ルミナスは、疑問が湧く
「また傷つけようとしてるんじゃないのかッ!?」
「…っぐ…う、…そのようなことは、決して…っ…ござい…ません…。」
「腹の内では、何を考えているか分からない! そう言い切れるのは、お前がクレアに惚れてるからだろう!〜〜〜っ、ラージス!! 」
扉を開けた先で誰かの苦しげな声とイアンの叫ぶような声が耳に入る。ビリビリと空気を震わすようなイアンの声に私はその場で立ち止まり、イアンともう1人が誰かと思えばラージスの名を聞いて驚いた。こちらに背中を向けているイアンが立ちながら前かがみになって、どうやら座っているラージスの胸元をつかんでいるようだ。ラージスの顔はイアンの背中に隠れて見えないけれど、その隣には涙目でオロオロしているロリエ会長と、手にグラスを持って静観しているクラッセ公爵が並んで座っている。テーブル近くの絨毯上には何かが散乱しているようだった。壁際には使用人が数人控えていて、口を固く結び強張った表情をしている。
「イアン王子、ルミナス様がいらっしゃった。」
扉を開けた私に、最初に気づいたのはクラッセ公爵だ。こちらに視線を向けた公爵は小さく笑み、何事もなかったかのような落ち着いた表情をしている。
顔を振り向かせたイアンの鋭い眼差しに、私は胸の辺りで拳をつくりながら身構えてしまう。イアンはまるで私に関心がないように顔をラージスに戻して、手を振り払うようにして離すと腰を下ろした。
苦しげに咳き込むラージスの声がするなか、ルミナス様。と私の背後から控えめに衛兵が声をかけてくる。扉を開けたままだったことに気づいた私は、下がってて…と返して扉を閉めてもらう。マナと一緒にソファに歩み寄り、公爵たちが立ち上がって跪こうとしたのを止めて、ソファに座るように促した。
……これは……
絨毯に散らばっている1つを、しゃがんで指で摘むようにして取る。物音がしたのは、これらがテーブルから落ちた音だったのだろう。
……間違いなく、リバーシだ。
前世の記憶にあるものと殆ど同じで、黒と白ではなく、黒と緑で塗られた円形の薄い駒は、一つ一つ手作業で作られたものだろう。絨毯の上にひっくり返っているリバーシ台は、将棋盤みたいになっていて足つきだ。足の部分が精巧な彫りがされていて、手が込んでいる。魔法で簡単に作った私の物とは、全然違う。
「…イアンが、コレを落としたの?」
駒を一つ一つ丁寧に拾って手の中に収めながら、横目でイアンを見る。イアンは私の方に目を向けず、腕を前で組んで不機嫌そうにしていた。
「ルミナス様、貴方様はどうぞお座りくださいませ。私が拾いますから…」
「…ラージス…」
短く刈り上げられた赤い髪。眉尻を下げているラージスの憂いを帯びた青い瞳が私を見つめる。
私と目線を合わせるようにして、しゃがんだラージスが駒に手を伸ばそうと……
ダンッ!!
ラージスが咄嗟に手を引いたけど、駒を踏みつけられた。立ち上がっているイアンが歯をギリッと噛み締めて、グリグリと駒を踏む姿に唖然とする。
……なぜ? どうして? ……なんで?
頭の中で次々と疑問が湧く。
「何してんの!? 足どけなよ!」
マナの怒る声が耳に入るけど、イアンは足を避けない。
「…このリバーシは、同じ物をルミナスも作っていた。ルミナスの真似をしただけなんじゃないか? それで金を稼ぐなんて…クレアは卑しい女だな。」
パァン!
乾いた音が室内に響く。
この場にいないクレアを蔑むイアンに憤りを感じた私は、咄嗟に手が出てしまった。
軽く避けれるはずのイアンはまともに受けて、頰を叩かれて顔を逸らし、ようやく足を避ける。
周りに緊張感が漂っているなか、踏まれていた駒を拾ってイアンと向き合い、私は口を開く。
「…コレは、きっと職人が丹精込めて作った物だよ。酷いことしないで。私が作った物とクレアが考えたリバーシは、似ているけど別物だし…憶測だけで人を軽んじる発言をするイアンは……嫌い。」
目にグッと力を入れてイアンを見据えるけど、イアンは……こちらを見ようとしなく、私が叩いた箇所に触れたイアンの手が拳をつくり、一瞬ドキッとする。
イアンがそんなこと、するわけないのに……
その拳が私に向けられるのでは、と嫌な考えが浮かんでしまった。
「……部屋に戻る。」
ぽつりとイアンが呟いて、ぶらりと脱力したように腕を下げると、無言のまま部屋から出て行ってしまう。
「リヒト様…ここで少し事情を聞いてから、私とマナも部屋に戻りますから、イアンの側に付いててもらえますか? もし他の場所に行こうとしたら、無理やり部屋に連れてって構いません。」
足下の影に向かって小声で話しかけると、頷くように影が動いて、一瞬で元に戻る。きっとイアンの影に移動したのだろう。
イアンは、やっぱり、どこか変だ。
気が立っていて、荒々しい言葉と行動に違和感を覚える。イアンとちゃんと話をするまで、今は出歩かせない方が良いだろう。
……叩いちゃった……。
手のひらを見つめて、胸にズキっと痛みが走ったように感じた。
斜め下に視線を移すと、ラージスはしゃがんだまま固まっている。残りの駒を拾い集めてリバーシ台をテーブルの上に載せた私はソファに腰を下ろすと、立ったままのマナを手招きして隣に座らせた。
「…イアンはパーティーの後から気が張ってるみたいですの。商品をぞんざいに扱ったこと、この場にいませんが…クレアに対する言葉も、婚約者であるわたくしが代わりに謝罪致しますわ。」
「いえ、謝罪の必要はございません。リバーシはお渡しした物ですから、どのような扱いをされても構いませんし、クレアは平民でルミナス様とは立場が違います。……気に病む必要はございません。」
ルミナス様はお優しい方ですね。と言葉を続けた公爵が、薄く笑みを浮かべる。確かに公爵の言う通りなんだけど、私の気が済まない。
「ロリエ会長、貴方の商会で取り扱っている商品ですもの。クレアもそちらで働いていますし…」
申し訳ございません。と謝罪を述べて頭を下げた。…っ…ぐすっ…と、すすり泣く声が聞こえて私は頭を上げる。
「る、ルミナス様ぁ…クレアちゃんは、……クレアちゃんが……っ……うぅ…」
花の刺繍が施されているハンカチを握りしめているロリエ会長の瞳からは、ポロポロと涙が頰を伝っていた。ハンカチを使うことをせず、涙を拭わずに止めどなく澄んだ水色の瞳から溢れている。
「…クレアに何かあったのかしら? 」
ロリエ会長のただならぬ様子や、室内に入ってきた時のイアンの言葉が頭から離れなかった私は、事情を聞くことにした。




