げんなりする者
「―――――ル…」
藁の上で仰向けになっていたバルバールは手足を伸ばすと、うゔっ…と唸るような声を出しながら瞼を開ける。小屋の扉が開かれていて、夕日がバルバールの体に当たって色づいていた。
「バルバール。」
自分の名が呼ばれていることに気づいたバルバールは、大きな欠伸を漏らしながら上体を起こす。
「……ンだよ。メシの時間かぁ〜…?」
項垂れて頭に付いた藁を手で払っていると、扉に手をつけている体格の良い男がハハハと軽快な笑い声を上げて、バルバールは眉をしかめながら顔を上げる。
「まだ寝ぼけてるね…それとも今夜、君に食事を奢った方が良いのかな?」
くっくっ…と口元に手を当てながら可笑しそうに肩を震わせる。
男は黒い眼帯を付けていない方の茜色の目を細めて、バルバールを見つめていた。眼帯を付けている頰には、縦に鋭利なもので斬られた傷跡がある。瞳と同じ色の短髪に騎士と同じように全身鎧で身を包み、兜は付けていない。その姿を視認したバルバールは、目を丸くした。
「リグレット…」
「バルバール、仕事をもってきたよ。」
おっ、ありがてェ!と若干声色を高くして返したバルバールは、ニヤリと笑みを浮かべて藁の上に置いていた胸当てとベルトを乱暴に掴むと立ち上がり、自身の体に付けると小屋から飛び出すように外に出た。
「バルバール兄さん…お仕事、ですか?」
外にいた子供たちの姿は既になく、少女が1人箒を手に持ちながら駆け寄り、あぁ。とバルバールは一言返す。
「おや、リリィちゃん…大きくなったね。12才、だったかな?」
少女のリリィは返答せずに、箒の柄を握りしめるとバルバールの背に隠れる。「14だ」とバルバールが短く答えて、リグレットはくすっと小さく笑った。
「…リリィちゃんは恥ずかしがり屋だね。君にも、良い仕事先を見つけてあげるからね。」
優しげな口調で話しかけたリグレットの薄い唇が弧を描く。リリィは目線を落として、ぎゅっとバルバールの服を掴んでいた。
「…悪りィな。」
頰を指でかきながらバルバールが小声で返すと、リリィを自分から離して2人は足を進めた。バルバールの後ろ姿をじっと見つめていたリリィは、急ぎ足で孤児院の中に入っていく。
……リグレットには、大分助けられてンな…。
安定した仕事は、なかなか見つからない。
王都内となると、職人や商人になるには身元がしっかりした者でないと雇ってもらうのは難しく、孤児院出身だからと差別する者もいる。
リグレットは顔が広く、王都からは遠く離れている領地でだが働き口を見つけて、孤児院から何人もそこに向かって出て行った。タクトが商人見習いになれたのも、リグレットが口添えしてくれたお陰であった。
だからこそ…バルバールはリグレットに恩を感じており、頭が上がらない存在なのである。
孤児院の前にある街路は馬車が行き交っており、道なりに進むと娼館や、平民がよく利用する規模の小さい広場に通じる道があるため、馬車が通ることは珍しくはない。庭の木に繋がっている一頭の馬に向かって2人は歩み寄りながら、仕事の内容が気になったバルバールは何すンだぁ? と横目でリグレットに尋ねた。
「今夜は城でルミナス様方の歓迎パーティーがあるんだ。城の周辺や街中を騎士と兵達がいつも以上に見回りを強化してるから、人手が足りないと依頼を受けたんだよ。」
「あ〜……つまり、馬鹿な奴が騒ぎを起こさないように、俺らも見回れっつーことか?」
「そう。もし不審者がいたら、即刻捕らえて兵士に引き渡すように。女子供も、同じ傭兵仲間でも…誰であろうと馬鹿な真似をしたら容赦しなくて良いよ。」
にっこりと笑みを浮かべるリグレットに、バルバールは、酒場で自分がルミナス様に絡んだ事は口が裂けても言えねェな…と思いながら「ああ…」と気だるそうに返した。
……パーティーか…きっとスゲェ、ご馳走が出るんだろうな。
パーティーがどんなものか知らないバルバールは、頭の中で想像を膨らませる。
たらふく食える飯に、溺れるほどの酒。美女……
そこでルミナスの姿が頭を過ったバルバールは、首を大きく左右に振って、ボサボサの髪が更に乱れる。
隣を歩いていたリグレットが、どうかしたのかい? と話しかけてきたのを、なんでもねェ! とバルバールは舌打ち混じりに返した。
「私は馬で街路を見回りするから、君は路地を頼むよ。まだ外に出ている人がいたら、すぐに家に入るよう伝えるんだ。」
「……って、そりゃぁ…いつまでやりゃあいいんだ?」
馬に跨ったリグレットを見上げながら質問すると、夜が明けるまでだよ。と答えられて、バルバールは、げんなりするような顔をした。
「そういやぁ…イアン王子に会ったけどよぉ…獣人は別に怖くなかったぜ? 」
湖でイアンに取り押さえられたことや、酒場での件は言わずに、大したことなかったように胸を張ったバルバールは、ヘッと短く笑う。身体能力が高いのは間違いないが『野蛮 』という認識はバルバールのなかで薄れていた。
「……どれだけ取り繕ったところで、所詮は野蛮な獣に変わりはないさ。」
冷たい声のリグレットは、茜色の瞳がドス黒く沈んでいるようだ。獣人の話題になると目の色を変えるリグレットの姿に、バルバールはゴクリと喉を鳴らす。
「…こんなこと言うと、不敬罪で私は捕まってしまうね。今の言葉は聞かなかったことにしてほしい。……私が出会った隊長と呼ばれていた女が、例外だったと信じたいが……」
沈んだ声で言葉を続けたリグレットは、握りしめていた手綱から片手を離して、そっと眼帯に触れる。
……やっぱ、目は獣人にやられたモンだったのか?
バルバールは暗い表情のリグレットを見ながら、数年前の出来事を思い出す。グラウス王国に向かったリグレットが護衛として付いて行った商会長が亡くなり、久しぶりにバルバールが姿を見たときは、眼帯を付けていた。誰にやられたか聞いても傷についてリグレッの口から語られなかったが、獣人の恐ろしさを周囲に語り続けていた。
「……バルバール、日が沈んだら松明を持って歩くように。君が不審者と間違われてしまうよ。」
リグレットはそれだけ告げると、馬を走らせる。
酒場の親父ン所で火をもらうかぁ…と考えながらバルバールが歩き出そうとすると、後ろから呼び止める声が耳に入った。
「バルバール兄さん…これ、持ってって下さい。」
息を切らしながら駆け寄ってきたリリィは、酒瓶とパンが入った袋をバルバールに手渡す。
「あンがとよ。リリィは気がきくなァ。」
ポンと軽く頭を撫でると、日焼けした頰が僅かに赤らめたリリィは照れたような笑みを浮かべた。
……ハァ…金が貰えるンだ。文句は言えねェが……路地って、どんだけあると思ってンだよ……
平民街には入り組んだ路地が無数にあり、全てを見て回っていたら、あっという間に朝になるだろう。
リグレットとは違って、馬がないバルバールは徒歩で見回るしかない。
孤児院を後にしたバルバールは、袋の紐を肩にかけながら、路地を歩く。
…………………
……………
………
日が沈み、バルバールは松明の火を明かりにしながら路地を歩き続けていた。辺りはシンと静まり返っていて、自分の足音や息遣いが耳に付く。
路地を歩いてる途中で何度か兵士と出くわす事があったが、何事もなく、互いに軽く挨拶を交わして見回りを続ける。
流石に土地勘のあるバルバールでも暗闇の中、同じような道をひたすら歩き続けていると、自分が今どこにいるか把握できずに街路に出て、現在位置を確認した。
……? 人がいねェな……
兵士の1人でもいると思っていたが、辺りには火の明かりが全く見えなかった。周りを見回したバルバールが違和感に気づいて目を凝らしてみると、建物が密集してよく見えないが、空に煙が上がっている。
……火事か?
今いる場所から離れていることと、兵士や騎士が見回っているのだから自分が駆けつけても意味ないだろうと思ったバルバールは、別の路地に足を踏み入れて、再び歩き続け……
コツコツと石畳の上を走る軽快な音が耳に入り、バルバールは怪訝に思いながら顔を横に向けた。
「ちょ…どいてくださいっ!」
暗がりのなか、路地から勢いよく走ってきた女性が現れて、ギョッとしたバルバールは避けきれず、胸にドン! と強い衝撃を受ける。
女性に押し潰されるように地面に倒れると、手に持っていた松明の落ちた音が響き渡った。
次話に続きます。




