04 アレクシス(1)
アレクシスはルーズヴェルト王国の第三王子として生まれた。
彼には二人の兄がいる。同腹で12歳年上のユージーンと、側室の子で10歳年上のヘイスティングズだ。アレクシスが物心ついた時には、すでに二人の兄は母親の期待を背負って王位を目指し、反目し合っていた。一方のアレクシスは兄たちとあまりに歳が違い過ぎたためにあまり注目されなかった。母は遅くにできた末っ子のアレクシスを可愛がってくれたが、彼女の期待は常にユージーンにあった。それをさみしく思ったこともあるが、今から思えば幸運だったのだろう。過激な性格の側室と上昇志向の強い異母兄に目の敵にされることもなく、身の危険を感じることもなかったのだから。
そんな兄たちには、成人を迎えても婚約者がいなかった。彼らの妻になった女性は王妃になる可能性があるのに候補すら出なかったのは、常に王妃と側室の勢力が激しくけん制し合っていたからだ。娘が争いに巻き込まれるのを恐れた者もいれば、どちらの勢力が有利になるかを見極めようとしている者もいた。
有力な候補は三人。ティンバーレイク公爵家の珠玉の令嬢で王子たちのはとこに当たるスカーレット。外交官として辣腕を振るうスピネット侯爵の長女ロージー。宰相を務めるテッドメイン侯爵家の次女パトリシア。テッドメイン宰相だけはあまり乗り気ではなかったようだが、スカーレットとロージーの父親は娘を王妃にすることを望んでいるようだった。
「王妃候補の令嬢たちを集めて、バーンスタイン夫人が教育することになった?」
ブレイクの報告に、アレクシスは本を読んでいた視線を上げた。18歳のブレイクは子爵家の三男坊だが母方をたどれば王子たちの遠縁に当たり、二年ほど前からアレクシスの学友兼従者のようなことをしている。まだ幼いアレクシスは社交の場には出られないので、こういった情報は大抵ブレイクが持ってきてくれた。
「とうとう母上がしびれを切らしたみたいだね」
ユージーンは婚約者が決まらないまま24歳になった。候補の令嬢たちが成人を迎えたことを機に、とうとう妃を本格的に選ぶことにしたらしい。側室の陣営も、第二王子の妃も同時に選ぶのならと今回の企画に同意したそうだ。
「集められるのはあの三人のご令嬢なの?」
「あと一人、アレクシス殿下のお相手にとパルヴィン家のご令嬢も招かれたそうです」
「僕にも?…母上も余計なことを」
兄たちの婚約者が決まらないため、アレクシスにもまだ婚約者は宛がわれていなかった。しかしアレクシスと年齢が合い尚且つ伯爵家以上の令嬢となると、スピネット家の次女クラーラとパルヴィン家のエステルくらいしかいない。スピネット侯爵は長女ロージーを売り込むことに決めたのか、クラーラは数年前に別の貴族と婚約していた。なので兄たちの婚約者が決まりさえすれば、アレクシスとエステルの婚約は確実だと周囲には目されることになる。
「でも私は知りませんでした。候補の令嬢を集めて妃教育を事前に施すしきたりがあるとは」
「父上の時はしなかったらしいよ。生まれた時から隣国の姫だった母上との婚約が決定してたから。ただ何代か前には20人近くのご令嬢が集められて一斉に教育を施されたんだって」
「20人もですか?想像できないな…」
「王太子の誕生に合わせて子供を作った家がたくさんあったし、当時は有力な貴族が多かったみたいだから。20人もいたから監視が行き届かなくって、謎の死を遂げたご令嬢が何人かいたとかいないとか」
「お互い暗殺し合ったってことですか?」
ブレイクは女性同士が殺し合うさまを想像したのか青い顔をしている。
「今回は四人しかいないしどのご令嬢もタウンハウスから通うだろうから大丈夫だよ。それにバーンスタイン夫人が目を光らせているだろうからね」
「そのバーンスタイン夫人ですが、高齢ということもあり、遠縁のご令嬢を後継者にと呼び寄せたようですよ。同時に妃教育を施して、次代の教育係にするそうです」
「ご令嬢?どこかの夫人じゃなくて?」
王宮専属の教育係ともなれば、高給を食むことになるが、王宮に勤めるようになってから結婚相手を探すのは難しい。王宮内での恋愛は眉を顰められるし、高給取りの仕事を持つ女性を高位貴族ほど敬遠するからだ。バーンスタイン夫人も結婚後に王宮に上がったと聞いている。
「ホワイトリー伯爵の三女か四女だったと…。あそこの領地は水害のせいで資金繰りに苦慮しているようで、末の娘に婚約者を宛がえなかったらしいです」
「ホワイトリー伯爵令嬢か…」
兄たちの婚約者の候補に挙がらなかったということは、伯爵の中でも下位の家なのだろう。王妃の座を狙っている高位貴族の令嬢たちの中でやっていけるのだろうかと少し心配になったものの、アレクシスはそれきりその話は忘れてしまった。
数日後、バーンスタイン夫人の教育が始まった。夫人の後継者候補が一人増え、令嬢たちは六人になったらしい。そして三週間ほど経ったある日、バーンスタイン夫人の提案でお茶会という名の顔合わせが行われることになった。
アレクシスも参加するように言われる。
「あんまり気が乗らないなぁ」
「ちらっと見ましたが、エステル嬢は愛らしい方でしたよ」
「そうじゃないよ。兄上たちと一緒なのが嫌なだけ」
「それは…」
同腹のユージーンはアレクシスに優しいが、腹違いのヘイスティングズはあからさまに馬鹿にしてくるので苦手だった。それに兄二人は最近特に関係が悪化しているようで、同じ空間にいるとぎすぎすした空気にさらされてしまう。
いつもより少し上等な衣装に身を包み、兄たちと合流する。するとそこには、兄と従者たちの他に見慣れぬ令嬢が一人いた。茶色の髪の可愛らしい令嬢で、まとっているドレスはレースをたっぷり使ったかなり高価なものだった。妃候補の令嬢の一人だろうか。
「殿下たちがこんなに素敵な殿方だったなんて…。お会いできて夢のようですわ」
令嬢はうっとりとした様子で兄たちを交互に見つめている。ユージーンは愛想笑いしながらも冷めた目をしているが、ヘイスティングズは気を良くしているようだ。
「妃教育は進んでいるか?」
「はい!殿下のお傍に仕えることができるよう、日々努力しております」
「良い心がけだ。ここには迎えに来てくれたのか?」
「え…と、そうです。ご案内しますわ」
随分馴れ馴れしい令嬢だな、とアレクシスは思った。それはユージーンも同じだったようで顔をしかめている。かといってここで指摘して揉めても仕方がないと思ったのか、先に歩く二人に皆が続く。そして会場に着けば、驚いた表情の令嬢たちと、目尻を吊り上げたバーンスタイン夫人が待っていた。
「待たせたな、夫人」
「…いいえ、ユージーン殿下。ちょうど時間ですわ。…ところでその者は?」
「ん?妃候補の一人ではないのか?」
「違います。スーザン・アプトン、どういうことですか?」
スーザン・アプトン?はて、誰だっただろうか。
首を傾げていると、ブレイクが「バーンスタイン夫人の後継者候補の一人です」と小声で教えてくれた。
「も、申し訳ありません…。途中で王子殿下とお会いして…無視するわけにもいかず、こちらの会場までご案内したのです…」
スーザンは怯えたように肩を震わせている。アレクシスの方からはスーザンの顔が見えないが、彼女を見る令嬢たちの目は冷めていた。どうやら問題のあるご令嬢らしい。
そうこうしているうちにヘイスティングズが夫人の制止も聞かずに自分の隣に座らせてしまった。…そこはアレクシスの席だというのに。しかしここで騒いでこれ以上バーンスタイン夫人を困らせるのも申し訳ない。仕方なくアレクシスはスーザンが座るはずだった椅子へと向かった。
隣の席には、紺青の髪が特徴的な令嬢がいた。
「さあアレクシス殿下、こちらにお座りになってください。もうすぐお菓子が来ますから、たくさん食べてくださいましね」
「あ、ありがとう…」
にっこりとほほ笑みかけられて、アレクシスは頬に血が集まった。こんなに慈愛の満ちた目を向けられたのは、母にだってない。バーンスタイン夫人と同じテーブルにいるということは、彼女がホワイトリー伯爵令嬢なのだろう。妃候補の令嬢たちはさすがに美人揃いだが、ホワイトリー伯爵令嬢もなかなかの美形だった。紫がかった藍色の瞳は優し気で知的な印象だし、シンプルなドレスがほっそりした彼女によく似合っている。憂鬱だった気分から一転、アレクシスの心は浮立った。
いま思えばアレクシスの初恋だったのだろう。
しかしお茶会の方はというと、蓋を開けてみれば周囲の思惑を裏切るものだった。
ユージーンはスカーレットやロージー、パトリシアには目もくれず、一番年下のエステルを明らかに気に入っていた。確かにエステルは妖精のように可愛らしい美少女だが、ユージーンとは10歳以上離れている。彼女がアレクシスの婚約者候補だということはユージーンも知っているはずなのに、どういうつもりなのだろうか。一方のエステル嬢もまんざらでもなさそうに見える。そしてヘイスティングズといえば、やはりというべきかスーザンとばかり話していた。スーザンは相手を持ち上げるのが上手らしい。
「アレクシス殿下、こんなことになって申し訳ありません。エステル・パルヴィン嬢とは後日改めて会う機会を設けますわ」
バーンスタイン夫人に謝罪され、アレクシスは逆に申し訳ない気分になった。悪いのはどう考えても自分たちの欲望に忠実な兄二人だというのに。
「アレクシス殿下、お菓子はもう十分ですか?」
アレクシスが退室する気配を感じ取ったホワイトリー伯爵令嬢が話しかけてくる。
「う…うん。もうお腹いっぱいだよ」
「そうですか。すぐに退席されますか?従者の方を呼んで参りましょうか?」
そう言われて、このまま彼女と別れるのは少し惜しくなった。
「…少し薔薇園を散歩して帰りたい。お、お、お姉さん、もいっしょに」
「え、私ですか?」
「駄目?」
思い切って散歩に誘ってみたのだが、ホワイトリー伯爵令嬢は少し困った顔をした。
「も、申し訳ありません。私は夫人のお手伝いをしないと…」
「いいえ、かまわないわ。フィオレンツァ嬢。アレクシス殿下を気分転換に連れて行ってあげて」
バーンスタイン夫人から思わぬ援護射撃がある。
「よろしいのですか?」
「薔薇園は東館の方だから、そのままお送りして差し上げて」
「やった!行こう!ええと…フィ、フィ…」
「フィオレンツァですわ」
「フィオレンツァ嬢」
アレクシスは嬉しくて、フィオレンツァの手を取って出口へと促す。
フィオレンツァはびっくりした様子だったが、やがてアレクシスにあの優し気な笑みを向けてくれた。
 




