ルミナスは、耳を疑う
「……雨……。」
朝、目が覚めて水色のワンピースに着替えながら窓にぽつぽつと雨粒がつくのを見ていると、扉の開く音がして部屋に入ってきたマナが「おはよーございま〜す!」元気に挨拶してきた。
「おはよう、マナ。」
挨拶を返してリビングの方に向かう。途中、寝室にある扉からイアンに声をかけようか迷ったけれど、支度が出来たらこっちに来るだろうと思ってやめた。
紺色のワンピースを着ているマナと並んでソファに座り、リヒト様も部屋に来て軽く挨拶を交わすと、後から使用人たちが朝食を運んできた。
パンやスクランブルエッグにソーセージなどが盛られたワンプレートが、テーブルの上に載せられる。マナは肉好きと思われているのかベーコンが厚くてステーキみたいになっていて、満面の笑顔でお礼を言うマナに、使用人も心なしか嬉しそうだ。
「イアン王子のご朝食は、どうされますか?」
朝食を置いてもらって、イアンを呼びに行こうと私は思ったけど……
「下げて構わない。」
私が口を開く前にリヒト様が返答して、かしこまりました。と言って頭を下げた使用人はカートを押しながら部屋を退室した。数人の使用人が室内に残り、私はイアンを呼びに行ってきますよ。とリヒト様に話しかける。
「イアンは、まだベッドの上だろう。夜中ずっと剣を振り続けていたからな。」
「え? リヒト様、イアンの部屋にいたんですか?」
リヒト様は私の質問に、影の中から見た。と無表情のまま返して、ナイフとフォークを使って一口サイズに切ったベーコンを綺麗な所作で口に運ぶ。
私が呑気に寝ている間に、リヒト様は警戒してイアンだけでなく私やマナの部屋も寝ずに見守っていてくれたのかもしれないと思った。
「イアンは悔しかったんですね。サリシア王女に軽くあしらわれた時も、よく素振りをしてましたよ。」
マナが懐かしむように話して、フォークでブスっと突き刺したベーコンを豪快に噛みちぎる。
イアンの様子が気になるけど…休ませてあげようと思った私は、呼びに行くのをやめて食事を始めた。
食事を終えると控えていた使用人が皿を片付けて、食後の飲み物をテーブルの上に載せた。下がって良いわ。と私が声をかけて使用人たちは部屋を退室し、私とマナ、リヒト様の三人だけになる。
「ルミナスさん。アルって、どんな人なんですか?」
ぱっちりとした茶色の目が瞬く。新しい花を見つけた時のような、わくわくしているマナの表情に少し驚いた。……マナはアルに興味があるのかな?
今までアルの名前を私やイアンが口にして何度かマナは耳にしているけど、質問されたのは初めてだ。
「…アルは黒髪に銀目で、私とイアンが初めて会った時は黒い服を着て口元を隠してたんだ。昨日のパーティーでは変装してたみたいで茶色の髪をしていたよ。……。」
アルに会ったのは二度だけで『 どんな人 』かと聞かれて考えてみたけど……依頼に忠実な完璧主義者のアルの、昨日の言動が指示されたものとは思えないし、私は結局ゲームキャラとしての情報と外見以外、何も知らない。ん〜…と声を漏らして私が頰に手を当てていると、マナが「イアンを気絶させたんだから、強い人なんですよね〜。」と言って、カップに手を伸ばし……
バタンッ!と乱暴に扉を開く音が耳に入り、私は音がした寝室の方に意識を向ける。立ち上がって寝室に向かおうとしたけど、イアンがこちらに歩いてきた。
「イアン、おはよう。」
「………。」
イアンからの返答がなく、ソファから離れた所でイアンは腕を組んで、壁に背中を付けて俯いている。
……聞こえなかった、わけないよね。
眠いのに無理して来たのかな?
疑問に思った私はイアンの前まで歩み寄る。
「朝食を今持ってきてもらうね。夜中剣を振っていたんでしょう? 食べたら、もう少し休」
「また俺を覗いていたのか? もう、しないと言ってたのは嘘だったんだな。」
金色の瞳が鋭く向けられて、私の言葉を遮り冷たく突き放すようなイアンの声に驚いた私は身じろぎする。
「食事はいらない。それよりも…」
グイッと顎を掴むようにして持ち上げられて、イアンの顔が間近に迫ってきた。
「……昨日、アルと何を話していた? 」
「〜〜〜〜っ!?」
イアンの行動に、私は戸惑いを感じる。
聞かれるかもしれない、とは思っていたけど…こんな問い詰めるようにされるとは、思っていなかった。
頰に当たるイアンの指先が強くて、痛みで顔を歪めそうになる。
アルの言葉をイアンにそのまま伝えて良いものか、私が躊躇していると……
「覗いたのはわたしだ。…苛立つのは勝手だが、ルミナスに八つ当たりをするような真似をするな。」
低いリヒト様の声が聞こえるのと同時に足下の影が伸びて、取り囲むようにして影の槍が切っ先をイアンに向けている。……イアン?
唇を噛んでいるイアンは、苛立っているというよりも何かと葛藤しているように私には見えた。
「……っ、俺は、ルミナスの婚約者だ。ルミナスの父親でもないリヒト様に、とやかく言われる筋合いはない。」
喧嘩腰なイアンの言葉に私は耳を疑う。
リヒト様に視線を向けると、眉をしかめて不愉快そうにしていた。黒く禍々しいオーラが今にもイアンを呑み込んでしまいそうだ。
「もーーーっ! 朝からなんなのっ! イアンが悪いんだから! ルミナスさんと、リヒト様に今すぐ謝んなよ! 」
マナが張り詰めた空気を払拭するように立ち上がって声を上げた。リヒト様が魔法を消したけど、イアンは無言のまま扉から廊下に出て行ってしまい、勢いよく扉を閉めた音が室内に響く。
「〜〜〜〜っ、なっ、なんなの、あの態度!イアンってば! ルミナスさん大丈夫ですか?」
プンプン怒りながらマナが、呆然と扉を見つめていた私の側に来た。うん…。となんとか返答したけど、イアンに触れらた箇所がジンジンして、なんだか熱い。リヒト様がワインを飲んでため息をつく姿が視界に入り、私はソファに歩み寄る。
「リヒト様…私は、リヒト様をお兄様やお父様と同じように、家族と思ってますからね。」
そう言って微笑むと、リヒト様は僅かに口角を上げて嬉しそうにしていた。
「ルミナスさん!イアンは放っておきましょう!」
ムッとしたままのマナがドカッと勢いよくソファに座り、カップを傾けて紅茶を一気飲みしてる。
「…とりあえず追いかけよう。あのままじゃ、1人で城を飛び出しかねないよ。」
私はソファに座らず、立ったまま紅茶を一口飲んでフゥ…と息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
カップを戻してイアンの私に対する冷たい態度に不安になりそうになった気持ちを、胸に手を当てて奥に追いやった私は、扉に向かって歩き出した。
「ルミナス、アルを捕まえたいなら王都にいる全ての人間を影の中に入れれば、簡単に行方は見つかるが…」
「そ、それは…やめましょう。」
私がすかさず止めると、リヒト様は「そうか。」とだけ返した。確かに見つかるだろうけど、パニックになる。リヒト様は私の影の中に入り、少し不満そうにしているマナと一緒に廊下に出た。
「イアン王子は国王陛下の元に行くと仰っていましたが…その…護衛は不要と1人で行ってしまわれて…」
廊下で控えていた護衛にイアンがどこに行ったか尋ねると、護衛は申し訳なさそうに答えた。分かったわ。とだけ返して私とマナは急ぎ足で執務室に向かって歩く。後に続こうとした使用人や護衛は断って私とマナの2人だけで向かった。部屋数が多い城内だけど、執務室の場所は把握してる。
雨足が強くなってきたようで、歩きながら窓を見ると雨粒が多くついていた。湿っぽく感じるなかイアンが陛下の元に行く理由を考えていたけど…アルに関することに違いない。きっと捜索状況を聞きに行ったのだろう。
黙々と執務室に向かって歩いていると、扉の前に立つ衛兵の姿が視界に入る。前は2人だったけど、衛兵の人数が増えていた。
「イアンがこちらに来なかったかしら?」
「はい。室内に入りましたが…すぐにクラッセ公爵とマルシャン商会のロリエ会長とご一緒に、出て来られました。」
衛兵の1人が緊張した面持ちで質問に答えてくれて、今は別室にいると聞いた私は、そこまで案内してもらう。……なんでロリエ会長と公爵がここに…
もしかして昨日受け取れなかったリバーシを持ってきたのだろうかと思いながら、衛兵の後をついて再び廊下を歩く。
「――――――!!」
案内された部屋の前に来ると、怒鳴り声と何かが落ちるような物音が聞こえてきて、私は衛兵を避けて扉を開けた。




