ルミナスは、微笑む
いち早くイアンが、倒れたリグレットの側で呼びかけている。アンジェロ王子と一緒にいた騎士により、公爵は取り押さえられた。バルバールがリグレットの名を叫びながら駆け寄り、ラージスは私と並走する。
「リグレット! おいッ!!――― リグレット!」
「無駄だ。」
もう死んでるぞ。とアルが淡々と言い放ち、バルバールは顔をしかめ、拳をつくっていた。
「……てっきり…俺に攻撃してくると………なんで、止めなかったんだ?」
イアンは剣を収めて、事切れたリグレットを見下ろすと、アルに視線を走らせる。暗器でリグレットの動きを一度止めたアルは、今度は止めようとしなかったようだ。
「殺気を感じなかった。……守ろうとしているように、見えたからだ。」
オレと同じように…と小さく声を漏らして目を伏せたアルは、リグレットに歩み寄る。突き刺さったままの暗器を両足と両手から引き抜いた。
「〜〜〜〜ンだよ。死んじまったら……なんも、言えねェじゃねぇか………」
バルバールは項垂れて、軽く舌打ちする。
しゃがんだバルバールは口を固く結び、暫くリグレットをじっと見ていたけれど…立ち上がると振り向いて、タクトの元に戻ろうと歩きだした。
「ルミナス様、イアン王子。………っ!?」
公爵を騎士に任せたアンジェロ王子が私とイアンに声をかけてきたけど、足下の影が一気に広がって動きを止めた。いつもより広範囲に広がった影を見て、私はリヒト様が戻ってきたと分かったけれど、知らない人達からの口からは、驚きの声が上がる。
「なんだアレ! 〜〜〜ッ気持ち悪りィ!」
「バルバール兄ちゃん! 真っ黒っす!!」
バルバールとタクトの声に混じってキャアッ! と悲鳴が聞こえてきた。視線を向けると、フィーユが上半身を起こして固まっていた。いつか分からないけど、目が覚めていたようだ。
「ゔあああああああああああッ!? 」
叫び声が響き渡った。
影が元に戻り、公爵が見せしめのように影で全身拘束された状態で、宙に浮いている。地についていない足先をバタバタと動かして、私たちを見下ろしていた。
「………薄汚い人間め。」
怒気をはらんだリヒト様の声に、その場の空気が凍りついたように感じた。影の中から現れたリヒト様は、影を操り、公爵の体の向きを変える。無表情のリヒト様の瞳が公爵を捉えて離さない。もともと指輪を取り返した後は、リヒト様が手を下すつもりだったのかもしれない。
「き、貴様も……魔法が…」
「口を慎め! 愚か者ッ!! 」
公爵の言葉を遮り、陛下の怒声が浴びせられた。
顔色の悪い陛下は、緑色の目を釣り上げて肩を震わせている。アンジェロ王子と騎士の後ろには、陛下と騎士団長、そして騎士が数名ずらりと並び立っていた。
「陛…下…」
突然現れた陛下の姿を目にしてポツリと声を漏らした公爵は、リヒト様が影の拘束を強めたのか、ギャァ! と短い悲鳴を上げた。
「このまま全身を圧迫させるか。……だめだな。それでは一瞬で死んでしまう。少しずつ体を削ぎ落としてくれようか……」
冷たい目をしたリヒト様が、影を操り目線を同じ高さにした公爵に顔を近づけて、ねっとりと絡みつくように言葉を紡ぐ。ヒィッ! と声を上げた公爵は青ざめ、カチカチと歯を鳴らし始めた。
「ルミナスに手を出した罪は、死よりも重い。」
しばらく影の中で余生を送れ。と鋭く言い放ち、公爵は声を出せないように口も影で塞がれて、ゆっくりと、ゆっくりと…………外の光景を見るのがこれが最後だと言わんばかりに、影の中へと姿を消した。
その間、私も含めて周りにいる人たちは、誰も言葉を発することなく、動くこともなく、息を呑んでいた。
「………王よ。」
何もなくなった地面を見つめながら、リヒト様が静かに声をかけた。身じろぎした陛下は、上等な服が汚れるのも構わずに地面に跪き、アンジェロ王子と騎士達も同じように跪く。
「城まで送ろう。愚弟と話をさせてやる。」
「……っ……感謝…致します。」
陛下は頭を垂れて、そのまま影の中に体を沈めた。
騎士団長と騎士達は、事前に何か陛下から言われていたのか陛下1人だけ影の中に入ったけど、取り乱す様子はなく跪いたままだ。鎧を纏っている騎士達が小刻みに体を震わせて、金属のこすれ合うような音が鳴っていた。
「ルミナス。イアンと共に戻ってくると良い。」
一転して柔らかな口調になったリヒト様が僅かに目を細めて私を見つめると、私が返事を返す間もなく、影の中に消えていった。
「……ルミナス様、イアン王子。」
改めてアンジェロ王子が声をかけてきて、危険な目に合わせたことに対する謝罪を述べ、頭を下げてきた。1人で迂闊に行動してしまった私も悪かったから、謝罪の必要は無いと思い、すぐに頭を上げてもらう。リグレットの亡骸は火葬か土葬をするそうで、バルバールが小屋の裏手に埋めたいと申し出をして、孤児院の敷地内に埋めることになった。
「ルミナス様…誠に申し訳ございませんでした。」
アンジェロ王子と話をしている間に、タクトと一緒に私の元に来たフィーユが地に手足を付けて、深々と頭を下げてきた。
「わたくしは、貴方のことをよく知らないわ。だから……後で話を聞かせてちょうだいね。」
ニッコリと笑みを浮かべてフィーユに立つように促すと「はい…」と弱々しい声で返したフィーユは、再び頭を深く下げてきた。
騎士達が動き出すなか、孤児院の方から来た騎士がアンジェロ王子に耳打ちする。
「…子供たちが、君の名を呼んで泣いてるそうだ。」
「あ〜………はい。」
小屋の中から取り出したスコップで穴を掘っていたバルバールは、アンジェロ王子に話しかけられて手を止めた。騎士の1人がスコップを受け取り、バルバールは孤児院に向かって歩いていく。その際、騎士に連れて行かれようとしていたフィーユを呼び止め、顔を近づけて何か囁きかけているようだった。何を言ったか私の耳には聞き取れないけど、バルバールが離れると、フィーユは手で口を覆いながら頷いていた。近くにいたタクトがバルバールの背中を突き、楽しげに笑い声を上げている。
街路の方から馬に乗った騎士と馬を引く兵士や、豪華な箱馬車と荷馬車が次々と敷地内に入ってくる。孤児院に向かうように、指示が出されていたようだ。
俯いている院長がバルバールとタクトの2人と入れ替わるように孤児院から出てきて、荷馬車にフィーユと一緒に乗り込み、馬車が進み出す。
「ルミナス様。私も城に戻ります。」
「…そうね。クレアの側にいてあげて。」
ラージスは私やイアンに頭を軽く下げ、アンジェロ王子にも声をかけて頭を下げてから、城に戻るために走り出した。ラージスは兵士が連れてきた馬には乗らずに通り過ぎたから、どこか離れた場所に馬を繋げているのかもしれない。
降り続いていた雨は止み、空を仰げば覆われていた雲の切れ間から、青い空が覗いている。このまま晴れてくれるといいな…と思いながら視線を移すと、イアンが緊張した面持ちで私を見つめていた。
「る、ルミナス…。俺に怒ってる、よな…。」
しゅんと耳が垂れ、伏し目がちなイアンがぎこちなく言葉を紡ぎ、私は小さく首を傾げる。
………怒ってる? 何を………………あっ!
孤児院に来る前の出来事が、次々と思いだされる。
「ビックリしたけど…怒ってないから大丈夫だよ。」
そう言って微笑むと、ピンと耳が立ったイアンは安堵の笑みを浮かべた。手に持ったままの切り裂いた上着のポケットに手を入れて「ごめんな! つ、次は絶対に無理強いしない!」と顔を赤らめながら、早口で言ったイアンが手を差し出してくる。
その手には、ゆび…わ……
ではなく、鍵が手の平にのっていた。
私がキョトンとしていると、イアンが「ち、ちがっ…あれ? 」とあたふたしながらポケットを探る。
「ルミナス。……すまなかった。」
いつのまに抜き取ったのだろう。
イアンの背後から音もなく姿を見せたアルが、手の平に指輪をのせて私に手渡してくる。アルに危害を加えられたわけではなかったから、指示に従い、眠ってる私を地下室に運んでいたことに対しての謝罪だろうか…と考えている間に、イアンがアルに向かって拳を振るっていた。
「俺が渡そうとしてたんだぞ!」
「お前が隙だらけなんだ。」
アルはイアンの拳や蹴りを、軽々と足さばきで避けている。騎士が近づきアルを止めようとするが、2人の動きが速くて割り込めないようだった。2人がじゃれているように見えた私は放っておこうと思って、穴を掘っている騎士に近づく。
「わたくしも手伝うわ。」
地面に手をつけて魔法を行使し、穴を掘っていた部分を人が入れる大きさで深く掘り下げた。次は亡骸を…そう思って視線を移すと、アンジェロ王子と騎士の制止する声を無視して、イアンが横抱きにして亡骸を運んでくる。私がこちらに来ている間に、イアンはアルに向かっていくことを、やめていたみたいだ。
「………ありがとな。」
穴に亡骸を入れながら、イアンが小さく声をかけていた。その声は、もうリグレットに届くことはない。
私は魔法を行使して亡骸を埋めると、しゃがんだまま地面から手を離して、手を合わせた。
………ありがとう。
目を閉じて、感謝の気持ちを込める。
獣人を恨んでいたリグレットは、何故イアンを庇おうとしたのだろう。
その口からは、もう何も語られることはない。
けれど……埋める前に見た顔は安らかな表情をしていて、微かに笑っているように見えた。
立ち上がり。隣に立つイアンに城に戻ろう。と声をかけ、地面に付いた血や周りにいる騎士達……私も含めて全員を洗浄魔法で綺麗にする。
「ありがとう、ルミナス。」
「これも魔法か…」
イアンとアルの声が、被って聞こえた。
ムッとした表情のイアンに対し、アルは感心するような眼差しで私を見つめてくる。アンジェロ王子と騎士達も、それぞれ私にお礼を言ってきた。
「ルミナス様、イアン王子と馬車にお乗り下さいませ。私は後から城に戻ります。」
アンジェロ王子は、残ってまだすることがあるようだ。イアンが持っていた鍵は地下室の扉の鍵だったようで、アルが地下室に自分の荷物以外に公爵が用意していた、いくつもの武器が木箱に入っているとアンジェロ王子に教えていた。
「………逃げるなよ。」
不機嫌そうな顔のイアンは、ジト目でアルを見ている。「……ああ。」と一言返したアルは私に視線を向け、少しだけ顔を綻ばせたように見えた。死ぬ気だったアルが、今何を考えているか分からない。でも、逃げる気のなさそうなアルは、国内での行動などを詳しく問い詰められることになるだろう。
アンジェロ王子とアル、騎士達数名を残して私とイアンは箱馬車に乗り込む。馬に乗った騎士団長が護衛として付き、孤児院を後にした。
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