戻ってきた者
アルが男を捕らえていた頃、孤児院では……
「〜〜〜ったく、多すぎだろッ……!」
文句を吐きながらバルバールは、水を入れたタライの中でゴシゴシと手で洗濯をしていた。力加減を間違えて、何枚か破いてる。普段身につけていた胸当てと剣は、外して院長室に置いていた。
小屋の反対側には井戸と洗濯物を干す場所があり、干すのは、木の幹にロープをくくりつけて、もう一方の木に繋げて垂らしてあるだけだ。毎日家事を分担して行っている少女達が今いないため、バルバールは孤児院で幼い子ども達の面倒と、家事をしていた。少女達は広場で売り子の手伝いをしている。王子誕生の知らせを耳にして、パン屋、花屋、どの店もいつも以上に活気があり、人手がほしい時は孤児院に声をかけてくれていた。
「おいッ! 小便漏らした奴ぁ、誰だ!?」
イライラしながら布団を干し、バルバールは「ガキ共、手伝えッ!」 と怒鳴り声を上げるが、幼い子ども達はキャッキャと笑いながら庭を走り回っている。ルミナスの教えた鬼ごっこが、子ども達のブームになっていた。男の子がベーッと舌を出し、それを見たバルバールは、強く舌打ちする。
「くっそ! テメェら待て!!」
洗濯物を籠の中に残したまま、バルバールは子ども達を追いかける。1人…2人…バルバールの腕の中に捕まった子どもは、満面の笑顔を見せていた。「テメェらを捕まえるなンざ、朝メシ前だゼ!」得意げな顔のバルバールは、ギャハハと笑い声を上げる。
「へん! 僕は捕まらないぞ!」
男の子は、馬車の行き交っている街路に向かって走っていた。バルバールは捕まえていた子どもを解放すると、慌てて男の子を追いかける。
「―――っ…待て! そっちに行くンじゃねェ!!」
バルバールが呼びかけるが、男の子は足を止める気配はない。イアンの足なら一瞬で縮められる距離だが、バルバールの足では、追いつけるかギリギリだった。
バルバールの伸ばした手は
届かない。
男の子が飛び出そうとして………
街路を走っていた馬が男の子の前で止まり、男の子は馬にぶつかって尻餅をつく。
大事には至らなく、これが馬車を引いて走っていた馬なら、最悪命を落としていた可能性もあった。
ドッドッドッ…と心臓が早まり、嫌な汗を掻いたバルバールは男の子の腕を掴み、無理やり立ち上がらせると、小さな両肩に力強く手をのせた。
「馬鹿野郎ッ!! 飛び出したら………っ……危ねェだろ! ンなことも分かんねェのか!!」
肩を揺さぶられ、バルバールの剣幕を目の当たりにした男の子は、じわりと目に涙を溜める。
「……っゔ……ぼ、ぼく……ふぇっ……」
しゃくりあげる男の子から手を離し、はーーーっ…とバルバールは深く息を吐きながら、頭を垂れた。
「まぢで、良かった…。頼むから、危ない真似だけはすンな。」
「……ご、ごめん……なさい……。」
しゅんと肩を落とした男の子に、バルバールは頭をポンポンと優しく撫で「……もうすンなよ。」と言って、小さく笑みを漏らした。
「面倒見がいいですね。」
ふふ…と小さな笑い声がして、バルバールは顔を上げる。馬に乗る人物をようやく視界に入れたバルバールは、目を瞬いた。
「………さっきは、助かったゼ。意外と早く戻ってこれたンだな。」
馬から颯爽と降り、若草色の髪を耳にかけたフィーユが「はい。」と返して、薄く笑みを浮かべた。
フィーユが木に馬を繋げている間に、バルバールは子ども達を孤児院の中に入らせる。男の子も含めて子ども達は、元気よく返事をして素直に中へ入った。
「あ〜〜〜……干さねェと……」
頭を掻きながら籠に目を向けたバルバールは、面倒くさそうに軽く溜息をつく。
「 ? なぜ、バルバールが洗濯を…?」
洗濯物を干し始めたバルバールを見て目を丸くしたフィーユに、バルバールは自分が新院長になったことを話した。籠の中から手に取った服をパンと軽快な音を鳴らせて伸ばしたフィーユは、バルバールに手渡して並んで干すのを手伝う。
「あの時……私に『 必ず戻ってこい 』って、言いましたよね。」
何故ですか? と少し緊張しながらフィーユは質問した。騎士に連れられていく時に、バルバールの口にした言葉が、気になっていた。
服を干しながらバルバールは「あー…」と声を漏らして、フィーユに視線を向ける。
「もう1つの願い事が決まったからよ。」
ニッと口角を上げたバルバールに、キョトンとしたフィーユは「はぁ…」と気の抜けたような声を出した。そういえば宿で……と、2つなんでも願いを叶える約束をしていたことを、フィーユは思い出す。と同時に、少しガッカリしている自分がいた。
………1つ目がベッドの使用だったし、どうせ大した願いではないでしょう。
フィーユはジト目で、空になった籠を差し出す。
「全部終わりましたよ。願いごとは何ですか? バルバール院長。」と投げやりな口調で尋ねた。
穏やかな風が吹いて、洗濯物が僅かに揺れる。
籠を受け取ったバルバールは、フィーユの手を掴んで真剣な表情をしていた。ドキッと心臓が跳ねたフィーユは、その手を振り払わずに、固唾を飲んでバルバールを見つめる。
「院長は、ただの肩書きだ。俺は…ンなのと関係なく、この孤児院に居続けるつもりだったが、傭兵をやめることになっちまった。だからフィーユ……傭兵として、俺の代わりにタクトを守ってくれねェか。」
それが俺の願いだ。と言って、バルバールは手を離した。頰を指で掻いて、照れ臭そうにしながら「頼む…」と小さく零したバルバールに、フィーユは自分の胸に拳を当てる。
「貴方の、その願い……この命尽きるまで、貫くことを誓います。」
決意表明のような言葉を口にして、強い眼差しを向けてくるフィーユに、バルバールは苦笑を漏らした。
「おいおい…『 命 』は重いっつーの。お前が傭兵をやってる間だけでいいからな。」
嫁にいけなくなるゾ。と、からかうような口調で言ったバルバールは「中に入ろうゼ。一杯飲んでけよ。」と言葉を続けて歩き出し、後を追うようにフィーユも足を進める。
フィーユは、晴れやかな表情をしていた。
身を呈して自分を止めようとしたバルバールに、フィーユは恩を感じていた。バルバールの真剣な願いごとを聞いて、誠心誠意応えたいと心から思っている。
フィーユが引き金を一度でも引いていたら、これほど早く解放されることはなかっただろう。自分の素性や孤児院に来るまでの経緯、逆らえば領地にいる母親の命、自分と関わったバルバールや他の人が危険な目に合うと脅されていたことを、フィーユは騎士団長や、話がしたいと訪れたルミナスに、全て正直に話した。公爵家で働く使用人の証言もあり、ルミナスがフィーユを、擁護するような発言をしたのも大きかった。
公爵に1人娘がいることは周知の事実であったが、フィーユを屋敷に閉じ込めて教育を施していた公爵は、病弱だとして社交の場にも出席させていなかった。アンジェロの婚約者候補にも名を連ねていたが、王も幼い頃に一度会ったきりだ。
………お母様の体調は、大丈夫なのだろうか。
バルバールと孤児院の中に入ったフィーユは、長椅子に座りながら、カップを口に近づけて傾ける。バルバールは子ども達を全員二階に連れて、昼寝をさせに行った為、広間にはフィーユ1人だけだ。
………私と一緒に、暮らしてくれると良いけど。
フィーユは、母親が嫌いだった。
幼い頃から目にしてきたフィーユの母親は、公爵に媚びて、まるで奴隷のように言いなりの存在であった。愛情を注いでくれた記憶はない。抱きしめられたこともなく、言葉を交わしたことも殆どない。
けれど、領地にいた目的が療養のためと、フィーユは昨日初めて耳にした。公爵は武器開発のために領地にこもっていたと白状している。肝心の夫人は、領地内の屋敷とは別の建物に住まわせ、公爵は何年も顔を合わせていなかった。外に出ないように言及して、軟禁しているのと同じような生活に、今どうしているか定かではなかった。
それを知ったフィーユは、母親と2人きりで腹を割って話がしたいと思っている。
………バルバール、遅いですね……。
既にカップの中身は、空になっていた。
階段まで近づいてみるが、二階から降りてくる気配もなく、子ども達の騒ぐ声もしない。シン…と静けさが漂う孤児院内で、フィーユはゆっくりと階段を上がった。明日から暫く王都を離れるため、今日はこの後グレイス商会にも寄る予定だ。
ここを出る前に、バルバールに迷惑をかけた詫びと礼を述べたかったフィーユは、どこにいるかバルバールを探す。
扉が少し開いているところがあり、室内を覗き込んだフィーユは、思わず笑みが零れた。
………また、会いにきますね。
心の中でそう思いながら、そっと扉を閉めたフィーユは、振り返り、そのまま孤児院を後にした。
…………………
……………
「バルバール兄さん。」
肩を揺らされていることに気づいたバルバールは、一気に覚醒し、ガバッと上半身を起こす。側にはリリィがいて、周りには幼い子ども達の姿はない。
ガシガシと頭を掻き、子ども達を寝かしつけて自分も寝てしまったのだと思い至ったバルバールは、窓から夕日が差し込んでいるのを見て肩を落とした。
「お疲れ様です。ハナ達より先に帰ってきたら、子ども達が洗濯物を取り込んでましたよ。」
いっばい褒めてあげて下さい。と穏やかな口調で言ったリリィが、ニコっと笑う。予期せぬ言葉を聞いたバルバールは、ポカンと口を開けた。
………ンだよ…ちゃんと手伝えるンじゃねェか…。
嬉しさが込み上げ、にやけそうになった口を手で覆い隠したバルバールは、リリィと階段を降りた。
洗濯物は土汚れが付いて洗い直しの物があったが、それでも一生懸命やっていた姿が頭に浮かんだバルバールは、子ども達を褒めちぎる。
日が暮れる前に全員が揃って広間で食事をすると、バルバールは、院長室からワインとカップを2つ手に取り、外に出た。
「……よォ。今日は王子様誕生の、めでてェ日だ。」
ルミナス様からもらったワインは格別だゼ。と言いながら、地面に胡座をかいてるバルバールは、トクトクとカップにワインを注ぐ。
僅かに盛り上がった地面の上にカップを1つ置き、もう1つは自分で持つと、グビッと一気に飲む。
「ぷはぁ〜うめェ〜〜!」
満足そうに笑みを浮かべるバルバールは、再びカップにワインを注いだ。
「……俺は、赤ん坊の時に孤児院の前に捨てられてたらしいからなァ……親の顔を知らねェが、碌でもねェ親はいくらでも、いンだよなァ……。」
テメェは、どうだったンだ? と質問を投げかけても、返ってくる答えはない。バルバールもそれは分かっている。庭には、自分1人だけなのだから。
「俺が孤児院にいた頃は、大変だったと思うゼ。今の倍は人がいたしよォ…病にかかっちまったら、医師に連れてく金もねェから………」
すぐ、死ンじまう…と、か細い声で呟いたバルバールは、カップを持つ手に力を入れた。公爵に従うようになった院長の目的は、金のためだ。公爵の領地にいる孤児院出身の子達が今どうしているか、今後調査に赴くと、バルバールはアンジェロから聞いている。
「ったく…テメェも、院長も…何も知らずにいた俺も………大馬鹿だ……。」
月明かりの下、涼しげな風が酒で火照る体を冷ます。酌み交わす相手のいない場所で、バルバールは暫しの間ひとり、酒を煽って過ごした。




