ルミナスは、背に庇う
目の前で起こった出来事が、まるでスローモーションのように見えた。地下室に反響する音が現実味を感じなくて身動きできずにいると、無機質な鎖の音が、床に叩きつけられたように激しく鳴り響く。
「――――くっ…クレアッ !?」
小さく瞬きをして呼びかけた私は、床に蹲っているクレアに、手足をぎこちなく動かして這うように近づく。
……さっきの音…銃声だ。
数ヶ月前の争いの時に大砲や銃をオスクリタ兵が使用していなかったから、てっきり…銃が存在しない世界だと私は思い込んでいた。
「〜〜〜ッゔぅううう!!」
痛みに苦しむ声を上げながら、クレアの目からは涙がぼろぼろと零れ落ちている。ドレスの肩の辺りは血が滲んで赤く変わっていた。
「…馬鹿なことを…なぜ、オレを助けるような真似をした…?」
クレアに突き飛ばされたアルが、床に片膝を付いて|怪訝そうにクレアを見つめている。
「ふっ…くっ〜〜ぅ、うるさいッ…! わたしは平気だけど…アンタを、好きな人がいるから…ゔうっ…! その人の顔が浮かんで、咄嗟に…っ……」
ゔ〜〜っ、痛いッ! 死んじゃう! と声を上げているクレアに、アルは目を丸くしている。アルを好きな人…その人のためとはいえ、クレアが身の危険も顧みずに助けようと動いたことに、私は内心驚いていた。
「ソイツは死を受け入れていたのに、余計なことを…。指輪を手に入れたのだから、クレア…お前も用済みだ。」
公爵が淡々とした口調で言い放ち、軽く肩を落としてクレアへの関心が失せたような目をしている。公爵にとって有益なものか確証のない前世の知識より、手に入れた指輪の方が価値のある物のようだ。
「…そんなに喚くな。かすり傷だ。」
アルはクレアに近づいて、上から覗くように傷口をみていた。
「……っ、ゔぅ…うそ…こんっなに…痛いのに!」
クレアは身を震わせて、唸るような声を出している。どうやら銃弾はクレアの体を貫通したわけじゃなく、かすめただけのようだけど、痛みに慣れていないクレアからしたら苦痛なはずだ。
「死ぬわけじゃない。じっとしていろ。」
アルが冷静に返して、立ち上がり……
扉の開く音がして、私は奥へと視線を向けた。
内側から鍵をかけていなかったようで、すんなりと誰かが中に入ってきた。騎士と同じような格好の片目に眼帯を付けている男性は、助けに来た人かと思ったけれど…落ち着いて周りを見回している姿を見て、すぐに違うと分かった。
「リグレット。…奴は来たのか?」
「いえ…もしかしたら途中で兵士に捕まったのかもしれません。引き続き私は、小屋の中で待機しておりますか?」
そうしろ。と公爵が返して、リグレットと呼ばれた男性は公爵に向かって頭を軽く下げる。茜色の目が鋭くこちらに走り、殺意を向けられているような気がして私は身じろぎしたけど、すぐに振り返ったリグレットは扉をくぐって出て行った。
孤児院に来た時マナは、人の気配を感じてあの時立ち止まっていたのかもしれない。
「……ルミナス様。先ほどのは銃という武器でございます。驚かせてしまい誠に申し訳ございません。…さて、場所を移して今後について話を致しましょう。」
手を前に差し出して勝ち誇ったような笑みを浮かべる公爵は、私が従うと本気で思っているようだった。
私は立ち上がってクレアとアルの合間を縫うように、足を前に運ばせる。
笑みを絶やさない公爵を見据えながら、私は2人を背に庇うようにして足を止めた。
「貴方に従うつもりは、ないわ。」
キッパリと断言した私に、余裕があった公爵の表情が初めて崩れる。不機嫌そうに眉間に皺を寄せている公爵は、私が反抗的な態度を取ると思っていなかったようだ。軽く息を吐いた公爵はマントを羽織っている人へと、睨むように視線を走らせた。銃に関して私は詳しくないけど、持っている銃は火縄銃に似た形をしている。連射できるわけでなく、弾を込めるのに手間がかかるようだ。既に弾を込め終えたようだけど、銃を使って私を無理矢理従わせようとしているのだろうか。銃口をこちらに向け―――
………? あの人…
銃を手に持つ人は銃口が下がって、顔を私から逸らしていた。先ほどアルに向けては容赦がなかったようだけど、私に銃を向けることに躊躇しているみたいだ。
「フィーユ。ルミナス様をこちらにお連れしろ。」
命令口調の公爵の言葉に、私は目を見開く。
………フィーユ?
湖で出会った女傭兵と同じ名を聞いて、その姿を思い浮かべながら「まさか…」と私の口から声が漏れた。片手を銃から離してフードを下ろすと顔が露わになり、ショートヘアがさらりと揺れて若葉色の瞳が不安げに揺れている。
「……お父様…どうか、お考え直し下さい。ルミナス様に…これ以上の無礼を働いてはなりません。」
「お前に意見を求めてはいない。…馬車の中で話は済んだろう。それとも……良いのか? 」
伏し目がちなフィーユは公爵からの問いかけにビクリと肩を震わせると、銃を固く握り締める。
2人が親子ということに驚いたけど、フィーユは公爵に無理に従わされているように思えた。湖で出会った時に言葉遣いや所作が綺麗だったし、ワインの産地を言い当てていたから、公爵令嬢だと知って納得した。なぜ傭兵をしていたか疑問が残るけど、まずはこの場を収めるのが先決だ。
「クラッセ公爵…貴方は大事なことを知らないようね。その指輪を貴方が持っていても、使いこなせないわ。わたくし以外の人間には使えなくってよ。」
「……嘘をついても無駄だ。本来なら数ヶ月前に王の指輪を手に入れるつもりであった。その時は王の証としか知らなかったが…オルウェンが指輪をつけて魔法を使っていたことは、ソイツから聞いている。」
顎でアルを指した公爵は、お前も大広間で使っていただろう。と言って、私への口調をガラリと変えた。威圧的な態度をしている公爵は、若干苛立っているように見える。きっと私が思い通りにならないからだろう。アルから聞いて知ったなら、やはり肝心なことは知らなそうだ。そもそも魔人の存在を知っていたなら私に手を出すわけがない。きっと陛下から公爵は何も知らされていないのだろう。
一度深呼吸して気持ちを落ち着かせた私は、足を一歩前へと踏み出す。フィーユは口を固く結び、意を決したような表情で銃を構えて私に銃口を向けているけど、その手は小刻みに震えていた。
私が公爵に視線を移そうとしたら、スッと黒い背中に視界を塞がれる。
「……アル?」
「オレは…ずっと自分の感情を殺して生きてきたが、ルミナスに名を呼ばれてから変わってしまった。だから、今回の依頼を最後に死ぬつもりだった。」
アルは腰に下げている短剣を鞘から抜き、どこからか暗器を取り出しながら「だが…」と言葉を続ける。
「オレは今、自分の意思で…ルミナスを守ってから死にたいと思う。」
顔を振り向かせながら、口元を覆っていた部分を指で下げたアルは、薄く笑みを浮かべていた。
銀の目が優しげに細められ一瞬ドキッと胸が弾む。
「……フィーユ。」
低い声で公爵が呼びかけると、はい…と小さく返答したフィーユが、銃口をアルに向けると同時に、アルも武器を前に構えた。
ピリッと空気が張り詰めたように感じて、私は身を引き締める。アルの表情は私から見えないけれど、院長はヒッ…!と短い悲鳴を上げて、公爵とフィーユは強張った表情をしていた。
「銃とやらは初めて見たが、飛び道具なら防ぐか弾けば良いだけだ。」
公爵たちが、アルの気迫に押されるようにして数歩後ずさりする。そんな無茶な…と私は思いつつも、アルなら出来そうな気がした。
「こ、公爵様…下がった方が、よろしいかと…」
逃げ腰の院長が扉を開けながら進言すると、舌打ちした公爵はフィーユに目配せして、銃口をこちらに向けたまま扉まで後退していく。
「待ちなさい! 指輪を…」
「――――っルミナス!」
アルの背中から飛び出して声を上げると、アルが私の名を呼ぶ声がして、腕を強く引かれる。上着で隠れていたけれど、公爵が何かを腰の辺りから取り出したのが見えた。
アルが私を抱きしめるのと、銃声が鳴り響いたのは……ほぼ同時だった。




