすがフィオレンツァ嬢ですね」
「…お騒がせしました」
「いいえ、本当のお騒がせは兄の方ですよ。全く…碌に調べもしないでスカーレット嬢に言いがかりをつけるなんて何を考えているんだか」
あの騒動の後、もともと屋敷の馬車に向かっていたスカーレットとはそのまま別れた。フィオレンツァとアレクシス王子はバーンスタイン夫人の部屋に共に向かい、ことの次第を報告した。スカーレットはスカーレットで、父のティンバーレイク公爵に報告するのだろう。
報告を聞いてフィオレンツァたちの前で目を三角にしたバーンスタイン夫人は、彼らにくつろぐように言うと足早に部屋を出て行ってしまった。きっとヘイスティングズ王子にまとわりついているスーザンを回収しに行ったのだろう。なのでバーンスタイン夫人の部屋にはフィオレンツァとアレクシス王子、そしてブレイクの三人が残っている。
「スカーレット様は前からあのような言いがかりをつけられていたそうですね」
「ええ。宰相のご子息やスカーレット様の義弟君も、スーザン嬢から聞いたいじめの話を信じた時期もあったそうです。…今は誤解は解けているようですが」
「彼女はよほど派手に吹聴しているのか、本館や東館でもそのような話を聞きます。スカーレット様がそのようなことをするわけがないと断じている者が半分、噂を真に受けている者が半分といったところでしょうか」
「…どうすればいいのでしょうか。スカーレット様は立派な淑女です。やってもいないいじめで評判を落とされるなんてお気の毒でなりません」
義弟を鞭で調教しているかもしれないが。…まあ、あれは義弟もまんざらではなさそうなので問題ないだろう。問題ないよね?
「うーん、…今後のために、ティンバーレイク公爵に恩を売っておくのもありかな」
「え?殿下、何かおっしゃいましたか?」
「いいえ。なんでも」
アレクシス王子はにっこりと笑うと、フィオレンツァの手を取った。
「あ…」
途端にフィオレンツァの顔が朱に染まる。
初めての邂逅以来、アレクシス王子に会う機会が全くなかったわけではない。
王子と顔合わせという名のお茶会は定期的に開かれていて、その度にアレクシス王子はフィオレンツァに積極的に話しかけてきた。しかしフィオレンツァがあの赤薔薇の花言葉の意味に気づいてから、直接会ったのは初めてだったと気づく。
「フィオレンツァ嬢、スカーレット嬢のことは任せてください。あの方の不利にならないように全力を尽くします」
「あ、…ありがとう、ございます」
「それと、また赤い薔薇を贈ってもいいですか?」
「…」
その言葉に、フィオレンツァはアレクシス王子がきちんと意味を理解してあの花束を贈ったことを悟った。
翌日より、スカーレットが西館に入ると、護衛の他に一人の令息が傍に侍るようになった。アレクシス王子の従僕のブレイクだ。フィオレンツァが聞くところによると、ブレイクは子爵家の令息だが、王家に連なる血筋でもあるという。
スカーレットの実家のティンバーレイク公爵とも、側室派の貴族ともかかわりがなく、それでいて彼の発言にはある程度の重みがある。ヘイスティングズ第二王子にはスカーレットの監視のため、と報告しておき、その実はアリバイを証言するために共に行動させた。
また日を同じくして、フィオレンツァの部屋には、赤い薔薇が毎日一輪ずつ届けられるようになったのだった。




