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第一章 愛する生徒へ Chap.1

 大塚駅を出ると冷たい風に頬を撫でられた。自然と足が速まる。通い慣れたマンションの栃乙女ちゃんの部屋に入る。栃乙女ちゃんは、もこもこしたニットのセーターと、ショートパンツという上下で季節が分裂したいでたちでパソコンに向かっていた。

「澪っち、おはよ! 適当に座ってね」

「お疲れ様。栃乙女ちゃん、仕事中?」

「うん。千川に頼まれたやつ、もう終わる」

 マウスを動かしながら「超疲れたし~」と愚痴っていた。

 栃乙女は脅迫屋チームの優秀なハッカーで、可愛らしい女の子だ。最近は黒髪にメッシュを入れた髪がデフォルトになっていて、心なしか初めて会った頃より大人っぽくなった。といっても私より年上なのだけど。

「おみやげにマカロン買ってきたから」

 私が手にしていた袋を掲げると、「神!」と栃乙女ちゃんは目を輝かす。

「こんにちは金坂さん。僕も食べていいの?」

 チェスターコートをハンガーにかけながら長身の男性、スナオさんが笑いかけてくる。本名は須藤直人なのだけれど、私たちの間ではもう「スナオ」で確定している、

「スナオさんもどうぞ。早いですね」

「うん。僕の呼びかけだし。ごめんねせっかくの土曜日に」

 スナオさんは私から袋を受け取り、テーブルに運ぶ。得意のナンパに使う愛用の砂時計もテーブルに置いた。

「千川くんが何分遅れるか計ろうよ」

「千川さんが遅刻するのは確定事項なんですね」私は苦笑しつつ、二人に向けて訊ねる。「ここのところずっと千川さんと目黒さんが追いかけていた組織……ええっと……」

「レッドキャップ? 勢力拡大中の準暴力団」

「そうでした、レッドキャップ」

 千川さんが昔馴染みから脅迫の依頼を受けた、という話を聞いたのは夏のことだ。なんでもレッドキャップというのは、既存の暴力団を壊滅させるような、過激な活動をする集団らしい。一か月ほど前、都内でレッドキャップと暴力団による銃撃戦が起き、大きなニュースになっていた。

 千川さんは幹部級を地道に脅迫で追い詰めていけば崩せる、と余裕の表情でいたけれど、最近は多忙の様子で全く会えていなかった。

「けっきょくどうなったんですかね。スナオさん、知ってますか?」

「さぁ。今回は千川くんと目黒くんに誘われなかったし、栃乙女ちゃんも詳しくは聞いてないって」

「そうですか」

「あの二人のことだから大丈夫でしょ」

 スナオさんのいうのはもっともだ。私の心配はたいてい杞憂に終わる。

「ところで今日はスナオさんの持ち込みらしいですね」

「持ち込みというと、テレビ番組の企画のようだね。でも、うん。僕からの依頼。千川くんたちの調査能力を生かしてもらいたくて」

 ちょうどそのとき玄関ドアの開く音がした。

「俺は忙しいんだよ。依頼料は高いぞ」

 姿を現すより先行して、面倒くさげな声が部屋に入ってくる。変わらない調子にほっとする。

「久しぶりです、千川さん」

 千川完二の入室と同時に私は声をかけた。以前は長かった襟足を切り、細面な顔には少々爽やかさが増している。

「おっと。上半期に必修の単位を一つ落とした女子大生じゃないか」

 ただ中身は変わらない。わざとらしいしかめっ面を作って開口一番、私に言ってくる。

「傷を抉らないでください」

 むっとして私はいい返す。

「一単位ぐらいどうってことないでしょ」

 スナオさんがいう。千川さんは「と、常人は思うけどな」と暗に私を変人に設定する。

「四角四面な金坂澪にとって取るべき科目を落としてしまうことは、責務を果たせなかった、とか、恥ずべきことだ、とかいう考えにつながってしまうんだよ」

「待ってください、私の出席日数が足りなかったのは、千川さんの仕事の手伝いに駆り出されたからで……」

「あ、人のせいにする? 断ればよかったじゃないの。俺は強制してねぇぞ」

「うっ、む……」と私が言葉に詰まると、「澪っちが嫌がることをいうな~!」と栃乙女ちゃんが加勢してくれた。

「俺は脅迫屋。人が嫌がることをするお仕事なんだよ」

「私への悪口は脅迫と関係ないと思うんですけど!」

「澪っち、もう脅迫は批判しなくなったね。成長~」

 栃乙女ちゃんが感慨深そうにいう。

「えっと、成長じゃないんだけど」

 でも退化というのもおかしい。

「で、何の用なんだよナンパ師」

 千川さんがソファにどかっと座った。

「あれ。目黒くんは休み?」

 目黒さんは脅迫屋の相棒で、本業は空き巣で、表向きは警視庁の事務職という、プロフィールは盛りだくさんだけど頼りになる人だ。てっきり一緒に来ると思っていた。

「あいつは別件で仕事中」

「そっか。電話でも話したけど、ちょっと調べてほしい事件があって」

「大事なことだからもう一度いっとくけども、俺は脅迫屋で、なんでも屋じゃないぞ」

「場合によっては誰かを脅すことになるかもしれない」

 スナオさんは穏やかに物騒なことをいう。私も落ち着いて耳を傾ける。

「実は僕の中学時代の恩師が交通事故を起こして意識不明なんだ」

 物騒さに、重さが加わった。

「学校の先生ですか」

「うん。ずいぶんお世話になったよ」

 スナオさんは寂しそうに微笑む。

 恩師の名は武富純二。都内の公立中学校で教壇に立つ、定年間近の教師だという。

「で、どんな事故?」

 千川さんが訊ねる。

「四日前、火曜日の夜。車を運転中、緩やかな坂道でガードレールにつっこんで突き破り、畑に落下。道路にブレーキ痕はなく」スナオさんは一瞬間を空けた。「搬送先の病院で検査したところ、アルコールが検出された」

「飲酒運転による自損事故ってことだろそれは」千川さんはきっぱりといった。「酒のせいで居眠りでもしちまったパターンだ」

スナオさんが肩をすくめた。

「そういうことになってる。おかげで保険金は下りないし、先生の妻子は白い目を向けられてる」

「そういうことになってる、という含みのある言い方をしても訊き返してやらないぞ」

 と、千川さんは訊き返していた。私は重ねて、「スナオさんはただの事故じゃないと考えてるんですか」と問いかけた。

「飲酒運転なんてする人じゃないんだ。あの先生は。事故に裏があるんじゃないかと僕は思ってる。真相を千川くんに調べてほしい」

スナオさんの言葉に千川さんが大げさに両手を広げ、「おいおい」と嘆く。

「俺もよく言われるよ。千川さんは脅迫なんてする人じゃない、悪い人じゃない、どちらかといえば聖人のようだって」

「いわれてませんよね」

 私の言葉を聞き流した千川さんは腕を組む。

「どんな人間でも悪に染まるし、過ちを犯す。世の中に絶対はないって義務教育で教わらなかったか?」

「ごもっとも。ただ、僕が納得できないだけ。ナンパ師の勘てやつかな」

「世の中にそこまで当てにならない勘はねぇよ」

「万が一、ただの事故でないなら、脅迫する相手が出てくるかもしれないよ」

「望みうっすいな」

「もし、千川くんが調べて先生が黒という結論ならそれでいい」

 千川さんのつっこみを受けとめ、スナオさんは静かにいう。砂時計をテーブルに置く。砂が落ち始めると、すぐにひっくり返した。

「このままだと、先生との記憶に染みが残るだけの気がしてさ。もちろん報酬は払うから」

「千川さん、スナオさんがこんなふうに依頼することなんてないじゃないですか。やりましょうよ」

 拳を作って私はいった。

「君はどういう立場と感情なんだ」

「顔見知りの立場と、交通事故の真相をうやむやにしたくない感情です」

 私は交通事故で両親を亡くしたが、その事故の裏に隠されていた真相を、十三年もの間知らずにいた。偶然がなければ、闇に葬られていたかもしれない。

 千川さんが私をちらりと見て、スナオさんを見て、小さくため息をつく。そして、ずっと無言でマカロンを食べていた部屋の主を振り返る。

「栃乙女!」

「はいはい、四日前の事故と学校の資料ならもう出したし」

 リスみたいに頬をマカロンで膨らませた栃乙女ちゃんが、パソコンを向けていった。


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