ルミナスは、安堵の息を漏らす
「……その手を、切り刻むぞ……」
イアンの声は硬く、怒りを含んでいた。
乱暴な手つきでフードを下ろすと、剣の柄を握りしめて殺気立った顔をしている。
私に向けられたものでないと分かっていても…ビリビリと緊迫した空気を感じた私は、手足が小刻みに震えた。シン…と静まり返った店内は、椅子に座る男達の荒い呼吸音だけが耳に入り、かすかに震えていたバルバールの手が、ゆっくりと私から離れる。
「………っ……い、イアン、落ち着いて。その…ふざけてた…だけだから。バルバールは私に危害を加えたりしないよ。」
ハラハラしながら私がイアンに話しかけると、バルバールに向けていた鋭い目つきを少し緩めて、柄から手を離す。その姿を見た私はトレーを両手で持ちながら、ほっと安堵の息を漏らした。
……と、扉が壊れてる……。
木製の扉はヒビが入って床に倒れていて、木の破片が散らばっていた。直さなきゃ…と冷静に考えながら店主にチラリと視線を向けると、椅子に座っている店主は口を開いたまま呆然としている。
……あれ? 他にも誰かいる……?
イアンの後ろに深緑色のマントを羽織り、フードを被っている人が、3人いた。
「……すぐ、戻ってくれば良かった…」
イアンが髪をくしゃりと掴み、苛立つような顔をしながらポツリと零す。私に向かって歩いてきたイアンの足下からは壊れた扉の嫌な音が鳴り、後ろにいる3人も続けて店内に入ってきた。
ギシ…ときしむ音がして視線を移すと、バルバールはゴクゴクと喉を鳴らしながらエールを飲んでいる。
「リヒト様…他の男に触れさせないで下さいよ…。」
私の側にきたイアンが、影に向かって話しかけた。
【…楽しんでるルミナスの邪魔をしたくなった。】と指輪から返されて、イアンは言葉に詰まるかのように口を結ぶ。
「親父ィーー! エールお代わり!」
ダン!と空のジョッキをテーブルの上にバルバールが置く。どことなくイライラしてるように見えた。
「あ…ああ、分かった…」
店主が弱々しい声で返して、椅子の背もたれに掴まりながら立ち上がり、接客を中途半端にやめたくなかった私は、すかさずテーブルから空のジョッキを手に取った。
「皆さん、お騒がせしてすみません。すぐに食事をお持ちしますから、もう少々お待ち下さい。」
席に座っている男達を見回しながらニッコリ微笑みかけると、強張った表情をしていた男達の顔がだらしなく緩み、バルバールはガツガツと食事を始めて、人参を口に掻き込んでいる。
「イアン、カウンター席に座って。後ろの人達も……あとで話そう。」
近くに来たことで顔が見えた。フードを被っていても、その整った顔と瞳の色ですぐに分かる。
口を固く結んでいるアンジェロ王子と、グラース騎士団長…そして私と目が合うと、シルフォード王子は苦笑いを浮かべた。
……護衛は不要と言ったのに…
騎士団長はキョロキョロと店内を見回していて、警戒しているようだった。店主や男達がアンジェロ王子達の素性を知ったら、せっかく和やかになった店内の雰囲気が変わってしまうと思った私は、この場で話をするのはやめておいた。アンジェロ王子達はフードを被ったままだし、お忍びで来ているのだろう。
「あ、あの…ルミナス様…」
「いいから、いいから、気にしないで。」
オロオロしている店主には再び椅子に座ってもらい、私は壊れた扉を魔法で元の状態に戻して、カウンターに歩み寄る。
「……ごめん…。」
カウンター席に座ったイアンが、気まずそうにしながら謝ってきた。扉を壊したことを気にしているのだろうか…。さっきは私が何かされると勘違いして、怒りを露わにしていたようだし、大丈夫だけど……
「ん〜…それじゃあ、罰として耳を後でた〜っぷりと触らしてもらうね。」
冗談っぽい口調で言って、ふふっと軽く笑う。
するとイアンは……え? と声を漏らして、顔を赤くした。
奥の厨房に行くとマナが心配げな顔で立っていた。
「ごめんなさい。助けたほうが良かったですか?」
「大丈夫だよ。」
明るい声で言って私がマナの肩をポンポン叩くと、マナは安心したように笑みを浮かべた。
料理が冷めてしまう前に運ぼうと思った私は、トレーよりも使用人が使っているカートの方が一気に運べると気づいて、魔法でカートを作ると厨房とテーブルを往復した。カウンターを通り過ぎる時に、アンジェロ王子が何か言いげにしていたけど、気にせずに私は接客を続ける。
「ごゆっくりどうぞ〜。」
「マナの作った料理は、とっても美味しいですよ。」
運ぶ度にスマイルで男達に話しかけていると、スープや肉料理に手をつけた男達は「うめぇ!」「 親父の料理は味が濃いからなぁー」と料理の話題になり、ハハハと笑い声が上がって談笑し始める。
「ルミナス様に、給士をさせるなど…」
席についてる男達と店主に配り終えて一息ついた私がカウンターに来ると、アンジェロ王子が眉尻を下げて私を心配そうに見つめていた。イアンから経緯は聞いているのかな…と思ってアンジェロ王子の隣に視線を移すと、私と目が合ったイアンは口を開く。
「馬車に戻った時に、建物の陰からこちらの様子を伺っているアンジェロ王子達を見つけたんだ。木兎亭の名を使用人から聞いて、心配で来たそうだ。」
そういえば廊下を歩いていた時、後ろには侍女の人が付いて歩いていたし、見送りもしてくれていたから御者とのやりとりも聞いていたのかもしれない。
「湖で知り合った傭兵がこの酒場を利用していたから寄って、店主が腰を痛めたからマナとルミナスが手伝いをしていると伝えたら…付いて来た。」
言葉を続けたイアンの話に、私は相槌を打つ。
アルに関しては言ってないみたいだけど、別に嘘をついてるわけじゃない。それに結局、大した手がかりは無かったんだから、詳しく事情を説明しない方が良いだろう。
「ルミナス様〜…お代わり頼むわぁー…。」
バルバールは、何杯飲む気なんだ。店主が『タダ 』と言ったからか、遠慮なく飲んでいるような気がする。私がバルバールの側に歩み寄って空のジョッキを受け取ると、カウンター席に座るイアンが「バルバール! お前は自分でやれッ!」と苛立ちの含んだ声を上げた。
「イアン! 私は今手伝いしてるんだよ! バルバールは一応お客なんだから、やめて!」
ぷんと私が怒ると、バルバールがケラケラと笑い声を上げて、ピンと立っていたイアンの猫耳がしゅん…と垂れた。
「ご、ごめんね。言い過ぎたね…」
慌ててイアンの側に駆け寄った私が耳をさわさわと優しく触ると「別に…」と呟き、私と目を合わさないイアンは機嫌が直ったのか耳がピンと立った。
「ルミナス様…僕も喉が乾いちゃいました。」
えへへ…と照れたように笑うシルフォード王子に、私は自分達が使ってカウンターの隅に避けていたカップを洗浄魔法で綺麗にしてから、水を満たして4人に提供する。シルフォード王子はニコニコと、嬉しそうに飲んでくれた。
カートにいくつもエール入りのジョッキを載せてバルバールのいるテーブルの側に置いておく。飲むペースが早いからキリがないと思ってセルフにした私は、店主に一声かけて、食事をすることにした。
肉料理はもうないけど、スープとパンが残っていたからカウンター席に持ってくる。リヒト様に声をかけると、厨房に影移動して外に出たリヒト様は、マナから食事をもらって既に食べたそうだ。アンジェロ王子達も食べたいと言ったので、カウンター席で並んで一緒に食事をした。食後に私はエールを初めて飲んでみたけど、麦の香りがして苦味の薄いエールは、飲みやすくて美味しかった。濃厚でお腹に膨れそうなエールは、空きっ腹の時に良い飲み物かもしれない。
「ルミナス様、城では湯の用意をしておりました。妹達は支度を始めている頃でしょう。」
アンジェロ王子の話に、私はキョトンとする。
……え? もう支度をするの?
随分と早い気がするけど、湯浴みをしてから髪を結ったり化粧を施したり……思い返せば以前は支度に相当時間をかけていた気がする。
「……城に戻ろう。」
食べ終えた食器類を店内にいる人たちの分も含めて厨房に下げて、洗浄魔法で一気に綺麗にして片付けた私とマナは、エプロンを外して店主の側に歩み寄る。
「腰は大丈夫かしら?」
「は、はい…ありがとう、ございました。」
頭を下げてくる店主にエプロンを手渡すと、ギュっとエプロンを握りしめた店主は、感慨深い顔をしていた。
「そういえば、エプロンは2つあったけれど、もう1人厨房に立つ人がいるのかしら?」
「……あ〜…はい。以前は、亡くなった妻が厨房に立ってたんです。」
無神経なことを聞いてしまったと、申し訳なく思って私が謝ると、大分前のことですから気にせんで下さい。と言って、店主はエプロンを見つめていた。
厨房に並んでかけてあったのだから、亡くなった奥さんとの思い出が詰まっているのだろう…と私が思っていると……
「親父ィ! しみったれた顔してねェーで、なんか作ってくれや!」
とことん食べるからなァ! と声を張り上げるバルバールを、私はジト目で見る。周りの男達も便乗して、こっちも頼むわ! と声を上げてギャハハと笑い声が店内に響いた。
「〜〜〜ってめぇら、うるせぇぞ! ルミナス様とイアン王子の前で、下品な笑い声あげんなッ!」
立ち上がって言い返した店主の顔は、どことなく生き生きしているように見えて、私はフッと笑みが零れる。
マントを羽織ってフードを被ると、店から出る前に再び店主に声をかける。食事をしたのだから、イアンに代金を払ってもらおうと思ったけれど、店主が代金を受け取ることを頑なに拒んで、素性を知らない筈のアンジェロ王子達の分まで連れだという理由でタダにしてくれた。
「おっ! 白き乙女のお帰りだァ〜〜! 二度とこんなむさ苦しいトコに来ンじゃねぇ〜ぞ!」
「オイ! 誰かバルバールの口を塞げっ!!」
ジョッキを掲げてギシギシと椅子に寄りかかるバルバールは、酔っているのか顔が赤いように見える。店主が焦ったように声を上げて、同じ席に座る男達がバルバールの口を塞ごうと動き出していた。
カートに載せていたジョッキは、殆ど空になっている。
シルフォード王子がクスクスとバルバールを見ながら笑っていて、酔っ払いほどタチが悪いと思った私は、そそくさと店から外に出た。
扉を閉めた店内からは騒ぐ声が聞こえてきて、路地の奥からは、子どもの笑い声がかすかに聞こえた。私1人だと迷ってしまいそうな路地は、この辺りに住んでいる人達にとっては、庭みたいなものかもしれない。
イアンを先頭に来た道を戻ると、私たちの乗ってきた馬車の近くには、アンジェロ王子達の乗ってきた馬車も停まっていた。
それぞれ馬車に乗り込むと、馬車は城に向かって進み出した。
次話 別視点になります。




