05 アレクシス(2)
フィオレンツァを北の薔薇園に連れてきたアレクシスは有頂天だった。片っ端から図鑑で調べた薔薇の説明をすれば彼女は熱心に聞いてくれたので、調子に乗って昆虫も捕まえて見せた。昆虫の件はさすがにブレイクに途中で止められたものの、フィオレンツァは機嫌を損ねた様子もなく、にこにこしてくれる。
園を何周かしたところで、フィオレンツァに促されてベンチで休憩することになった。ブレイクが冷たい飲み物を持ってきてくれたので、二人で喉を潤す。
フィオレンツァは改めて色とりどりの薔薇を見てうっとりしていた。
「素敵な薔薇ばかりですわね。とても良い匂い…」
「南の薔薇園はもっとすごいんだよ!フィオレンツァ嬢にも見せてあげたいな」
「まあ…。ならば私はかなり出世しなくてはなりませんね」
「しゅっせ?」
「私はバーンスタイン夫人の後を継いで王宮付き教師になるつもりですの。これからもっと勉強して、偉くなって、いつか南の薔薇園も見てみたいですわ」
「そうなんだ…」
南の薔薇園の話は、少し含みを持たせたつもりだった。でもフィオレンツァは、自身がアレクシスに気に入られたとは露ほども考えていないようだ。先ほどまでのアレクシスの幼い行動にも問題はあるだろう。完全に浮かれていたためか、弟のようにしか思われていない。
「ねえ、フィオレンツァ嬢。今度フィオレンツァ嬢を訪ねてもいい?」
「え?そ…それは私には何とも…。バーンスタイン夫人に確認しないと」
うむ、こちらを子ども扱いしている割には警戒心が強い。…いいや、恐らく真面目な彼女は、王族とあまり馴れ合うのは良くないと思っているのだ。あのスーザンという令嬢とは大違いだ。
「駄目なの?」
少し傷ついた顔を作れば、フィオレンツァは「夫人と同席ならば」と言ってくれた。ブレイクの視線を感じるが、かまうものか。アレクシスはとっくにフィオレンツァを取り込むことを決めていた。
部屋に戻ると、アレクシスは早速「明日の午前に部屋に伺いたい」という手紙をフィオレンツァの部屋へ届けさせた。ほどなく返事が返ってきたが、了承の返事と同時に「エステル・パルヴィン嬢も同席させます」という一文が加えられていた。
「…バーンスタイン夫人か」
少しげんなりするも、彼女を責めるのもお門違いか。エステルとの顔合わせは避けては通れないようだ。
「戻りました、アレクシス殿下」
「ご苦労様」
そこへブレイクが戻ってきた。部屋に戻ってすぐ、フィオレンツァの身辺を調べてもらっていたのだ。
「どうだった?」
「フィオレンツァ嬢自身も、彼女の家族も特に問題のある人物はいません。先代と当代のホワイトリー伯爵は二代前の当主の借金に苦しんでいますが、領民に重税を課すこともなく堅実に領を運営しています。中央から離れて久しいので、王妃様と側室様のどちらの陣営にも属していません」
「中立派ってやつだね。彼女の姉弟は?」
「フィオレンツァ嬢は四女で、三人の姉たちは全員結婚しています。長女は裕福な商家へ、次女は東の辺境伯家へ、三女は隣の領地の子爵家へ。辺境伯家はやや側室様の陣営寄りですが、どこも特に過激な思想の家ではありませんでした。現在8歳の嫡男のみ家に残っています。母親は嫡男の出産の際に亡くなっていて、長姉が嫁いでからは、実質フィオレンツァ嬢がホワイトリー家の女主人だったようです」
「伯爵は上の姉たちを結婚させたのに、フィオレンツァ嬢には結婚相手を探さなかったの?」
「持参金の問題ではないでしょうか?貴族同士の婚姻の際は、女性側の家が多額の持参金を持たせますからね。長女の時は相手が平民だったので必要なかったでしょうが、次女と三女の婚姻の際には、親族からいくらか借金をしています」
「…そうなんだ」
アレクシスには姉妹がいないので知らなかった。ただでさえ貧しいのに、娘が四人もいたら嫁入り先を選ぶのも苦労したことだろう。フィオレンツァが高給取りの王宮専属教師の道を選んだのも、父や弟、領民たちのためなのか。アレクシスは何も考えずにフィオレンツァを手元に置こうとしたことを後悔する。彼女がバーンスタイン夫人の後を継ぐのは家族と領民の生活のために、そして自立のために必要なことなのだ。
「アレクシス殿下…どうされるのですか?」
ブレイクが聞いてくる。アレクシスがフィオレンツァを気に入っていたことも、そして今彼女の身の上を聞いて戸惑っていることもお見通しなのだろう。
「…とりあえず、エステル嬢とは会って話をするよ」
エステルの存在を無視したまま、フィオレンツァにちょっかいを出すことはできない。アレクシスは気持ちを入れ替え、急遽設えられた明日の顔合わせに臨むことにした。
翌日、アレクシスは早めに起きて南の薔薇園に向かった。フィオレンツァに見せたいと思った薔薇をプレゼントしたかった。この時間に庭師が作業しているのを知っているので見つけて呼び止める。
「小さい花束を作ってほしいんだけど…女性にプレゼントしたいんだ」
「はい、アレクシス殿下。どのようなご令嬢に贈られるのですか?」
「どのような…」
アレクシスは考え込む。フィオレンツァは紺の髪と紫がかった藍の瞳が印象的な令嬢だ。しかし青い薔薇というのは栽培が難しく、この薔薇園にも置いていない。色ではなく、イメージを伝えた方がいいだろうか。
「その…とても真面目で、穏やかな人で…一緒にいると心が暖かくなるんだ。あと、少し年上なんだけど」
必死にアレクシスが説明をすると、年老いた庭師はにこにこしながら赤い薔薇を集めてくれた。手際よくまとめ、リボンをつけて花束にしてくれる。
「そのご令嬢に夢中のようですな」
赤薔薇の花言葉は「熱烈な恋」だ。少し照れ臭くなりながらも花束を受け取ると、ブレイクが後ろから声をかけた。
「アレクシス殿下…それ、フィオレンツァ嬢にですよね?」
「う、うん。…ダメかな?」
「駄目ではないですが、フィオレンツァ嬢に渡すつもりなら、エステル嬢にも用意しなくては」
「あ、そうだった」
さすがに花束一つだけ持って行って、フィオレンツァにだけ渡すというのはあからさま過ぎる。フィオレンツァも困るだろう。するとブレイクが気を利かせて、庭師にピンクや白など淡い色を使った可愛らしい花束を作らせた。庭師に礼を言ってから園を後にする。
「ありがとう、ブレイク」
「いいえ。大したことではありません」
アレクシスは一度部屋に戻って身なりを整えると、西館にあるフィオレンツァの部屋へと向かうのだった。
フィオレンツァとエステルと挨拶したアレクシスは、用意していた花束をそれぞれに渡した。
「ありがとうございます、殿下。とても可愛らしいですわ」
「あ、ありがとうございます…。私にまで…」
フィオレンツァはまさか自分が薔薇をもらえると思わなかったのか恐縮していた。一方のエステルは口では礼を言いながら、フィオレンツァの赤薔薇の花束とアレクシスをちらちらと見比べている。
「二人に会えると聞いて、庭師に作ってもらったんだ」
きらっ、とエステルの水色の瞳が光り、かすかにほほ笑んだのをアレクシスは見た。高位貴族の令嬢ともなれば、男性からのプレゼントの意味も考えるだろう。エステルはアレクシスがフィオレンツァに気があることをすぐに感じ取ったようだった。さて、エステル嬢はどう出るかな?計算したわけではないのだが、結果的に彼女を試すことになってしまった。
そうして始まったお茶会は、表向きは和やかに始まった。話題を振れば、エステルは笑みを浮かべながら答えてくれる。だが年頃の令嬢のように可愛らしい内容にはならず、妃教育の内容だったり地元の特産品の話になってしまった。フィオレンツァも含めた周囲の者たちが戸惑っているのが分かる。エステルの水色の瞳は全く笑っていなかった。
―――ご心配なく、私もアレクシス殿下に興味はありませんので。
なんだ、ユージーン兄上と両思いなのか。アレクシスが言えた義理ではないが、さすがにユージーンとエステルでは歳が離れすぎている気がする。だが二人が勝手にやってくれるのなら、アレクシスもそれを利用させてもらうだけだ。
「フィオレンツァ嬢、お茶をご馳走様」
「…大したおもてなしもできず」
「エステル嬢、お話しできて楽しかったよ」
「私も楽しかったですわ。有意義な時間でした」
本当に有意義だった。フィオレンツァとエステルに見送られながら、アレクシスは次の手を考える。残念だが、今はフィオレンツァに近づき過ぎるのは控えた方が良いだろう。
まずはユージーンとエステルの仲を取り持つ必要がある。アレクシスはそのまま真っすぐ兄の部屋へと向かった。
第一王子のユージーンは、立太子こそされていないが、事実上王の後継者とみなされている。周囲が何と言おうと第二王子のヘイスティングズは側室の子であるし、特に頭脳明晰だとか剣術が優れているとか言うわけではない。ヘイスティングズがユージーンに勝っているものがあるとすれば煌びやかな容姿くらいだ。その容姿だってユージーンが特別劣っているわけではないので、彼が不慮の事故で亡くなったり、酷い失態をしない限りは立太子は確実だと言われていた。成人してからのユージーンは王宮の執務を少しずつ手伝い出していたので、個人の執務室を本館に与えられていた。
その日、執務室に同腹弟のアレクシスが訪ねてきたのは、早い昼食を食べ終えてこれから執務を始めようという時だった。
「兄上、お忙しいというのにお時間をいただきありがとうございます」
「かまわぬ。…エステル嬢と会ってきたそうだな」
昨日のバーンスタイン夫人のお茶会で、アレクシスは年の近いエステルとの顔合わせをするはずだった。ところが蓋を開けてみれば、エステルの可憐な美しさにユージーンは夢中になってしまったのだ。弟に悪いとは思いつつも、彼女を手元から離したくなくて隣に居座ってしまった。ヘイスティングズの暴走もあってアレクシスはエステルと全く会話することができず、今日は改めて顔合わせの席を設けたという話を聞いていた。
「どうだった、その…エステル嬢とは」
「兄上、その前に人払いをしてもらいたいのですが」
「…」
ユージーンは少し逡巡したが、部屋にいた文官たちと護衛の騎士を部屋の外に出す。アレクシスは元から従者のブレイクを部屋の外に待たせていたので、部屋には兄弟二人きりになった。
「人払いまでさせてどうした?エステル嬢に何か言われたのか?」
「エステル嬢はユージーン兄上に惹かれているようですよ」
「本当か!!?」
つい身を乗り出してしまった。
確かに昨日のエステルは、積極的なユージーンに戸惑いながらも嫌がっているようには見えなかった。
「少なくとも、僕には興味がないようでした」
「…そ、そうか」
「兄上、僕は想い合っている二人を引き裂くようなことはしたくありません。身を引いてもいいと思っています」
「アレクシス…本気なのか?」
しかしそうなると、アレクシスと年齢の合う伯爵位以上の令嬢はいなくなる。
「兄上がエステル嬢を選ぶのなら、パルヴィン家より家格の低い家から結婚相手を選べばいい。そもそも僕が無理に結婚する必要はないでしょう。継承争いの種になりかねないのですから」
「そうか、感謝する」
「ですが父上と母上を説得するのは兄上ご自身でなさってください」
「わかっている。そこまでお前に迷惑をかけるつもりはない」
「あともう一つ、ユージーン兄上がエステル嬢を選び、ヘイスティングズ兄上が他の三人の令嬢を選んだ場合、側室派が一気に有利になります。その対策も並行して進めた方がいいですよ」
「そこは心配しなくていい。すでにいくつか策を考えてある」
「…それは聞かない方が良かったですかね。僕からは以上です」
「ああ。わざわざすまなかったな。ありがとう」
アレクシスは兄に優雅に礼をすると、執務室を後にした。
アレクシスは第一王子の執務室を出るとすぐに東館の自室に戻った。
「ブレイク、フィオレンツァ嬢は西館のあの部屋から通っているんだよね?」
「はい。ホワイトリー伯爵家は王都にタウンハウスがありませんので」
「彼女の近くに人を潜り込ませられない?」
「…随分あのご令嬢が気に入ったのですね」
「おかしいと思う?」
「いいえ。ただ、アレクシス様はご自分から何かを欲することが少なかったので、逆に安心しました。それで、またフィオレンツァ嬢のお部屋をお訪ねになるのですか?」
「…それはしばらく控えるよ。今の状態で彼女が僕のお気に入りだと周囲に知れたら、逆に困らせるからね」
ブレイクは頷く。アレクシスがフィオレンツァにこれからも直接会いたいと言うようなら諭すつもりだったのだろう。
「バーンスタイン夫人のお茶会は定期的に開かれるはずだからそれで我慢する。あとは…ユージーン兄上が意中の令嬢を手に入れられるように応援しないとね」
ユージーンはいくつか策を考えていると言っていたが、その話を聞いてすぐに思い出したのはあのスーザン・アプトンという令嬢だった。昨日のうちに令嬢たちのことはざっと調べておいたのだが、あの子爵令嬢はかなりのトラブルメーカーらしい。一、二ヵ月ならば様子を見ていたかもしれないが、すでに三ヵ月を過ぎている。バーンスタイン夫人ほど厳しい教師ならばすでに落第をつけて追い出していてもいいくらいの問題児ぶりだ。
そもそも彼女は何者なのか。何が目的なのか。
調べる必要がありそうだった。
アレクシス視点はこれで終わりです。次から本編に戻ります。




