歩む者
ルミナス達が王都を出立してから町に着くまでの間。グラウス王国での出来事の話になります。
どこまでも続く青空の下、自然豊かなグラウス王国の町民は、穏やかな日々を暮らしている。レオドル王やサリシアだけでなく、グラウス王国で暮らす人々はルミナス達の動向が気がかりで、アクアから話を聞くことがある。アクアが魔人と知らずとも、魔法を使う姿を何度も見て特別視していた町民は、リバーシを通してアクアと交流を深めて打ち解けていた。
「〜〜〜ッサリシア隊長! ご苦労様です!」
「……ああ。」
欠伸を漏らしていた隊員は、サリシアの姿を目にして慌てて姿勢を正した。サリシアは暖かな日差しの届かない、暗闇に包まれた場所へ向かって階段を降りていく。松明を手にして細い通路を暫く歩くと、血と錆びた鉄の匂いが鼻につく。広い空間に出たサリシアは眉をしかめて不快そうにしながら、鉄格子の前で立ち止まった。
「……意外とタフな男だな。」
そう言って、鉄格子の向こう側にいる小汚い男を、観察するような眼差しで見る。
「はぁ…まぁ…」
藁の上で胡座をかいてるカイルは、サリシアの視線を意に介さず、適当に流した。一時期は地下牢が人で埋まっていたが、今はカイル1人しか残っていない。たまに、こうしてサリシアはカイルの元を訪れ、特に何かするわけではなく、カイルの状態を観察するだけだったが………
この日は、いつもと違った。
「なぜ、盗賊をしてたんだ?」
人間に対して攻撃的な態度をとるサリシアが、強い口調で問い詰めるわけでなく…普通に質問を投げかけてきたことに、驚いたカイルは身じろぎする。他に誰かいないかキョロキョロと視線を彷徨わせたが「おい。」と催促するようにサリシアに呼びかけられた。片手に松明を持ち、もう一方の手を腰に当てているサリシアに視線を向けたカイルは、戸惑いを感じながら口を開く。
「ええと、それは…金の、ため……」
「金、だと…?」
不機嫌そうなサリシアの声を聞いて、カイルはボリボリと頭を掻き、なんでそんなことを知りたがるんだ? と怪訝に思う。
「あ〜…いや、俺は…ガキの頃から悪さばかりで、腕っ節には自信があったんだが……その……強い奴に負けて…いつのまにか盗賊に……」
カイルは目を伏せて昔を思い出しながら、途切れ途切れに言葉を紡いだ。カイルがいた頃の貧困街では、喧嘩や盗みが日常的に起こり、カイルの両親は幼い頃に殺され、貧困街で生きるためにはカイル自身も犯罪に手を染めるしか他に生きる術がなかった。
「……つまらん男だな。」
フン、とサリシアは鼻で笑う。カイルはそれを見て苦笑いを浮かべた。殺人はしなくても、カイルは今まで人を傷つけてきたことは何度もある。
奪われる側ではなく、奪う側になりたい。
そう思っていたカイルだったが……地下牢で暮らして自分を見つめ直す時間は、十分にあった。
俺は…………生きる価値のない、クズだ。
そう客観的に自分を見ているカイルにとって、サリシアから『 つまらない 』と言われても、隊員からどんな言葉を浴びせられようとも、反発する気は起きなかった。
じゃら…
体の態勢を変えると、握り締めていたネックレスの鎖が擦れる音が、かすかに鳴る。
「……それは元々ルミナスの物だったな。牢の中で持っていても、役にも立たないだろ。…首を絞めるのには使えそうだが。」
サリシアは鉄柵に肩を寄せ、手の平にネックレスを載せたカイルを、冷めたような目で見下ろした。
「綺麗なモンは、それだけで価値があるじゃねぇか。俺なんかとは全然違ぇ。」
松明の明かりで見えるようになった、緑色の宝石が輝くのを、カイルはヘヘッと笑みを漏らしながら眺める。自分だけの世界に入ったカイルに、サリシアは小さく舌打ちした。
すると……
施錠の解かれた音を耳に入れて、カイルはビクッと肩を震わせて顔を上げる。
「出ろ。」
そう告げられ、突然の事態にカイルは大きく目を見開かせて呆然とする。タン、と足のつま先を上下させて音を立てたサリシアに、慌ててカイルは立ち上がり、牢屋から恐る恐る出た。
………ああ。俺は死ぬんだ………
牢屋に入れられてから、今まで一度も出されたことがなかったカイルは、そう考えて、ギュッ! とネックレスを握り締めた。
………お別れ、だな………
話し相手のいない地下牢で、カイルにとってネックレスは、ただの装飾品ではなく…まるで家族のように寄り添うものになっていた。握り締めたネックレスを名残惜しそうに見つめたカイルは、サリシアに視線を向けて腕を突き出す。
「血で汚れねぇようにしてくれ。俺が死んだら……前の持ち主に、返してほしいんだ。」
真剣な表情で告げたカイルに、サリシアは眉をひそめて怪訝そうな顔をする。
「お前が肌身離さず持っていた物を…ルミナスに返せるわけないだろ。口を開くな。さっさと歩け。」
顎で指し、サリシアは歩き出す。
取り残されたカイルは松明の火が揺らめくのを見ながら、別の場所で俺を……? と困惑しながらも後に続いて足を進めた。
こんなに歩くのは随分と久しぶりだ…と思いながら、暗闇の中、先を進んでいる松明の火を頼りに足を動かせる。上がっていく火を目で追い、肩で息をし始めた頃………
「遅い。グズグズするな。」
隊員に松明を預けて、サリシアは振り返って苛立ちげな声をカイルに浴びせる。地上の眩しさに反射的に目を固く瞑り、目が慣れずに俯いて目を細めているカイルは、返事を返すことができなかった。ふらついて壁に手をつきながら、必死にサリシアの後を追い続ける。
「〜〜〜ッうわ! 何、ソイツ!? 」
臭っ! 汚っ! と鼻をつまみながらアクアが、カイルを指差して喚く。アクアは厨房でパンを受け取り、外に出る途中にサリシアとカイルに出くわした。サリシアも廊下を歩く足音でアクアと気付いてはいたが、今にも崩れ落ちそうなカイルに急ぐよう言っても、歩く速度は変わらない。
「申し訳ございません。ずっと地下牢にいた者で…」
跪いたサリシアの姿に、細めた目でその姿を僅かに捉えたカイルは、王様か? 子どもみてぇな声してんな…と思い、サリシアが跪く相手を勘違いしていた。
アクアはサリシアの話を最後まで聞かずに、カイルに向かって手をかざして洗浄魔法で全身を綺麗にする。
「は――〜〜っ。臭かった。獣人にとって悪臭は、兵器よりも効果があるねっ。」
すーはーすーはー…呼吸を繰り返したアクアは、やり切ったような顔をしながらスタスタと歩いていく。サリシアが、お手を煩わせてしまい…と謝罪しようとしたが、アクアは面倒そうに、いいよ別に〜と軽い口調で手を振って流していた。
そしてカイルは自分の体臭が分からず、やけに全身がスッキリとして痒みが収まっていることに不思議そうにしながら首をひねり、目が上手く開けられずにいるため、魔法には気付いていなかった。
「………行くぞ。」
そう告げて、サリシアは再び歩き出す。
一体どこまで行くんだ? と疑問に思いながらも、従ってカイルも再び歩き出した。
…………こんなに、外って明るかったのか?……うわぁ〜〜っ………空が、綺麗だなぁ……
少しずつ外の明るさに慣れてきて城外に出ると、目に飛び込んできた青空に、カイルは胸に熱いものが込み上げてくる。力尽きたようにその場に両膝と両手ををつけ、ネックレスが土に付いたのも気にならないくらいに、空を仰いだ。
「乗れ。」
荷馬車が用意されていることに気づき、頭が混乱しているカイルは隊員に腕を掴まれて強引に荷台に乗せられた。
「へ……? お、俺は…」
「二度と、我が国に入るな。お前を生かしたルミナスに感謝するんだな。」
カイルの言葉を遮り、腕を前で組んだサリシアが早口で喋ると隊員に向かって「湖においてこい。」と指示した。目を丸くしてるカイルを乗せた荷馬車が進み出し、馬車が小さくなっていくのを眺めながら、サリシアは肩を軽く上下させた。
………約束は守ったぞ。ルミナス……
サリシアは遠くを見つめて、ルミナスと出会った頃のことを思い返す。当時は人間との約束を守る気のなかったサリシアだったが、王に何度かカイルの生死を問われ、地下牢で息絶える前に国の外へ追い払うことにした。隊員達には手出ししないように言及してあったが、それでも人間に対する敵意を向ける者は、カイルに対して言葉の暴力を浴びせ、隊員のなかでカイルの扱いについて諍いが起きそうになっていたのも要因の1つだ。いっそ殺してしまえば楽だろうが、盗賊のアジトを吐けば生かすとルミナスとの約束があったため、殺すことも、死なせるわけにもいかなかった。
アクア達同様に王やサリシア、町民の誰もがルミナス達の帰国を心待ちにしている。そして旅にイアンだけでなくマナも付いて行ったことで、若い世代の者達は外の世界に憧れを抱く者も現れていた。人間達の住む国に行っても無事に旅を続けていると耳にして、ルミナスのこともあり、少しずつ人間に対する見方が変わってきている。
状況がよく分からないまま、ニルジール王国の国境寄りにある湖で荷台から降ろされて1人になったカイルは、穏やかな水面を眺めながら暫くは動けなかった。
生きていることを実感したカイルは、ゆっくりと歩き出し……ニルジール王国で新たな人生を歩む。
お読みいただき、ありがとうございます。
次話 ルミナス視点になります。




