ルミナスは、引っ張る
ちょっ…ちょっと、ちょっと!!
何する気っ!?
私たちが誰だか……
あ
そっか…知らないもんね。
横目で見ながら、ライオネスの動きに注意を払う。
なぜナイフを抜こうとするのか。それを使って何をするつもりか知らないけど、この面子に刃物を向けたら……
そう考えただけで、ぶるっと体が身震いした。
影の中にいるリヒト様が魔法を使えば、絶対パニックになる。足元を見ながらテーブルの下で、こっそりと私は人差し指でバツを作り、リヒト様に何もしないように訴えかけた。すると納得できないのか、影はうにょうにょ奇妙な動きをして、ライオネスの足下まで伸びる。いつでも影の中に引きずり込もうと、準備万端のようだ。
……身分を明かさないのは、失敗だったかな…
私は肩を軽く上下させる。
イアンとアルはライオネスの動きに感づいているのか、目つきが険しくなった気がした。
「……アル。許可証を出して。」
溜息混じりに私が言うと、すぐにアルは腰に下げた袋から丸められた羊皮紙を二つ取り出し、ライオネスに差し出す。片眉をぴくっと上げて怪訝そうな顔をしたライオネスが、ナイフの柄から手を離したのを見て私はホッとした。ライオネスが恐る恐るアルから受け取り、紙を両手で広げて目を走らせる。綴られた文字とサインを見ると「なっ…これ、は…」と小さく声を漏らして、目を大きく見開いた。もう一つも同じように見た後、くるくると手だけ動かして元に戻したライオネスは、唇をわなわな震わせる。
「これは…なぜ、いや…しかし、賞金首のはず……」
俯き、か細い声で独り言を零すライオネスは混乱してるようで、必死に考えを巡らせているようだった。
耳を澄まして聞いていた私は、なんとなくライオネスの考えてることが分かった。アルのことを町民は知らなくても、ライオネスは父親から聞いていたのかもしれない。父親は王都からまだ戻ってないなら、アルが賞金首でなくなったことを知らないのだろう。私たちは暗殺者と、その仲間だと思っているのかもしれない。ライオネスは警戒心が強く、疑い深いのか……許可証とアルを交互に見て、返す素ぶりがなかった。
………仕方ない、か。
どうせ1日だけだから…なんて、私の考えが甘かったんだ。私は前に手を伸ばしてグラスにぶつけると、倒れたグラスの中身が溢れて、ライオネスの服にかかる。
「〜〜〜〜ッ!? なっ……!」
ガタッ! と勢いよく椅子から立ち上がり、ライオネスは自分の服がワイン色で染まるよりも、許可証が濡れていないか慌てて確認していた。
「きゃあっ! ごめんなさいっ! すぐに水で濡らさないと染みになっちゃう!」
立ち上がった私は、一緒に来てください!と声をかけながら、ライオネスの腕を掴んで引っ張る。動揺していたライオネスは、私の力でも簡単に誘導することができた。イアン達がキョトンとした顔をしてるのが一瞬見えたけど……わざとらしかったかな。
「若様どうしたんだ?」
「ワインが溢れちまったみたいだぜ。」
「羨ましいなぁ、俺の腕も引いてくれよ〜」
「お前はカミさんにやってもらえよ!」
男達の談笑する声が耳に入るなか、私は前だけを向いて足を運ばせる。「待っ…」ライオネスが何か言いかけてたのが聞こえたけど、構わずに私はカウンターまで急ぎ足で歩いた。
「井戸まで行かなくても、水はありますか?」
「え? …あ、ああ…桶に入れた水があるよ。」
カウンターの奥を指差したカリアさんに、私はお礼を言ってライオネスの腕をガッシリと掴んだまま歩いていく。カウンターにはヤンさんとハル君もいたから奥には誰もいなくて、調理するスペースや食器棚、壁際にいくつも酒樽が置かれてあって、水の張った桶も見つけた。
「い……いい加減に、は、離してくれッ……。」
上擦った声が後ろから聞こえて、私は手を離して振り返る。私より頭ひとつ分ほど背の低いライオネスは、目を釣り上げて睨むように私を見ていた。
………みんなの前で、私に腕を引かれてたのが恥ずかしかったのかな?
手に持ったままの許可証が濡れてないか再び確認したライオネスは、次にマントの下に着ていた白い服にワインの染みが僅かに点々と付き、ズボンが濡れてるのを見て、はぁ…と軽く溜息を吐いた。
「……貴方と2人きりになりたくて、わざとグラスを倒したの。アルはもう賞金首ではないし、わたくしに仕える身だから警戒しなくても大丈夫よ。」
にこっと笑むと、ライオネスは理解が追いつかないのか「あなた、は…」と声を震わせた。帽子を取って軽く首を振ると、ポニーテールにしていた髪が左右に揺れる。
「わたくしの名前はルミナス・リト・ファブール。席にいたのは婚約者のイアンと、親友のマナよ。」
薄く笑みを浮かべると、私を見つめるライオネスの目が大きく見開き、体を小刻みに震わせた。
「し、白き、お、乙女……? そんな……まさか、僕は、なんてことを……っ……も、申し訳…!」
フラッとよろめき、青ざめてるライオネスは跪く。段々と声量が大きくなっていたから、私はしゃがんでライオネスと目線を合わせ「しーーっ」と自分の口に人差し指を当てた。目を瞬かせたライオネスは、私の行動に戸惑いながらも、口を噤む。
「身分を明かさないまま、明日ここを発つつもりだったの。わたくし達のことは……皆に内緒ね。」
真剣な表情で聞いていたライオネスが、何度も頷いて返す。私が立ち上がって帽子を被り直していると、ライオネスも足に力を入れて、ゆっくりと立ち上がり、申し訳なさそうにしながら許可証を私に返してくれる。
「……若様、大丈夫ですか?」
護衛の兵士が顔を覗かせて、声をかけてきた。
「だ、大丈夫だ……下がっていろ。」
動揺を隠しきれてないライオネスに、兵士は怪訝そうな顔をしながら顔を引っ込める。
「……汚れを落とすわ。」
大きな声を出さないでね。と静かに言って、ライオネスに向かって手をかざす。魔法で1番使ってるのはコレだなぁ…と思っていると、洗浄魔法で新品同様になったマントと服を見たライオネスは、ポカンと口を開けて言葉が出ないほど驚いていた。
「さっきは…なんでナイフを抜こうとしていたの? もし抜いてたら…貴方の身が危なかったわよ。」
うっ、と喉を詰まらせたような声を漏らしたライオネスは、緊張した面持ちでここに来た経緯を話し始める。
暗殺者のアルに関して知るのは領主とライオネス、一部の家臣だけで、旅人が町に入った。と報告を受けたライオネスは、アルの名前と容姿を聞いて、王都から逃げのびてきたと考えたそうだ。
領主不在で領地を任されているライオネスは、自分の目で確かめるために時鳥亭へ足を運び、同席した。ナイフを抜こうとしたのは警戒と、アルに先手を取られないようにするためで、両隣に座る私とマナは女性だから全く気に留めてなかった…と話してくれた。なぜ短剣でなくナイフを抜こうとしたのか質問すると、短剣だと抜くときの動作が大きくなって気づかれるから、ナイフにしたそうだ。
イアンとアルは多分気づいていたけど…ライオネス本人は気づかれてないと思っていたみたい。
「抜いたナイフを使って、わたくしを人質にとれば…誰も手が出せなかったでしょうね。」
リヒト様は別だけど…
そう口には出さずに、思っていると……
「じょ、女性に刃物を向けるなど、とんでもございません。」
私の言葉にギョッと目を剥いたライオネスは、若干早口でまくし立てた。
「……大丈夫か?」
「あっ、もう行くね!」
兵士と、今度はイアンも一緒に顔を覗かせてきた。
なかなか戻らないから心配して来たのだろう。
「席に戻るわ。ライオネスはどうする?」
「……外で待ってる家臣と、兵達の元に戻ります。」
ライオネスは、静かに答えた。
………大事な領主の息子だもんね。夜だし、流石に護衛の兵士が1人だけなわけないか。もしかしたらイアンとマナの耳なら、外にいる人たちの話し声や足音が聞こえていたのかな。
そう考えていると、ライオネスがチラチラと私に視線を向けて、躊躇しながら口を開く。
「あの…先ほど、内緒と仰っておりましたので…家臣と兵士達には伏せておきます。けれど、何の歓迎もできませんでしたので…」
せめて、見送りをしたかったのですが…と不安げに言葉を紡いだ。
「心優しい町民達に、温かい歓迎を受けたわ。それで十分よ。旅人として接してもらえるなら、明日の見送りも構わないわ。」
それを聞いたライオネスは、嬉しそうな笑みを浮かべる。まだあどけない少年の顔をしているライオネスを見つめながら、私はくすっと小さく笑む。ライオネスの奥に視線を向けると、イアンが待ちきれないといった様子でソワソワしてるのを見て、私は「行きましょう。」と声をかけてから歩き出した。
「……遅い。」
「ごめんね。でも…服に付いた汚れは、ちゃんと落とせたから。」
ムスッとした顔をしてるイアンの手を取り、並んで歩いて席に戻る。私の後から出てきたライオネスは、護衛の兵士を連れて外に出て行った。扉に向かって歩いてる間に、奥で口説いてたんじゃ…と何人かの男達に、からかうような口調で言われたライオネスは、うるさいっ!と顔を真っ赤にさせて怒り、男達の笑い声が響いていた。
私たちの夜は、まだ終わらない。
次話 別視点になります。




