ルミナスは、心が落ち着かない
芝生の上を歩き、生垣を避け、中庭の端にある大木の近くに来ると、ガサッ! と葉の擦れるような音がして、顔を上げた。
上から飛び降りてきたイアンが木剣を振り下ろし、アルは受け止めずに軽く避ける。地面に足が付くと同時にイアンが再び剣を振るい、カン、カンと軽快な音を鳴らせて打ち合っている。その奥に視線を向けると、回廊の窓が開いていて、窓枠に手を付けてニコニコと機嫌の良さそうなシルフォード王子が顔を出していた。2人の手合わせを見ていたようで、私の姿を見つけると軽く手を振ってくる。
私も笑顔で手を振り返していると、アルがイアンに声をかけて、剣を振るう手を止めていた。イアンはかなり集中していたようで、これならクレアとの会話も耳に入っていないだろう…と内心ホッとする。前世のことをカミングアウトする勇気は、まだ私にはない。
「ルミナス。」
木剣を手に持ったまま爽やかな笑みを浮かべ、タタッ…と軽快な足取りでイアンが私の側に来る。汗をかいてるように見えたから、私はイアンとアルに洗浄魔法をかけてあげた。
「ありがとう……主。」
アルは銀色の目を細め、若干口角を上げた。
初めて出会った時には影のあった銀色の瞳が、今は輝いているように見える。『 気安く呼び捨てにするな! 』とイアンに怒鳴られてから、私のことを『 主 』と呼ぶようになった。
彼はもう……暗殺者ではない。
『 暗殺者のアルは地下室で死んだの。これからは……貴方自身の為に生きたらどうかしら? 』
『 俺と勝負するぞ! 死ぬのは許さないからなッ! 』
私とイアンの言葉がアルに届いたのか、今はもう死ぬことを考えてはいないようだった。コメルサン商会の元会長達を殺したのは、公爵の証言で、指示を受けていたリグレットだったと分かり、アルにかけられていた賞金は取り消されている。
「この後どうする?」
「昼食のあとに、孤児院に行きたいな。」
私とイアンが会話している間に、アルは騎士に連れられて歩き出していた。アルはこの国で殺しの依頼を受けていなかったそうだけど、城にいる間は常に監視が付けられている。
………今日も、探しに行くのかな……。
パーティーの時に爆破した実行犯として、城内で働いていた下働きの男が数名捕らえられた。
まだ王都内に潜伏している者がいて、アルが騎士達と捜索をしている。いずれもオスクリタ王国から、オルウェンの命により送られた者達だ。数は少ないと聞いている。
アルの服装は、全身黒い服は悪目立ちするから処分され、ブラウスに黒いベストのシンプルな装いだ。整った顔つきと、堂々と胸を張って歩く姿は、監視としてではなく騎士を護衛として従えているように見えた。知らない人がアルを見たら、どこぞの貴族と思われそうだ。
「ルミナス様、僕も一緒に行きたいです。」
いいですか? と尋ねてきたシルフォード王子が、小さく首を傾げて可愛らしい笑みを浮かべる。
「ええ、構いませんよ。」
そう言って笑みを返すと、シルフォード王子は「ありがとうございます。支度しておきますね。」と弾んだ声で言って、くるっと体の向きを変えた。
「シルフォード王子。急いで支度しなくても大丈夫ですからね。」
少し大きな声を出すと、顔だけこちらに向けて笑顔をそのままに、シルフォード王子は軽く頷いて返してくれる。シルフォード王子は回廊を歩いていき、私とイアンも護衛を連れて歩き出し、城内に入った。
………………
…………
「ルミナスさん、マナのお肉1枚あげますっ!」
ひょいっと、隣から薄切りにしてある肉が私の皿に追加で載せられる。横目で見ながら「マナ…気を使わなくても大丈夫だよ。」と言って、私はフォークで刺した肉を隣に戻した。むぅ〜として納得のいかない顔をしたマナは、それでも肉を食べると途端に幸せそうな笑顔を見せる。私がクレアとお茶をしている間に、マナはリリアンヌ王女とメイシャ王女と一緒に部屋にいた。私とイアンが部屋に戻った頃には、リリアンヌ王女達は部屋から出て行った後だった。食事の用意された部屋に移動し、今はリヒト様も影から出て4人で昼食を楽しんでるところだ。
………マナは、あれからずっと気にしてるなぁ……
睡眠薬で眠っていたマナは、目が覚めた後少し混乱していたけれど、何があったか簡単に私が説明すると号泣して私に謝ってきた。薬のせいとはいえ、ずっと眠ってしまったことを申し訳なく思っているようで、今でも気にしてる。いくら私が、大丈夫だよ。仕方ないよ。と言っても、こうして大好きな肉を分けてくれたり庭師と選んで見繕った花を部屋に届けてくれたり、気を使ってくれていた。
………あっ、マナにクレアと友達になったこと言ってないや……
クレアが城で治療中は会いに行ってなかったから、マナはクレアと言葉を交わしたことがない。クレアがマナを見たのは眠っていた時だし……店に買い物に行ったらクレアを紹介して、2人が仲良くなってくれたら良いな…と思いながら、食後のワインを嗜んだ。
…………………
……………
「シルフォード王子……遅いね。」
城外に出て横付けされていた馬車に乗り込み、暫く待っているけど…なかなかシルフォード王子が来ない。「俺たちだけで行こう。」とため息混じりに言ったイアンは、窓から外を見ながら少し不機嫌な顔をしている。「もう少し待ってみたらー?」と言ったマナは横に顔を向け、「どうしますか〜?」と私に尋ねてきた。
「マナの言う通り、もう少し待ってみよっか。」
私が返答した矢先に、コンコンと馬車の扉が軽くノックされた。
「失礼致します。シルフォード王子からの言伝を預かって参りました。」
窓が開かれると、肩で息をしている使用人の姿が見えた。使用人の男性は、かなり急いで来てくれたようだ。「聞かせてちょうだい。」と私が応じると、使用人が再び話し始める。
『 誠に申し訳ございません。ご同行できなくなりました。 』
言伝はそれだけだったけれど、シルフォード王子が来ないことを知った私たちは、従者に出発するよう促して馬車を進めてもらった。
………シルフォード王子、急用ができたのかな?
窓から街並みを眺めながら、ぼんやりと2日前のことを思い出す。城に戻ると、陛下が騎士団長と騎士達と共に影の中に消えたことで、目にした使用人たちから話が広がり、城内は混乱していた。陛下はまだ影の中にいて公爵と話をしているようだったから、対応にあたっていた宰相に私が大丈夫と伝えて、落ち着きを取り戻した。それから暫く経ってから陛下は執務室に現れて、私に何度も謝罪を述べてきた。
公爵は洗いざらい陛下に自分のしてきたことを話し、リヒト様は影の中から公爵を出す気はないようだった。前に私を罵った、盗賊と同じ末路を辿ることになるだろう。
その後、シルフォード王子が話したいことがあると言っていた事を思い出した私は、ヘンリーも交えて執務室で話をした。シルフォード王子はヘンリーのパーティーでの様子が気になって城に呼び出していて、話の内容は、グラウス王国に入り、そして亡くなった商会長の件だった。
ヘンリーは会長の息子で、イアンに対して怖がっているように見えたのは、自分の父親が殺されたことが頭を過ぎり、憤りを感じていたからだった。
会長が獣人を拐おうとしていた事実を公爵から聞いて初めて陛下は知ったそうで、ヘンリーは『 優しかった、父さんがそんな…』と呟き、信じられないといった様子で顔を青ざめていた。拐おうとしたのも会長の意思ではなく、公爵が脅していたと陛下の口から教えてもらい、ヘンリーは涙を流していた。
私とイアンは、陛下が今まで会長が犯した罪を知らなかったことに驚いたけど、当時のサリシア王女は人間と言葉を交わすことも拒否していたようだった。互いの国で交流が全く無いからこそ、知らないままだったのだろう。改めてグラウス王国に赴き、国王に謝罪を述べたいと陛下は言っていたけど、顔色が悪く、一日で一気に老けたように見えた陛下を見た私は、あまり根を詰めないように…と言葉を掛けた。
………孤児院の子供たち、大丈夫かな……。
捕らえられた院長は、もう孤児院に戻ることはない。院長が突然いなくなって子供たちがどうしているか心配だった私は、子供たちの姿を頭に浮かべると心が落ち着かなくなる。
私が孤児院を気にしているから教えてくれたけど、今までは寄付金や子供たちが働いた分で生活していた孤児院は、今後は国の予算で孤児院を経営していこうと、陛下と宰相が議論を交わしていた。院長はお金を蓄えていたそうで当面の生活費はあるけれど、近々予算のことが決まり次第、新院長に話が伝わる筈だ。
街路を走る馬車がスピードを落とし始め、孤児院の敷地内に馬車が停められた。




