ルミナスは、ハッとする
「誠に…も、申し訳…ございません……。」
消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にしたスティカ王子は、椅子に浅く座って肩をすぼめている。
「スティカ王子。この絵は…売り物か? 俺に全部買わせてほしい。」
床に散らばった紙は、イアンの素早い動きで全て回収された。丁寧に重ねたそれらを今、両手で大事そうに持っている。前のめり気味にスティカ王子に頼んでいるイアンは、新しいナイフを手にした時よりも興奮気味で、思わず私はクスッと笑みが零れた。
「い、いえ……う、売り物では、ございません。……その…お気に召したなら、全て差し上げます……。」
「そうか! ありがとう!」
今日一番の笑顔を見せたイアンは、一枚一枚、もう一度じっくりと紙に描かれた絵を見て、嬉しそうにしていた。スティカ王子が俯いて照れたような笑みを漏らし、口をキュッと結んで、顔を上げる。
「……っ……か、勝手に、描いてしまった僕を…お叱りに、ならないのですか……?」
体を小刻みに震わせて、辿々しく言葉を紡いだスティカ王子は、自分が怒られると思っていたようだ。
「……叱る…? そんなことしないが…」
手元からスティカ王子に視線を移したイアンは、首をかしげる。
「絵を描くのは自由でしょう。わたくしを描いてくれて、とても嬉しいわ。」
ありがとう。と言って私が微笑むと、スティカ王子は口をもごもごと動かして、耳まで真っ赤になった。
紙には全て、私の姿が描かれている。
色は付いていなく、顔の向きも様々で、何枚か全身を描いた絵もある。私を見ながら描いたわけじゃないのに、どれも上手だった。
副会長には下がってもらい、汚れた床は洗浄魔法で綺麗にして、スティカ王子と向かい合うように私たちは今、椅子に座ってる。私たち3人の椅子は魔法で作り出したものだ。室内に入った時、私が描かれている紙を見たイアンが問いかけると、スティカ王子は自分が描きました…と緊張した面持ちで話していた。
「他の絵もあれば、見せていただけないかしら?」
ビクッと肩を震わせたスティカ王子は「う……あ、は、はい……」と返事しながら、立ち上がる。机の引き出しから取り出した紙の束を、恐る恐る私に手渡した。紙には風景や、ペンダントなどの装飾品……
………凄いなぁ……。
実際に見ながら描いたであろう絵の数々は、私の目から見て、どれも惹きつけられるものがあった。装飾品や花々は細かく描かれて、まるで実物が目の前にあるみたいだ。
『 名も知れぬ画家の作品 』
絵を眺めながら、私はマドリアーヌ伯爵から聞いた話が頭を過る。あの時に見た絵画は、とても素敵な作品だった。手元からスティカ王子に視線を移すと、前髪を指でいじりながら俯き気味のスティカ王子は、絵を見られて恥ずかしいのか、顔が赤らんだままだ。
「スティカ王子。わたくしマドリアーヌ領で、とても素敵な絵画を目にしましたわ。」
「………る、ルミナス様の目に留まった作品は……ど、どのような絵…なのでしょうか? 」
スティカ王子は興味があるようで、髪から手を離し、俯いていた顔を上げて質問した。前髪が長くて目が隠れているけれど、真っ直ぐこちらに視線を向けているように見える。
「枝分かれした赤い薔薇の花が、蕾と満開、散る様子を描いた作品でした。マドリアーヌ伯爵が商人から買い取った品で、画家を知らなかったのですが……スティカ王子は、画家に心当たりがありますか?」
思い出しながら説明すると、スティカ王子は「え…? 」と声を漏らして、口をポカンと開けたまま、ぷるぷると震えだす。
「………な、なぜ…が、画家を……っ……探して、い、い、いらっしゃるの…ですか? ど、どど……」
どうして? と言おうとしてるのだろうけど、口をパクパクと動かして、スティカ王子は言葉を詰まらせた。スティカ王子が動揺してる姿を目にして怪訝に思った私は、名を明かせないような人物かな……と考えて、ハッとする。
「もしかして…スティカ王子が描いたんですか?」
ビクッ!と肩を震わせて、スティカ王子は椅子から落ちそうになる。「ち、ちが…ちが…っ…」と否定的な言葉を口にして、首を左右に振っているけど、私の目からは嘘をついてるように見えた。なんで隠そうとするのか……理由が分からない。
「あーっ! あの時見た薔薇の絵ですかっ! スティカ王子の描いた絵が、エクレアさん家にあるなんて……なんだか、凄いですねっ!」
絵のことを思い出したマナが明るい声を上げて、にっこりと笑みを浮かべた。「スティカ王子は、絵を描く才能があるんだな。」と言ったイアンは、感心するような眼差しを向けている。本人は肯定してないけど、2人もスティカ王子と思っているようだ。スティカ王子は、恐縮そうに肩をすぼめている。
「わたくしは、その絵を描いた画家に会えたら…肖像画の依頼をしたかったの。」
「〜〜〜っ!? ルミナス様の…肖像画を……!」
自分のではなく、イアンの肖像画が欲しいと思ったけれど、私のだと勘違いしてるスティカ王子は、胸に手を当てて、気持ちを落ち着かせるように深呼吸をしている。
「……ええ。スティカ王子でないのが、残念だわ。」
私が頰に手を当てながら軽くため息を吐くと、スティカ王子は拳をつくり、心の中で葛藤しているのか口を閉じたり開いたりを、何度か繰り返した。
「そ、その絵は……僕の描いた作品です……。」
観念したように重たい口を開いたスティカ王子は顔を両手で覆うと、項垂れて、ぅぅ…と小さく唸るような声を出した。
「……っ…僕が絵を描いてることは……どうか、どうか……秘密に、して下さい……。」
項垂れたまま懇願するように言ったスティカ王子に、私はキョトンとする。
「なぜ…秘密にするの?」
私からの問いかけにスティカ王子は、ゆっくりと……自分のことを話し始めた。ニルジール王国では学園がなく、家庭教師を雇って様々なことを学ぶ。スティカ王子は幼い頃から、嗜みの一つとして教わった絵画に魅了されて、絵を描くのが好きになり、この商会に美術品を眺めに度々足を運んだり、自室にこもって絵を描くようになったそうだ。
『 貴方は王子ですよ! スティカ・フウ・ニルジール! 絵を描いてばかりでは、いけません! 王子としての自覚をもちなさい! 』
母親である王妃様からの叱咤を度々受け、自室に置いてあった絵を描くための道具は全て没収されたそうだ。それでも描きたい気持ちを抑えられずに、商会から持ち込んだ道具を使って自室で隠れるように描いたり、ここの一室を使っていた。前に指が汚れていたことがあったのは絵を描いた後だったらしく、あの時はお手数おかけしました…と申し訳なさそうに言っていた。マドリアーヌ伯爵の薔薇好きは周知の事実で、この商会を通して薔薇の絵を買い取ることがよくあったため、スティカ王子は自分の絵が評価されるか試したくて、商人に頼んだそうだ。売上は塗料の研究費に使われたことまで、私たちに正直に話してくれた。
………ん〜……。
副会長が案内を躊躇したのも、スティカ王子が秘密にしたい理由も納得した。隠れて描いてるのが見つかれば、この商会に足を運ぶことも禁止されるかもしれないと思っているのだろう。描いた絵が床に落ちて見られなければ、きっと絵を描いていることを私たちに話すつもりはなかったようだし、この部屋にいたからといって、スティカ王子が絵を描いているとは言い切れないのだから。
「………い、い、イアン……王子……」
話し終えたスティカ王子が、急にイアンに声をかけた。「……ん?」と声を漏らしたイアンが、目を瞬く。声をかけられて、少し驚いてるみたいだ。
「〜〜〜〜っ…僕は、ルミナス様と……ふっ、2人きりに…なりたいのですが………。」
よろしいでしょうか…? とスティカ王子が、伺うように尋ねると、「………。」無言のままイアンは眉をひそめて、シン…と静まり返った室内の空気が、重くなったように感じた。
次話 別視点になります。




