ルミナスは、修練場で目を瞬く
修練場の場所は、ルミナスがいた方とは反対側だ。しかしそれほど距離が離れている訳ではなく、城から見て南側に広場や店があり、修練場は城寄りの北側にある。
イアンが広場を抜け城を通り過ぎると、修練場がイアンとルミナスの視界に入ってきた。
イアンの俊足だと、その距離はあっという間だ。
……あ、さっきの広場と似ている。
それがルミナスが見た、修練場の印象だった。大きさは広場より少し広い程度のもので、広場と同じく何もない空間が広がっている。
修練場の隅に蓋なしの木箱があり、中には修練用の木剣が数本入れてあるだけだ。
その場にはラナや子供達を救いに行って戻ってきた隊の面々が、端に寄って横並びに立っていた。そしてラージスとマシュウは少し離れた位置に二人並んで立っている。サリシアは二人の横に立ち、修練場の中央にはライアンと副隊長が、お互いに腰に下げた剣は持たず、木剣を手に持ち打ち合いをしていた。
イアンとルミナスは修練場の側まで、歩み寄ろうとし……
「イ、イアン!待て…」
少し息を切らしながら追いついてきたトウヤが、声を上げようとしたのを、途中でシンヤがトウヤの口を両手で塞ぎ「……静かにトウヤ」と小声で言った。
イアンはルミナスを抱き上げていた為、全速力では無いがそれでも速く、トウヤとシンヤは全速力でやっと後を追いついた。
ガッ…!
ギシィ…ン!
ガガッ!!
周りの人達はトウヤの声に誰も気づかなかった。
ルミナスもイアンも、その場には他に誰も声を発する者はいなく、二人の打ち合う音だけが聞こえている。イアンが抱き上げていたルミナスを地面に下ろし、トウヤも口を結んでシンヤが口から手を離した。
そして四人は静かにイアンとルミナスの二人が先を歩き、その後ろにトウヤとシンヤが続き、サリシアの元へと向かって歩み寄った。
「イアン、ルミナスと見に来たのか。…ん?トウヤとシンヤは確か、ハクヤが追い出していた筈だが…。」
サリシアの言葉に、トウヤが怒られると思い肩を竦めた。
「……あまり他の者に見せるべきでは無いと思ったが…まぁ、良いだろう。」
サリシアの言葉を聞いたトウヤはホッと安堵の笑みを漏らし、シンヤは笑顔でサリシアに対し、頭を軽く下げていた。
「姉上、手合わせは始まったばかりですか?」
イアンがなるべく声を潜めて話し、その言葉を聞いたサリシアが「先程始めたのだが、あのようにずっと打ち合いが続いている。私が元々手合わせをする筈だったが……ハクヤがうるさくな。」と後半はため息混じりに言って、イアンに向けていた視線をライアンと副隊長へと戻した。
ラージスとマシュウもルミナス達が来た事に気付き、ルミナス達に軽く頭を下げただけで、すぐに視線を中央へと戻す。
サリシアが『ハクヤ』と呼ぶのは、トウヤとシンヤの兄であり、隊の副隊長を務めていて今現在ライアンと手合わせをしている男である。
ハクヤの年は二十四歳で、髪色と瞳はブラウンの犬の獣人だ。髪の長さは胸まであり、後ろで一つに結んでいる。サリシアが隊に入隊する前は隊長を務めていたが、サリシアが十七歳の時に隊の者を全て倒し、その実力を認められ隊長になった。
そしてその際に負けたハクヤは、サリシアの強さに惚れ込み、それ以来サリシアに挑み続けている。
一度想いを伝えたこともあるが、私に勝てる男でないと結婚はする気になれんな、とサリシアに袖にされていた。
修練場で他の隊の者達と、鍛錬していたハクヤの元へサリシアとライアン達が赴き、これから手合わせをする事をサリシアが告げると、ハクヤが『是非自分に!』と願い出たのだ。
『俺は別に構わねぇーよ。但し勝ったら、サリシア王女とやらせてもらうぜ』
『しかしだな…』
楽しげな表情のライアンに対してサリシアは難しい顔をしていたが、ライアンが『そんなに俺と早くやりてぇ〜のか?』モテる男は辛えなぁ〜と言いながらサリシアの肩を抱こうとしたライアンに『そんな訳ないだろう』とサリシアが回避しつつ睨んでいた。
二人のやり取りを見ていた、ハクヤの心に火がついた。
ライアンが少し体を温めたいと言って体をほぐして待っている時に、トウヤとシンヤが訪れたのである。
手合わせをする事になりサリシアが、隊の者以外は修練場に入れないよう話していた為、二人は追い出されていた。
……ライアン王子も副隊長さんも凄い…。
ルミナスは目を瞬かせて、二人の打ち合いを見ていたが……
「貴様ッ!いい加減にしろッ!!」
ハクヤの怒声が響き、ルミナスは思わずビクリと肩を震わせる。ハクヤはライアンから距離をとると木剣を地面へと突き刺し、眉間に皺を寄せていた。
「さっきから貴様は加減して打ってきてるだろう!本気でかかってこい!!」
「これは手合わせだっつーのに、本気出してどーすんだよ。」
ハクヤはライアンの言葉に歯をギリッと噛み締め…「……その口を、きけなくしてやる。」
腰に下げた長剣を引き抜き、ライアンへと切っ先を向けた。
サリシアは腰の両方に短剣を下げているが、隊の者達は皆一方には短剣、もう一方には長剣を腰に下げている。服装が皆同じでシャツに革製のズボンとブーツを履いている彼らは、任務の際には胸当てを着用していた。長剣は入隊した際にレオドル王より賜り、長剣を持つのは隊の者だけで、隊の者と示す証となっている。
サリシアがハクヤを止めようと一歩足を踏み出したが、ライアンがサリシアに向かって手のひらを突き出しやめさせる。
「俺に剣を向けたな?死んでもしらないぞ」
その刹那、ライアンの纏う気配が変わり、周辺の空気がピリッと緊張を帯びたものに変わる。
ライアンの表情は、先程までの楽しげな雰囲気が消え失せ、今は真剣な表情でハクヤを見据えていた。そして木剣を地面へと突き刺し腰に下げた剣の柄を掴み、鞘からは抜かずグッと自身の身を中腰にする。
ルミナスもライアンの様子と周りの緊張感を感じ息を呑み、その場に立ち尽くしていた。
「…やっと本気になったか。」
ハクヤもライアンの変わりように一瞬瞠目したが、すぐに剣を前に構えライアンを見据えた。
ハクヤが気合いのこもった声を上げると同時に地を蹴りライアンへと向かっていく。ルミナスはその光景に身を震わせ思わず目を瞑りそうになるが、瞬きをした一瞬の間に……勝敗は決していた。
「―――ッぐ…」
地に片膝をつき、地面に剣の切っ先を突き刺して自身の体を倒れないようにして呻き声を上げたのは……
ハクヤだ。
ライアンは無傷でハクヤの背中側に立ち、剣を鞘にゆっくりと納めていた。
「俺の剣を食らって倒れねぇーなんて、騎士団長以来だなぁ。あんたも中々やるなぁ〜」
体を振り向きハクヤに視線を向けながら笑うライアンの表情は、いつもの調子に戻っていた。
ハクヤは顔だけライアンに向けて「―――ッくそ!まだ…」と悔しそうな表情をし、立ち上がろうとしたが、サリシアの「それまでだ、ハクヤ」と淡々とした声を聞きハクヤは唇を噛み動きを止めた。
サリシアが指示し、立って見ていた隊の者二名がハクヤの元へ駆け寄って、手を貸そうとしたが……
「自分で立てる」
ハクヤはゆっくりと立ち上がり、剣を鞘に収めサリシアの元まで歩み寄る。
―――ち、ち、血が…!
ルミナスはハクヤの服の前と後ろに切り傷と血を見て慌てるがサリシアが「この程度なら大丈夫だろう、城から近いし、念のため医者に診てもらえ。」とハクアに落ち着いた様子で話……
「……誠に、面目ございません…」
ハクヤは胸の傷を抑えながら、暗い表情で頭を下げると、そのまま城へと向かって行った。
周りの者たちは二人の動きを目で捉えていたが、ライアンの見慣れない剣の構えと、本気の初撃の速さに驚いていた。
ライアンはハクヤが剣を振り下ろした瞬間に自身の剣を抜き、剣の腹でハクヤの剣の軌道をずらすと、ハクヤの胸を斬りつけつつ身を翻し背に回り、前に重心がいったハクヤの背中を斬りつけた。
咄嗟にハクヤは前の重心を重くしたため、背の傷は浅いが、そのまま前に膝をつけてしまったのだ。
「兄貴が、負けた…?」
「そうだね…トウヤ。」
トウヤは動揺し、信じられないものを見たかのような表情をしている。シンヤも驚きを隠せない様子だ。
ルミナスが隣に立つイアンを伺うと、イアンは拳を固く握り締め、瞳を輝かせながらライアンに視線を向けていた。
「次は私が相手をしてやろう。」
「ああ、よろしくなっ。」
サリシアとライアンの声を聞き、再び皆の視線が中央へと向けられた。




