ヒューズ宰相は混乱し、レギオン王は戦慄する
モリエット男爵が亡くなった同日の昼頃
ヒューズ宰相は城内の執務室で、いつもは綺麗に整頓されている机の上が、乱雑になっているのも構わずに難しい顔をして考えに耽っていた。
……男爵の手の者に捕まったか、殺されたか…
男爵へと情報を流していた文官を捕らえるよう指示した密偵が、部屋を出た後から行方が分からなくなっていた。そして、その文官も。
……城内に他にも協力者が?…しかし城内のことを私は把握している。…陛下の元へ訪ねて一度相談した方が良さそうですね。
そう思いヒューズは、椅子から降りて立ち上がり扉へと向かうと………扉の外からドアを勢いよく開けて続々と兵の者達が入ってくる。
ヒューズは突然の事に唖然とし、その場に立ち尽くした。そしてヒューズを取り囲むようにしていた兵の他に騎士の者が数名現れて、一人の騎士から放たれた言葉に戸惑う。
「ヒューズ・ハウバスト!国家反逆罪で貴様を捕らえる!」
「な!何を…」
ヒューズが言葉を発しようとしたが、問答無用で拘束されてしまう。
……何故私が?一体何が起こっているんだ!?
騎士を動かせる人物など限られている。騎士団長?いや、あり得ない。第二、第三王子はグラウス王国へと向かって不在だ……誰が私を貶めようと…。
ヒューズが考えを巡らせていると、執務室から出た先で、ある人物の姿が視界に入る。
「貴方が罪を犯すなど、信じたくは無かったが…。」
ヒューズに声をかけたのは、サンカレアス王国第一王子。ジルニア・フォン・サンカレアスである。
金色の髪が肩まであり、長い前髪を横へ流している。瞳も金色で背が高く、ジルニアは冷たい瞳をしながらヒューズを見下ろしていた。
「私は…罪など犯しておりません。」
取り押さえていた兵の者が、ジルニアの姿を見てヒューズを跪かせて、頭を床へとつけさせていた。ヒューズは抑えられながらも、苦しげな声でジルニアへ訴えかける。
「貴方は文官を通して男爵と通じていた。最近では男爵の屋敷に訪れて密会していたそうだな。ルミナス嬢を誘拐し、グラウス王国へと引き渡した罪。王子達を向かわせて暗殺を企てた罪。全て貴方の部下が話してくれたことだ。」
ジルニアは淡々とヒューズへと告げた。
ヒューズは確かに男爵の屋敷を訪れたし、文官に情報を流し男爵の動向を探る為に利用はしたが、後は身に覚えがないことだった。
ルミナス嬢の行方が分かった?グラウス王国に引き渡した?部下…まさか密偵と文官が捕まり虚言を言っているのか?
ヒューズは混乱していた。
「モリエット男爵は…」
「モリエット男爵は屋敷で亡くなっており、屋敷の中の使用人も全て殺されていた。暗殺者に口封じの為に殺したのだろう?」
「…亡くなった?」
男爵が亡くなった事を、ヒューズはこの時初めて知った。それはヒューズに情報が入らないようにされていたからだ。
「貴方の刑は後日行います。」
「陛下…!陛下はなんと…!」
ヒューズが声をあげると、ジルニアが鋭い視線を兵へと向けて、慌てて兵がヒューズの口に布を当てて後頭部で縛り、声を出せないようにした。
「この件を父上は、私に一任してくださいました。…抵抗するようであれば、この場で斬り捨てても構いません。」
「―――ッ」
ジルニアの言葉を聞き、騎士の一人が腰に下げていた剣を抜き、ヒューズの首に切っ先を向ける。ヒューズは今この場で死ぬわけにはいかない、と思い大人しく牢屋へと向かった。
ジルニアは、騎士と共にその場を離れる。
―――――
「父上、お加減はいかがでしょうか?」
「……………。」
「そうでした、報告があったのです。ヒューズは捕らえて牢屋に入れました。騎士団長がもし牢屋からヒューズを出そうと企んだら、同じく捕縛致しますね。」
「……………。」
「ルミナス嬢はグラウス王国にいます。必ず救い出してみせますので、どうかご安心ください。これから兵の準備を始めます。」
「……………。」
「弟達は人質に取られるかもしれません。その時私は非情な決断をするでしょう。しかし、それは仕方がないと父上なら分かっていただけますよね?」
「……………。」
「そのように睨まないで下さい。ここには誰も近づけさせませんから…ゆっくりとお休みください。」
レギオン王からの返事はない。出来ない。
今ジルニアは、国王の寝室でベッドに仰向けのままで微動だにしない、レギオン王を見下ろしている。ベッドの側に立つジルニアは感情の読めない表情で、淡々と一方的に話しかけていた。
レギオン王は死んではいない。薄く開かれた瞳はジルニアの姿をしっかりと捉えており、口は半開きで言葉が発せられず、体の自由がきかない状態である。
ジルニアが毒を盛ったのだ。
死には到らないが、このまま医者にも見せず放置した状態を続ければ命はゆっくりと蝕まれていく。
何故このような事態になったのか、それはモリエット男爵の屋敷にベリルが訪れる前のこと………
レギオン王は寝室で普段通り起床し、いつもなら支度を整えに来る使用人が来ないことに、疑問を持ちながらベッドから起き上がった。
するとドアをノックされ「父上、少しよろしいでしょうか?」とジルニアが部屋を訪れる。
「良いが…どうしたのだ?」
「内密にお話ししたい事があったのです。父上は忙しいですし、私もこの後予定がありましたので…。」
「そうであったか。なんだ、話とは?」
穏やかな表情を見せながら、ジルニアは部屋の中へと入りレギオン王へと話しかける。手にはワインとグラスを一つ持ちながら…。
『内密に』という言葉にジルニアが使用人を下がらせたのだろうと思い至り、話を聞くことにした。
ジルニアは政務を行い、貴族達との交流も盛んで国内の各領地を訪れたりと日々勤しんでいる。四年前オスクリタ王国のオルウェン王が即位した際、外交官と共に国へ赴き、それまでは交易があまり無かった我が国と、交易を盛んに行えるよう交渉も経験している。
オスクリタ王国は鉱山が多数あり、宝石の原石を発掘し、それを我が国の職人がネックレスなどの装飾品へと加工して、他国や国内で商人を通して販売する流通ルートを作った。民からの支持も高く、次期国王として相応しい人物だ。
レギオン王もそんなジルニアを信頼しており、自分も老いてきてジルニアの即位をいつにするか、と考えていた。ジルニアに対して心配なのは、妻がいない事位だ。いや、妻はいた…だが暗殺された。犯人は王妃の座を狙っての犯行で処刑されている。
レギオン王としては、早く次の妻を娶ってほしいのだ。しかしジルニアは亡き妻を想い、共に過ごした王都内にある屋敷をそのままにし、新しく妻を娶る事を拒否していた。即位してからにします、と言いながら。
「話の前に如何ですか?オスクリタ産の珍しいワインが手に入ったのです。」
「うむ、頂こう。」
寝覚めでちょうど喉も渇いていたことから、レギオン王は嬉々として了承した。ジルニアはオルウェン王と懇意にしていることから、こうしてレギオン王の元へとオスクリタ産の食べ物や飲み物、様々な品を持って来る事があった。
普段は毒味の者がいるが、ジルニアから直接渡される物にレギオンは何の疑念も抱かないまま、ワインを口にする。
……ダリウスは、オスクリタ王国が不穏な動きを見せていると言っていたが…ただの杞憂であろう。
シルベリア侯爵に早馬も着き、何かあれば報せをもって戻ってくる。しかし三十年間…特にここ数年は友好な関係を築いている事から、レギオン王は考えが甘かった。
「父上は愚かだ。」
突然ジルニアが自分へ向けた言葉と、いつも穏和な表情を見せているジルニアの、冷たい表情に目を見開き驚く。
「ジル…に…」
「さぁ、父上そのままベッドに横になって下さい。」
レギオン王は抵抗しようとしたが、上手く体が動かせずジルニアにベッドに横にされる。そして指にはめていた赤い宝石が付いた指輪を外された。
「この力は父上が持つべきではないのです。」
……なぜ指輪の力の事を知っているのだ?まさか…
レギオン王はジルニアに、指輪の秘密を教えてはいなかった。誰からと考えれば、すぐに答えが分かる。
オスクリタ王国の国王 オルウェン王
嫌な考えが頭の中を巡り、しかし毒のせいか上手く思考が定まらなくなり、ジルニアの言葉をただ聞くことしかできない。
「衛兵には、父上は休んでいるから部屋に誰も入れないようにと、話しておきましょう。母上はマーカスの一件があってから、病床に伏せっていましたね…あと厄介なのは……」
ジルニアは顎に手を当てながら薄く微笑む。普段から見慣れていた笑みが、この時は不気味なものに見えた。
「ヒューズ宰相とガルバス騎士団長、ですね。」
レギオン王は戦慄する。
マーカスだけでなく、ジルニアの事も分かっていなかった。ジルニアの言う通り、自分は愚かな王である。
そう思っても…もう遅い。
―――――――
ヒューズ宰相の罪状は、ジルニアの偽装工作だ。
国王の執務室で三人が交わした話の事など、下の者達は知らない。そして第一王子であり次期国王に、誰も疑念を抱く事も逆らう者もいないのだ。
一番厄介だったのは第二王子であったが、国外に出れば情報を得た時には手遅れだ。あと残すは騎士団長のみ。
ジルニアは一人ほくそ笑む




