振り返る者
クレア視点の話になります。
わたしの名前は、クレア・モリエット。
国外追放の身となって、今は商人のクレア。
そして田中 未央として18年間生きた記憶がある。
数ヶ月前…目が覚めた時に、前世の記憶を思い出した。混乱したけど、城の医務室から出ることがなかったわたしはベッドで横になりながら、頭を整理するには十分な時間があった。
商業高校に在学中、ワープロや簿記などの資格を取っていたわたしは、高卒でも雇ってくれる会社に受かって働いていた。母子家庭で育ったわたしは、早く働いてお母さんに楽をさせたかった。特に趣味もなく、大学に進学した友達の誘いも全て断って、仕事に打ち込んだ。
職場の先輩が、とても面白い人だった。
いつも目線を下げて自信なさそうに話す人だったけれど、大好きだという乙女ゲームの話をする時は人が変わったように生き生きとしていた。
わたしは思ったことを、すぐに口に出すから疎む人もいたけれど、先輩は違った。
年の離れた先輩に友達感覚で喋っていたわたしは、毎日通う職場に楽しみができていた。
薫 先輩。
クレアとして生きてきた記憶も、わたしの中にある。マーカス王子のことばかり考えていた自分自身に、心底呆れた。塔の中で握りしめていたネックレスは、目が覚めた時も握ったままだった。
『 マーカスからのだろ。持ってても良いぜ。 』
軽い口調でライアン王子に言われたけど、試されているような気がして、わたしはネックレスをすぐに返した。その翌日に国外追放を言い渡されて、手荷物もなく身1つで国を出ることになったけど、わたしは晴れやかな気分でいた。旅の間、色々なことがあったけど無事にニルジール王国に着いて、お母様を探した。
離婚していたお母様とわたしは容姿が似ていたから、思いのほか早く会えた。マルシャン商会はお母様の実家で、会長だったわたしの祖父が亡くなってお母様が会長になったそうだ。商会は衰退の一途を辿っていて、困っていたお母様を見たわたしの魂に火がついた。
商会を大きくして、お母様に贅沢させたい。
前世は早く死んじゃったから、長生きしたい。
商品のアイデアは前世の記憶にあった物だけど、この世界に娯楽品が少ないから売れる自信はあった。職人に頼み込んで1つ作ってもらい、誰に売り込むかで悩んだ。公爵様は特定の商人と付き合いがないとお母様に聞いて、わたしは公爵様の屋敷を尋ねた。一緒にきたお母様とラージスは不安そうにしていたけど、公爵様は商品を気に入ってくれると他の貴族様にもリバーシのことを宣伝してくれて、売り上げはどんどん伸びた。最初に作ったリバーシは板と駒だけのシンプルな作りだったけど、公爵様からの助言を受けて豪華な作りにした。貴族に行き渡ったら、今後は平民向けにも安価なものを提供しようと考えている。
『 君の発想は実に面白い。令嬢として暮らしていた時に思いついていたのか? …なぜ以前は商売をしなかったのか、不思議でならない。』
公爵様の屋敷に何度目か訪れた時に、リバーシ以外にも何か商品を出す予定があるのか聞かれて商品のアイデアをいくつか話していたら、ふいに公爵様が怪訝そうな眼差しを向けてきた。
この国で暮らすことになって、ラージスと一緒に城に赴きライアン王子からの書状を宰相様に手渡していたから、公爵様は陛下か宰相様にわたしのことを聞いたのだろう。書状には、わたしがサンカレアス王国にいた時の振る舞いや犯した罪、国外追放となったことが記されている筈だ。お母様には出会ったその日に話した。どうせ信じてもらえないだろうと思いながらも、正直に前世の記憶があることを三人に打ち明けた。けど、まるで夢物語を話しているように聞こえたのか皆に笑われたため、わたしも冗談だと笑い返した。
流石に、この世界がゲームそっくりだとは言わなかった。
頭がおかしいと思われるのが嫌だった。
ラージスに。
薫 先輩がよく話聞かせてくれたゲームのストーリーとキャラクターに、何度も見せてくれたスチルの数々。わたしはゲームをしなかったけど、自分の歩んできたクレアとしての人生がゲームのストーリーそっくりなことにゾッとした。主人公は死にかけたし、悪役令嬢のルミナス…ルミナス様が、イアン王子と婚約したことを耳にした時は驚いたけど。
ゲームとは違って、この世界は現実だ。
わたしの人生はまだまだ先がある。
そう、思っていたんだけど………
暗闇のなかで自分の過去を振り返っていたわたしは、冷たい床に体育座りしている。手枷と足枷があるから、この座り方が一番楽だ。男と話してから、大分経ったように感じる。動いたらまた腕を掴まれそうな気がして、あれから一歩も動けずにいた。
……はぁ…どうしよう。
わたしを攫ったのは誰だろう。何の目的で?
声に出したら男に注意されそうだから、頭の中で考えを巡らせる。リバーシがらみのことで、他の商人から厄介者扱いされたのだろうか。新参者のわたしを良く思ってない人の仕業かもしれない。
新人には優しくしてほしい。
前世でも上手く立ち回っていたつもりだったけど、結局は……
そこまで考えて前世のキモい上司の姿が頭を過ったわたしは、肩を落として項垂れた。
自分の息遣いだけが耳に入り、瞼を閉じてウトウトしていると、不意に施錠を解くような金属的な音と、扉の開く音が耳に入る。やけに大きく聞こえてきて、わたしは一気に眠気が覚めて顔を上げた。
小さな火が視界に入って、わたしは目を凝らす。
蝋燭の明かりを持つ皺の深い男が、正面から真っ直ぐこちらに向かって歩いてくる。わたしは簡素な服を着ている男を観察するように見るけれど、全く見覚えがない人だ。
……この人が、誘拐犯?
男から目を逸らさずに身構えていると「…オレに依頼か?」後ろから聞こえた声に、わたしはビクッと肩が跳ねる。顔を振り向かせようとすると、男は静かにわたしの横を通り過ぎていった。
……えっ!?
「あ、暗殺者の……アル…?」
蝋燭の火を持つ男に近づいたことで、黒髪と黒い服を着ている姿が目に入って、思わず声に出してしまった。振り返った鋭い銀色の瞳が射抜くように向けられて、わたしはヒッ!と声が漏れる。
『 暗殺者 』
人を殺すのが仕事だ。そんな人と暗闇のなか一緒にいたことに、恐怖で体が小刻みに震えてきた。
………わたし、殺されるの……?
そう思うと、余計に恐怖心が増してくる。
身じろぎしたことで鎖の音がして、アルが口を開く。
「オレの名を呼んでいいのは…1人だけだ。」
二度と口にするな。と冷たい声で言い放ち、アルは男の後について歩く。明かりが遠ざかる姿をわたしは、ただ見送ることしかできない。
扉が閉ざされ暗闇に包まれると、再び施錠された音が耳に入った。
………もし、薫 先輩がココにいたら…生アルに大はしゃぎしそう…
『私にとっては癒しの声だよ』と顔を赤くして話していた姿を思い浮かべると、強張っていた肩の力が抜けて、こんな状況でも自然と口角が上がる。
アルはわたしみたいに無理やりじゃなく、自主的にこの場所にいたようだった。賞金首のアルを匿ってるなら、わたしを誘拐したのも碌な奴じゃなさそうだ。
わたしは自らを奮い立たせるように、ゆっくりと立ち上がった。




