ルミナスは、不快になる
「オイ、お前はここに残れ。」
院長が淡々と告げて、足音が遠ざかっていく。
ひんやりとした床に手の平をつけたままの私は困惑していた。どれだけイメージしても魔法が発動しない。
――――えっ!?
いつも身につけている指輪がないことに気づいた私は、その場に立ち上がって口を開く。
「〜〜〜っ、……!!」
声を上げようとすると、いつのまにかアルが間近に迫っていたようで、手で口を塞がれた。
「ルミナス、大人しくしていろ。」
背後からしたアルの静かな声と、扉が閉まる音はほぼ同時だった。明かりが無くなったことで、視界が完全に暗闇に包まれる。口に当てられた手の感触と、温もりだけを感じた。
「……指輪のこと、知っていたのね。」
口から手が離れて振り返った私は、正面にいるであろうアルを見据えながら話しかけると、…ああ。とアルは一言だけ返した。
マナのところへ瞬間移動した時は、アクア様の魔力を使った。ずっと指輪に込められているアクア様たちの魔力を使っていたけど、私自身のもつ魔力を使えば、いつでも光魔法を行使できる。指輪を外したのは、私に魔法を使わせないためだろうけど、指輪が無くても魔法を使えることを知らないみたいだ。
院長とアルから指輪の魔力の色は見えなかったから、孤児院内のどこかにあるか、それか別の誰かに指輪を渡したのかもしれない。
私が思考に耽っていると、不意に手に何かが触れてきた。後ずさりしようとしたら、今度はしっかりと手を握られる。さっきのはアルの指が私の手に触れてきた感触だったようだ。
「そのまま下がったら…踏んでしまう。ルミナスの友人を壁際に移動させるから、動かないでくれ。」
そう言ってアルは私から手を離す。どうやら私はマナを踏みそうになっていたみたいだ。先ほどまであった火の明かりがないから、マナの姿が暗くてよく見えない。アルは足音を立てないように歩いているのか、何も聞こえなくて耳を澄ましていると「きゃっ!? 」と突然女性の驚いたような声が耳に入る。
「そういえば…いたな。」
「…えっ? わたし、忘れられてたの!? 〜〜〜っ酷い! 一体わたしは何のために拐われたのよ! 人を拐っておいて、放置プレイしないでよね!」
「オレに言われても困る。」
女性の抗議するような声と、素っ気なく返すアルの声。じゃらじゃらと鎖の音も聞こえてきた。
可愛らしくもハキハキと喋るその声には、聞き覚えがある。
「クレア…」
私の呟きは向こうには聞こえなかったようで、クレアは「こんな所にずっといたら頭がおかしくなっちゃう!…あっ! もしかして、わたしを廃人にさせるのが目的ね!」と饒舌に喋り続けていた。どうやら喋る元気はあるみたいだ。院長室でバルバールが誘拐したなんて信じられないといった表情をしていた、院長の姿が頭に過ぎる。
バルバールに、罪を被せようとしてるのかな…と考えている間にアルが私の側に戻ってきたようで、再び手を握られた。
「暗くて危ない。その…」
アルの言葉が途中で途切れた。何を言うつもりだったんだろうと疑問に思って私は首をかしげる。振りほどくことも、握り返すこともせずにいると、手を引かれて足を前に進ませた。ゆっくりと歩くアルは、どことなく私を気遣っているようだった。
「アル、貴方の依頼主はヨゼフ院長なの?」
「違う。依頼主はもうすぐここに来る筈だ。」
即答したアルが、嘘をついているようには思えなかった。魔法のこと、指輪のことを知るのは院長とアル以外に、その依頼主も知っていそうだ。
「手を伸ばしてみろ。前に壁がある。」
言われた通りに手を前に伸ばして、壁に触れる。
アルはここまで来ると手を離していて、寝息が側で聞こえてきた。しゃがんで、床に横になっているマナらしきものに触れた。
暗闇に目が慣れてきたけど、はっきりと見えない。
猫耳の柔らかい感触を手で感じながらマナに何度か呼びかけてみるけど、起きる気配はなかった。
「クレア、怪我はしてない?」
「へ!? あ、えっと、はい、大丈夫です!」
私に突然声をかけられて驚いたのか、クレアは動揺しているようで声が上擦っていた。その際、再び鎖の音がして私は眉をしかめる。
「まさか…鎖で繋がれてるの?」
「は、はい…手首と足首に枷が付いてます。」
クレアの声のトーンが急に落ちる。
檻の中ではないけど、私がモリエット男爵に捕まった時の状況によく似ている。あの時のことは、忘れたくても忘れられない。今は自分がされているわけじゃないけど、私は不快な気持ちになった。
……どうしようかな……
私自身の魔力は、できれば使いたくない。指輪がないからリヒト様と連絡が取れないけど、魔力感知をすれば、ここに私がいると分かる。
……いざとなれば、私は……
壁に背中を付けて、床に腰を下ろした私はハァ…と溜息を吐く。行動を起こすなら依頼主が来てからにしようと思った私は、今は大人しくしていることにした。
「その…ルミナス様…。ルミナス様とご友人の方も、わたしと同じように拐われたのですか?」
「そうね…ここは孤児院の地下室だと思うのだけど、院長に薬で眠らされたの。拐われたのと同じね…」
クレアは小さな声で、孤児院……あの人が院長…と独り言を呟いていた。自分が囚われている場所がどこか、分かっていなかったのだろう。先ほどここに来ていた院長の顔を知らないようだから、クレアは少なくとも孤児院には来たことがないようだ。
「ルミナス、様…このような状況で言うべきではないのでしょうが…わたしは、二度とルミナス様に姿を見せるつもりは、ございませんでした。」
クレアの声は震えていて、口を閉じたままクレアの声に耳を傾けていると、鎖の音が激しく鳴った。
どうやらクレアが、私の前まで移動してきたようだ。
「……大変…申し訳ございませんでした…。……決して、謝って済むとは…思っておりません。わたしは…わたしは、それでも…っ…死にたく…ありません。」
じゃら…と無機質な音と、クレアの今にも泣き出しそうな切実な声が耳に入る。先ほど元気な声を聞いていたから平気そうだと思ったけど、
……平気なわけ、ないよね…。
目が覚めたら枷を付けられて、こんな場所にいたんだ。どんなに明るく振舞ったとしても、心の中では怖くて怖くて仕方なかったに違いない。私が今落ち着いていられるのはリヒト様の存在や抵抗する術があるからだけれど、クレアは…普通の女の子なんだから。
「クレア。わたくしは、イアンと出会えて今とても幸せよ。貴方を憎いと思っていた時もあったけれど、今はなんとも思っていないわ。…絶対に助かるから、安心してちょうだい。」
クレアは土下座して頭を下げているようだったから、私はクレアの手がある付近に、自分の手を伸ばす。ビクっと動いたクレアの手に触れると、ヒンヤリと冷たかった。
「一緒に外に出ましょう。貴方の帰りを待っている人がいるわ。貴方に聞いてみたいことがあったから、明るい場所で温かいお茶を飲みながら、わたくしとお喋りしましょうね。」
クレアの震えている手に、そっと自分の手を重ねる。はい…と消え入りそうな声で返答があった。
私がクレアの手を暖めるように、力強く握ると……
「依頼主からの依頼があれば、その女はオレに殺される。」
私の隣から、重く冷たい声が聞こえてきた。




