ルミナスは、眠気に襲われる
「バルバールが、そんなこと…するわけないわ。」
ソファに座っている私の言葉に、正面の椅子に座っている院長が同意を示すように軽く頷いた。
床に膝を付けていた院長と子ども達に、私が立つように促した後、子ども達は全員二階の部屋に上がって行き、私とマナは院長室に案内された。院長に訪問の理由を聞かれて、泣き声が聞こえてこの辺りを歩いていたら、リリィを見かけて孤児院と知らずに来たと私が話すと、院長は浮かない顔でそうでしたか…と返した後に、その泣き声は子どもたちでしょう。実は…と私たちが来る前に何があったか話してくれた。
孤児院出身の傭兵が放火と誘拐の疑いで、兵達が傭兵の行方を尋ねに来たそうだ。その傭兵は孤児院の敷地内にある小屋で寝泊まりしていて、兵達は孤児院内と小屋を調べた後に去ったそうだけど、子ども達は兵達が去った後に傭兵を自分達が先に見つけようとして外に出た。泣きながら逃げ回る幼い子ども達を連れ戻して、院長が宥めて落ち着いた子どもたちは笑顔になり、暖かい飲み物を用意しようとして院長が離れた間に私とマナが現れたようだ。
その傭兵が、バルバールだったなんて…
城でクラッセ公爵から傭兵だとは聞いていたけど、院長から話を聞いて孤児院出身の傭兵にまさかと思ってバルバールの名前を出すと、院長はバルバールから私たちと出会ったことを何も聞いていなかったようで、私とマナがバルバールを知ってることに驚いていた。バルバールとは、それほど言葉を交わしていないけれど……そんなことをする人には思えなかった。
「ああ…大変失礼しました。今お飲み物をお持ち致します。」
目線を落としていた院長が、申し訳なさそうにしながら立ち上がる。「いえ、もう帰りますから…」と私は院長を引き止めようとしたけど「良いワインがございますよ。」と振り返って顔の皺を深めた院長は、部屋から出て行ってしまった。
……リリィは、バルバールが帰ってくるのを待っていたのかな……。
小屋の近くに立っていたリリィの後ろ姿を思い出しながら、私はふぅ…と軽く息を吐く。昨日からバルバールは帰ってきてないと院長が言っていた。バルバールは今頃、どこで何をしているのだろう。
「ルミナスさん。バルバールを探してみますか?」
隣に座るマナが、上に向かって大きく伸びをしてソファの背もたれに寄りかかる。気になるけど…この広い王都を隈なく探すのは時間がかかるし、バルバールを見つけるのは兵士に任せて後から事情を聞こうと考えた私は「ううん、すぐに城に戻ろう。」と返答した。それから少しして院長が戻ってきて、テーブルの上にグラスを二つ載せると、窓の近くにある机に向かった。
「こちらも、どうぞ召し上がって下さい。」
何かを持って椅子に座った院長が、それをテーブルの上に置いて柔らかな笑みを浮かべる。小さな瓶の中にはクッキーがいくつも入っていた。私とマナは1枚ずつ手に取りクッキーを食べて、甘いお菓子に顔が綻ぶ。
「このお菓子は、孤児院で作った物なのかしら?」
「いえ、最近頂いた物です。孤児院では子どもたちが自給自足で生活していますが、お優しい方々からの施しも受けているのです。」
建物の裏には畑のようなものが壁の上から見えたし、自分たちで野菜を育てているみたいだ。それでも毎日の食事に必要な分が畑で補えるのは収穫時期だけだろう。挨拶の時も思ったけど、院長はずっと丁寧な口調で喋っているし、その『お優しい方々』とは貴族かもしれない。そのおかげで生活できているのだろう。子どもたちは見た感じ痩せ細っているような子はいなくて元気だったから、食事はキチンと食べれていそうだった。
ワインを飲んで喉を潤していると、院長がもう一ついかがですか。とクッキーを勧めてくる。子ども達にあげて下さい。と笑顔で断った私は、マナに目配せしてワインを煽った。渋みが強くて濃厚な味のするワインを久々に飲んだ。隣を見ると、マナが苦い顔をしている。マナも私と同じ甘いもの好きで、最近は紅茶ばかり飲んでいた。
「ご馳走さま。わたくし達は城に戻りますわ。」
空になったグラスをテーブルの上に戻して私とマナが腰を上げると、院長もゆっくりと立ち上がった。
「ルミナス様。最後に子ども達にお会いになりませんか? ルミナス様の魔法に、子ども達が大層喜んでおりましたので…」
子ども達と一緒に、もう一度お礼を述べさせて下さい。と控えめな口調で院長が頭を深々と下げてきた。
扉の前で足を止めていた私は、院長の言葉に引っかかるものを感じた。子ども達が二階に上がる前に、何人か院長に髪や体が乾いたことを、自慢するように院長に話していた
けど……
……………。
突如、強い眠気に襲われて瞼が鉛のように重くなる。
後ろで物音がしたけど振り返ることができずに、意識が遠のく寸前、マナの姿が頭を過ぎった。
………………
…………
ぼんやりとした意識のなかで、自分の体が僅かに揺れていることに気づく。足が地についている感覚がなくて、誰かが私を横抱きにしているようだった。
誰かが……
誰に?
「〜〜〜〜っ!? ちょ…っ…は、離してっ!! 」
意識がハッキリして院長室でのことを思い出した私は、バタバタと手足を動かして逃れようとする。私を抱き上げている人の腕が思いのほか強くて、ビクともしない。瞼を開けると夜のように薄暗くて、じめじめしている。自分の声が反響したように聞こえた。突然声を上げて動いたのに、抱き上げている人は驚いた様子はなく、手の力が僅かに強まったように感じた。
「……なぜ、こんなに早く…。オイ、半日は起きないはずだぞ。お前が何かしたのか?」
不機嫌そうな声がして前方に視線を向けると、小さな火が近づいてきた。蝋燭の明かりを手に持つ院長の姿が見えて、私は目を見開く。
子どもたちや院長室で私と話していた時の、穏やかな表情や笑顔はなく、別人のように険しい顔をしている。薄暗いせいか、その顔が不気味に見えてブルリと私は身震いした。
「何もしていない。」
私を抱き上げている人が、淡々とした口調で返答した。その聞き覚えのある声に、私はゴクリと唾を飲む。
「アル…」
ぽつりと呟いた私の声に、アルが視線を下げて私を見つめる。銀色の目が柔らかく細められて、口元は隠れているから分からないけれど、笑ったように見えた。
「……マナ…。……マナはどこにいるのッ!?」
周りを見回してもマナの姿がどこにも見当たらない。こちらを向いている院長の後方には扉らしきものが見えて、アルの後ろには上に向かって続く階段があった。アルの服を掴みながら声を荒げた私に「眠っているだけだから、大丈夫だ。」とアルは落ち着いた口調で答えて言葉を続ける。
「…ルミナスの友人は、この先にいる。危害を加えるつもりはない。」
目覚めたのは予想外だったが…と小声で言って、アルは歩き出す。鍵を解くような音が耳に入ってきた。院長の方に視線を向けると、扉の前に立っている院長が鍵を開けているようだ。下手に動かない方が良いと思った私は、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
私とマナは、どうやら口にしたワインかクッキーに睡眠薬を混ぜられて眠らされたみたいだ。それほど時間は経っていないようだから、ここは孤児院のなかかもしれない。
……地下室……。
早く目を覚ませたのは、自己治癒のおかげに違いない。私が口を噤んだまま頭の中で今の状況を整理している間に、扉は開かれていてアルは歩き続けていた。
「――――マナっ!!」
ぼんやりと誰かが床に横になっているのを視界に入れた私がアルから離れようとすると、今度はすんなりとアルの手が離れて床に足をつける。
駆け寄って床に膝をつけた私がマナの側に寄ると、マナは寝息を立てて本当に眠っているだけのようだ。
ホッとした私は視線を移して、院長とアルを睨む。
「詳しく…話してもらうわよ。」
床に両手をつけた私は、2人を拘束するために檻をイメージして……
え?
魔法が……発動しない……。




