プロローグ
ホワイトリー伯爵領にある領主の屋敷で、主のホワイトリー伯爵は天を仰いだ。
最近金策に追われ、ちょっと疲れ気味だったかもしれない。彼は眉間を指でよーくもみもみしたあと、目の前にいる人物を見やった。
「もう一度言ってみてくれないか、可愛いフィオレンツァ。私の聞き違いかもしれないから」
「分かりました、お父様。よくお聞きください」
16歳になる伯爵の娘、フィオレンツァ。彼女は藍色の瞳をきりりと上げ、大きく息を吸った。
「私は王宮でこの度行われる、王太子妃候補の教育に参加いたします!」
聞き間違いじゃなかった…。ホワイトリー伯爵は、部屋に娘しかいないのをいいことに床の上に倒れこんだ。
「姉上、待ってください!」
父の執務室を辞した後、自室に戻ろうとするフィオレンツァに8歳になったばかりの弟のミリウスが走り寄ってきた。硬い表情をしていたフィオレンツァだったが、溺愛する弟を見た途端に頬を緩める。
「まあミリウス、お勉強はもう終わったの?」
「今は休憩中です。それよりも、王子殿下のお妃さまになるというのは本当ですか!?」
「あらあら…」
「執事のバーナードが飛んで知らせてきましたよ。姉上、王宮に行くなんて一体どうしたのです!?一生結婚なんかしない、この領地で僕を支えてくれるとおっしゃって下さっていたではありませんか」
「バーナードったら、立ち聞きなんて行儀が悪いわね」
「姉上、話をはぐらかさないで!」
ミリウスは母親譲りの亜麻色の髪を振り乱して噛みついてくる。
フィオレンツァたちは五人姉弟だ。フィオレンツァは四女、ミリウスは年の離れた末っ子長男で特に仲が良い。上の姉二人はすでに嫁いでいて、先日三女のニコールの結婚が決まったばかりだった。まだ幼いミリウスは、どんどん家を離れていく姉たちに追いていかれると不安を覚えているのだろう。
フィオレンツァはよしよしと弟の乱れた髪を撫でつけてやりながら、ゆっくりと口を開いた。
「誤解よミリウス。王子殿下の妃になるために王宮に上がるわけではないわ」
「ではどうして…」
「王妃教育を受けるためよ」
「…すみません、よくわかりません」
妃になるつもりがないのに、そのための教育を受けるとはどういうことだろう。ミリウスにはさっぱりわからない。
「ねえミリウス、バーンスタイン伯爵夫人を覚えている?」
「え、…あ、はい。大叔母様ですよね。王宮で働いていらっしゃる…」
「四年前にバーンスタイン夫人とお会いしてから、ずっと文通していたのよ。今回ニコールお姉様の結婚の持参金で我が伯爵家が苦しくなった時、バーンスタイン夫人はかなり援助して下さったの。そのお礼の手紙を書いたらね、王宮に来ることを勧められたのよ」
「え、姉上…。それって…」
フィオレンツァはにっこりと笑うと、拳をぐっと握りしめた。
「私、バーンスタイン夫人の後継者として王家専属の教師になるわ。そして王宮内で成り上がり、高給取りになってこの貧乏伯爵家を立て直し、ミリウスに必ずいいお嫁さんを見つけてくるのよ!」
彼らの生家、ホワイトリー伯爵家。
伯爵家とは名ばかりの、超貧乏貴族なのであった。