ルミナスは、会話する
「ま、マナ…まっ、て…。」
だめだ。追いつけない。
足速すぎだよ。
私は息を切らしながら立ち止まる。両膝に手を置き前屈みになって首を垂れたため、後ろに流している髪が前にパサリと落ちた。
マナのスピードに追いつけるわけがない。イアンほどではないが、マナも走るのは得意なのだ。
……マナは『塔』って言ってた。きっとあれだ。
街の中は街灯が無いため、月明かりだけが光源で足元がよく見えず、私は何度も転びながらも、マナが向かった方向にある塔を目指して再び足を動かした。
「えっと…。」
なんとか塔には着いた。今私の目の前には塔が建っていて、その左右は壁が続いている。ここに来るまでには沢山の平屋の建物があり、壁との間には一軒分ほどのスペースが空いていて、左右を見る限りではそれが続いているようだ。
町の人が住んでいる建物だろうか…平屋の建物は窓を閉めていて、暗くて中の様子が見えない為分からない。マナの姿はどこにも見えず、塔の中に入ろうにも入り口が見当たらない。どうしようかと辺りを彷徨って歩いていると……
「お〜い。」
上から高い声がして見上げると、壁の頂上に人影があった。姿はハッキリと見えないが風でローブが揺らめいてる。
アクア様だ。
アクア様が前にグラリと揺れて、頭から下に落ちてくる姿が目に入り、私は危ない!と思い息を呑んだけど、アクア様はくるりと回転して地面に綺麗に着地し、私の前まで歩み寄った。
「お、驚きました。アクア様…。」
「獣人は皆この位の高さ平気だよ。大丈夫?手が凄く震えてるよ?」
「え……」
言われて気づいた。
全身の震えが止まらない。
足がガクガクして今すぐ座り込みたい気分だ。
アクア様が落ちたのを見たから?
違う……
前にも私…同じような光景を…。
頭がズキズキと痛みだして記憶に靄がかかったように思い出せない。
「ルーミーナースっ。」
「ふびゃっ!――ッいひゃいです!」
アクア様が私の両頬をつまんで、引っ張ってる。
地味に痛い。アクア様が手を離して私が自分の頰を撫でていると「うん、もう大丈夫だね」と笑顔で私を見つめていた。アクア様の言う通り、頭の痛みも震えも止まっていた。その事にホッと胸をなでおろす。
「アクア様は壁の上で、何をしていたのですか?」
「さっきまでレオドルの所で話ししてたんだけどね。彼、今忙しくなったからさ。最後にルミナスに会ってから帰ろうと思って。壁に向かっているようだったから、先回りして待ってたんだ。」
にこやかな笑みを見せるアクア様だが、私はアクア様の言葉を聞いて、気持ちが沈んだ。
アクア様の『帰る』は、自分の作った空間に戻ることだ。
「もう、帰るのですか?なぜ急に…。」
しばらくいると言っていたから、疑問に思って尋ねた。するとアクア様は「争いが起こる場にいたくないからね。」と、とんでもない事を言い出す。
………争い?
私はアクア様が言った言葉が上手く飲み込めず、放心状態になるが、頭を左右に振って意識を戻す。
アクア様が帰る程の争い…単なる口論や喧嘩ではなく、私の中に『 戦争 』いう嫌な二文字が浮かび上がった。
「……なぜ、争いになると?」
私はゴクリとつばを飲み込む、なんとか口を開いたが、声が震えていた。
「分かるよ。こんな状況は今まで何度もあったからね。人は欲深い生き物だからさ。いつまで経っても本当に、人は変わらないね……。」
私に視線を向けたアクア様の水色の瞳は、月明かりだけでよく見えなかったが、まるで涙を溜めているように悲しげに見えた。
……こんな状況…?アクア様は何を知っているの?
アクアが言った『争いが起こる』だけでは、情報が乏しいルミナスには分からない。この時ルミナスが魔力感知をしていたら、指輪を持つ者が近づいていることが分かった。しかし今後使うことが無いと思っていた魔法を、この時使用することは頭にない。
アクアは一人食堂を出た後、街の中を歩いて見てた際に魔力感知を行い、この町に向かってくる指輪の反応を二つ捉えていた。
アクアは外に出たら頻繁に魔力感知を行っている。それは、まだ自分の空間に閉じこもる前にしていた癖だった。魔力を増やすのに効率が良かったのと、自分達以外にも、魔力を持つ者が現れるかもしれないと外にいた当時は思っていたのだ。
もうそんな必要はないと思いながらも、未だにその癖が抜けていなかった。
レオドル王と話をした際に、この国が他国と交流してないことなど、今の国の現状を知ったアクアは、指輪を持つ者がこの国に向かってくることを怪訝に思った。誰が所持し、なんの目的でこの国に向かっているかは知らないが、大体の推測はできる。
……国か、力か、それとも両方かな。
何度も、何度も、何度も、目にしてきた。
醜い人の争いを。
僕は、僕達はもう人の争いに決して干渉しない。
人がどれだけ死のうが、国が滅びようが、どうでもいい。そう思っているアクアは、誰にも何も告げずに帰ろうとした。レオドル王にも指輪が近づいてることは話していなかったが……
アクアは唯一、ルミナスのことが気掛かりだった。
アクアは思考に耽っているルミナスを見て、薄く笑みを浮かべる。
……君は、僕に頼ろうとしないんだね。
アクアは争いが起こると聞いても、魔人の力に縋ろうとしないルミナスの姿を好ましく思った。
……初めて僕を目にした時も、部屋で君と話した時も、君は僕を怖がらなかった。
人は僕を知ると恐れを抱いた瞳で見るけれど、君は瞳を輝かせて僕自身を見てくれた。
尻尾ばかり見るのは可笑しかったけどね。
数日だけだが、まるで自分が『人』に戻ったような気分になれて、アクアは荒んだ心が僅かにだが癒されていた。それは、魔法でも決して癒すことができないものだ。
アクアは自分が知り得たことや推測したことを、これ以上話すつもりはないが、ルミナスの様子を見て、あることを伝えておこうと思い口を開く。
「ねぇ、ルミナス。指輪を見せてくれるかな?」
「………え?は、はい!」
反応が遅れてしまった私は、慌てて右手をアクア様に向けて出し、指輪が見えるようにする。アクア様は私の手を取ると指輪をそっと撫でて、優しい眼差しで私を見つめた。
「ルミナス、僕が前に『本人が望めば指輪から魔力を戻せる』と話したことを、覚えているかな。」
「はい。」
私が頷いたのを見て、アクア様は微笑む。
「もしも君が力を、心から望むのならば……」
…………………
…………
……
「アクア様、ありがとうございました。」
「うん、じゃあね。」
私はアクア様に深く頭を下げる。
アクア様は私に背中を向けた後に自身の前に手をかざした。すると最初に現れた時のように淡く光、扉の大きさほどの光の入り口ができる。アクア様はその中に入り、光はすぐに消えてしまった。
最初にアクアが現れた時は、レオドル王が光の入り口を出現させたようにルミナスは見えたが、そうではなかった。指輪を道標として、その場に出たに過ぎず、戻る時はどの場所からでも可能である。
しかし自分の空間から出る時は、指輪を持つ者と魔人の両者の意志が揃わないと入り口は作れない。
それは指輪を持つ者が入り口を作ろうとしても魔人が拒めば作ることはできず、また逆も然りである。
ルミナスはそれを、先ほどアクアとの会話の中で聞いていた為、アクアが自身の手で入り口を作り出したことに驚くことはなかった。
アクアにルミナスは、争いが起こる事について何を知っているのか、本当は詳しく聞いて知りたかった。だが、ルミナスの頭にアクアの先ほどの悲しげな顔と、部屋での会話で魔人達が人の争いに利用された事を思い出し聞くのをやめた。
人の争いは、人の手で解決しなければならない。
ルミナスはそう思い、今何が起こっているか自身の目で確認し、考え、行動しようと決意し、アクアから聞いた話を、しっかりと胸に刻む。




