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第一章 愛する生徒へ Chap.4

「はい?」

 響たちではなく、私が声を出してしまった。教育? 脅迫の言い間違いでは……ないか、絶対。何を言い出すんだこの人は。

「教育ってなんだよ」

 響が半笑いでいう。千川さんは昔の学園ドラマでも意識しているのか、片手を腰に当て、もう片方の手で一指し指を立てる。

「君たちが社会に出て、もっとも必要とされるのは、大人の言葉を疑うスキルだ」

 私も中学生一同もぽかーんとして千川さんを見返す。

「へい、紅一点の君」千川さんが女の子を指さした。「武富先生の口癖は?」

 女の子は無視することで反抗した。千川は勝手に頷く。

「正解!」

「答えてねーよ」と女の子は怒鳴ってから、反応してしまった、という顔で口を押えた。

「『嘘はつくな。俺もおまえたちに嘘はつかない』。こういってただろ」

 先ほどスナオさんから提供された情報だ。

「こういう言葉から疑っていくんだよ。大人が嘘をつかないはずがない。君たちの将来を思っている、とかいってても、実際は給料のために働いてんだ。武富先生はどうだったかね? 玉木響」

「……知らねぇ」

 響が鼻を鳴らしていった。

「きっと嘘をついていたさ。教師は子どもの前で怒りたくないのに怒り、笑いたくないのに笑う。だれも進めるはずのないまっすぐな道を、子どもたちに進めと諭す。心を痛めながら、子どものために嘘をつく」

「何いってんのかわかんねぇよ」

 千川さんは響に近づき、目を覗き込む。

「ところで君も、無理して嘘をついてるんじゃないか? 友達のために、怖くても必死にリーダーを演じてる」

 千川はそういって、響が何もいえないうち、響の頭を撫でた。響は猛烈な勢いでその手を払い、凄む。

「さっきから、ふざけ……」

 そのときだった。少年の一人が、「やべ。茂手木だ」と声を上げた。入口の方を振り返るとこちらを示す店員と、茂手木さんの姿があった。

「おまえたち!」

 茂手木が声を上げるとほぼ同時に、響たちはいっせいに裏口へと走っていた。


 ゲームセンターを出た私たちは道端のベンチを囲んで、自然と立ち話をする格好になる。

「土曜日だっていうのに大変ですね」

 千川さんが呑気に茂手木さんを労った。

「お店から連絡を受けたら駆けつけるのは教師の仕事です。それより、どうしてあの場にお二人が?」

 困った様子ながら、生徒に無断で近づいた私たちを咎める声は出さなかった。

「玉木響くんが武富先生の悩みのタネだった。だよね?」

「直人と同じ考えですか? 玉……生徒が、事故を引き起こさせたと?」

「例の仮説一、二なら、玉木響の犯行ではない」

 断言する口調だった。

「俺の見た限り、玉木響は武富さんを嫌っていなかった」

 千川さんが武富先生は好きだったか、と訊ねたとき、確かに彼は口ごもっていた。嫌いだと突っぱねるのは簡単そうなのに、いえなかったのか。

「今の武富先生は、ええ、温厚で我慢強い先生ですから」

 茂手木さんが静かにいった。

「びっくりしましたよ。同じ学校に赴任して。私の記憶の中では鬼教師でしたから」

「鬼?」

 と、驚いた私の方を見て、弱弱しく微笑む。

「とても厳しい人だった。遅刻や居眠りでもしようものなら、廊下に立たされていました。反抗的な生徒には、時に拳も辞さなかった」

「えっ」

「でもね、筋はいつも通っていましたよ。あくまで懲戒でした。ええと、説明が難しいんですが」

「教育上必要があると認めるときは、児童生徒に懲戒を加えることができ、懲戒を通じて児童生徒の自己教育力や規範意識の育成を期待することができる、ですね」

 茂手木さんは目を瞠った。

「一応、教育学部なので」

「そうでしたか」

 私が暗唱したのは文科省から全国の学校に通知されている、『問題行動を起こす児童生徒に対する指導について』の文言の一つだ。教師はいかなる場合にも〈体罰〉をしてはならない。けど、指導の一環として生徒に〈懲戒〉を与える権限はある。たとえば問題を起こした生徒を放課後に居残りさせても体罰には当たらない。生徒を授業中、廊下に立たせたとする。それだけなら体罰になるけど、後でその生徒に補習などのフォローをすれば指導だ。

「線引きが難しそうだな」

 千川さんが口を挟む。

「文科省の通達も教育マニュアルも、あくまで理想論ですから。現場のことは現場の教師にしかわかりません。私が教えられていた当時の武富先生は生徒に体でぶつかっていた。詭弁だけでは子どもに心は伝わらない。私も、殴られたことがありました」

 生徒の暴力に暴力で対抗した場合、「正当防衛」と見なされる。でも私には茂手木さんが暴れている姿は想像ができない。私の懸念を察したように茂手木さんは頷いた。

「正直、度が過ぎていたかもしれない。でも生徒への愛があったから。私は大人になってから先生の優しさに気づけました」

「今の武富先生は変わっていた?」

 茂手木さんがふっと息を吐く。

「時代が変わりましたし。教師は慎重を期さなければすぐ生徒や保護者からクレームが入りますから。武富先生は、丸くなったご自分を『この歳になって成長した』と、受け入れていました。昔のやり方は間違っていたと。あの玉木にも辛抱強く笑顔で対話していた。授業妨害されても、罵倒されても」

 茂手木さんが千川さんを見る。

「だから千川さんのいう通り、武富先生は彼らに嫌われてはいなかったかもしれません。でもストレスは、溜まっていたはずです」

「あの、武富さんは、ストレスでお酒に走るほど、お酒好きな人だったんですか?」

 私は訊ねた。アルコール依存症というわけではなかったのか、気になった。

「人並みに飲む方でした。日本酒も」

 ふと、自分の言葉で茂手木さんは消沈した表情になった。

「……先生が弱っていたのは事実です。実は前に、何か処方薬を飲んでいるのを見てしまったこともあります」

「薬を……」

とつぶやいた千川さんの声が、日の暮れた繁華街に落ちて消えた。

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