ルミナスは、気が抜ける
「……も、申し訳ございません。兄上は、その…甘いものが好きで……軟禁状態になってから外部との接触と、菓子を口にすることも禁止されているのですが…まさか、あのようになるとは…思いませんでした。」
アンジェロ王子は扉に視線を向けると、パチパチと瞬きを繰り返し、先程見た光景が信じられない様子だった。騎士団長も呆然としていて、なんだ今のは…とイアンの呟く声が隣から聞こえてくる。コルテーゼ王子は私が持っていた、籠から漂ってきた久しぶりの菓子の匂いに、理性が吹っ飛んだのだろう。
……本当に好きなんだろうなぁ……
シルフォード王子から受け取った時に、中身を見てなかったし、アップルパイしか食べたことが無いから匂いだけでは何か分からなかった。ナプキンで包まれている菓子を見ると、取り分けできるようにカットされたパイが入ってる。
ビックリしたけど……改めて室内に入ろうと思った私は騎士に扉を開けてもらうことにする。
侍女に籠を預けて廊下で待っててもらい、室内には私とイアン、マナ、アンジェロ王子と騎士団長が部屋に入ると、正面には跪いている男性の姿が目についた。
「…お初にお目にかかります。コルテーゼ・フウ・ニルジールと申します。先程は……お見苦しい姿を晒してしまい、大変失礼致しました。」
興奮は収まったようで、落ち着いた口調で挨拶を述べたコルテーゼ王子は、鮮やかな金色の髪をオールバックにしていて、跪いたまま深々と頭を下げている。
「イアン・フェイ・グラウスです。…ルミナスが貴方に会ってみたいと言うから来ましたが……」
ルミナスに何かしたら、腕を切り落とす。と忠告のような言葉を淡々と告げたイアンは、ジルニアと結託した疑いのかかっているコルテーゼ王子に対して警戒しているのだろう。私も部屋に来るまでは一応警戒もしていたつもりだけど……先程のインパクトが強くて、なんだか気が抜けてしまった。
「…頭を上げて下さい。」
私の言葉にゆっくりと頭を上げたコルテーゼ王子は、白いブラウスに首元には短いフリルが付いていて、仕立ての良いズボンを履いている。
……まつ毛濃いなぁ…正妃様も色っぽかったけど、コルテーゼ王子は母親似なんだ……。
ソファに座りましょう。と言って立ち上がるように促すと、立ち上がったコルテーゼ王子はアンジェロ王子よりも背が高く、がっしりとした体格をしていた。
イアンがさりげなく私の前に出ているけど、眉尻を下げて悲しげな表情をしているコルテーゼ王子は、悪巧みを考えるような人には見えなかった。
私の両隣にイアンとマナが座って、正面にアンジェロ王子とコルテーゼ王子が腰を下ろす。騎士団長は、私たちのソファの後ろに立った。
「ルミナス様が特別な方だと、陛下から聞き及んでおります。わたしの現状を知っておいででしょうが……皆様にお会い出来て、誠に光栄に存じます。」
丁寧な口調で話したコルテーゼ王子が、再び私たちに向かって頭を下げてくる。
「…ええ、アンジェロ王子から話を聞いてますわ。アンジェロ王子、コルテーゼ王子はいつから部屋に軟禁状態ですの?」
「サンカレアス王国から知らせが届いて、すぐに陛下が部屋に…コメルサン商会の前会長達が殺された日から…ですね。」
私の質問に答えてくれたアンジェロ王子は、チラリと横に視線を流す。隣に座っているコルテーゼ王子のことを気にしているようだった。どことなく、2人の間に気まずい空気が漂っているように感じた私は軽く息を吐く。
「喉が渇きましたわ。お茶にしましょう。」
にっこりと私が微笑むと、アンジェロ王子とコルテーゼ王子はキョトンとした顔をした。すぐに騎士団長が扉に歩み寄り、廊下にいる侍女に声をかける。私も扉に歩み寄って、パイを食べたいからコルテーゼ王子も含めた、室内にいる人数分の食器も頼んだ。
少しして室内に入ってきた使用人達が飲み物と、小皿に載せたパイとフォークをテーブルの上に置いていく。
「どうぞ、召し上がって下さい。」
「……っ……い、いえ……わたしは、陛下から菓子を禁じられておりますので……。」
コルテーゼ王子はゴクッと唾を飲んで、まじまじとパイを見ていたけれど…邪念を払うかのように首を大きく左右に振った。
「あら…わたくしが、せっかく、コルテーゼ王子の分も用意してもらいましたのに…」
言葉を強調しながら話した私は頰に手を当てて、はぁ〜…と深く息を吐く。するとアンジェロ王子が「兄上、ルミナス様のご厚意を無下にしてはなりません。」と真剣な表情でコルテーゼ王子に訴えかけた。
カチャカチャと私の両隣では、既にマナとイアンがパイに手をつけていて、美味しいです〜。とマナの明るい声が室内に響く。
「騎士団長も、座って一緒に食べましょう。」
振り向いて立ったままの騎士団長に話しかけると、しかし…と口籠る騎士団長は躊躇している様子だったけど、私の言葉には逆らえないようで半ば無理矢理にアンジェロ王子の隣に座らせた。
イアンとマナが食べ進めているなか、私もフォークを手に取り一口の大きさにして初のチェリーパイを食べてみる。パイのサクッとした食感とチェリーの甘酸っぱさが口の中に広がって、とても美味しい。
紅茶を飲んで一息つくと「……ぅ…っ……」押し殺したような声が耳に入って、私はテーブルに向けていた目線を上げる。
「………っ…美味い……」
ぽつりと声を漏らしたコルテーゼ王子は感激しているのか、小刻みに震える手で皿とフォークを持ったまま、金色の瞳から涙がはらはらと頬を伝っていた。その涙を拭うことなく、綺麗な所作でパイを一口一口ゆっくりと、味を噛みしめるように食べている。
この人が隠し事をしていたら、どんな拷問よりも菓子を出した方が口を割りそうだ。
「…チェリーパイが…よほどお好きなのですね。」
「…はい。パイだけでなく、菓子はわたしの生きがいでございます。」
明るい声で返したコルテーゼ王子は、子供のように無邪気な笑顔を見せる。その隣ではアンジェロ王子がズボンのポケットから出したハンカチを差し出した。
「すまない…アンジェロ。」
コルテーゼ王子はパイを完食した皿を見つめながら名残惜しそうにテーブルの上に戻すと、ハンカチを受け取り目元に当てる。
「…兄上は、コメルサン商会の立ち上げ前は、菓子類を扱う商会と懇意にしていたのです。けれど…ジルニアから話を持ちかけられて、三国の流通が良くなるようにと…」
このような事態になるとは…夢にも思いませんでした。と言ってアンジェロ王子は緑色の目を伏せて、暗い表情をしている。
「アンジェロ。わたしのサインした許可証が、良からぬ輩に使われたのは事実なのだ。わたしは責任を取らなければならない。」
ハンカチを返すコルテーゼ王子は、どこか覚悟を決めたような表情をしていた。
王都内に潜伏していた輩は許可証があったから、すんなり門を通って中に入れたのだろう。コメルサン商会は宝石を扱っていたから、王都には顧客となっていた貴族もいただろうし、私だってその1人だった。数ヶ月前の争いが起こるまで、誰もがジルニアを次期王として相応しい人物として見ていたなら、コルテーゼ王子だって信用していた筈だ。
……コルテーゼ王子は、ただ利用されただけかもしれない……
コメルサン商会の前会長達が殺された日から軟禁されているなら、騎士に見張られているなか外部との接触が出来ないし、酒場の店主を通してアルに依頼をした人物は別だろう。
「…真相を確かめるなら、アルを捕まえて吐かせるのが一番手っ取り早いな。」
独り言のような呟きが隣から聞こえて顔を横に向けると、イアンは腕を前で組みながら難しい顔をしていた。
「アンジェロ王子、兄弟で積もる話もあるでしょうから…わたくしは席を外しますわ。」
マナ、イアン、行きましょう。と言って私は立ち上がる。アンジェロ王子と騎士団長の2人が慌てた様子で立ち上がる姿が視界に入った。
「少し…街中を見て来るわね。」
「それでしたら、護衛を」
「あら、わたくしに護衛は不要でしょう?」
騎士団長の言葉を遮り、私は自身の足下の影を指差しながら、ふふっと軽く笑う。体を強張らせた騎士団長は執務室でリヒト様が口にしたことを思い出したようで、かしこまりました…と言って、頭を下げてきた。
「コルテーゼ王子…わたくしもお菓子が大好きよ。機会があれば、また一緒にお茶をしたいわ。」
ニコリと私が微笑むと、コルテーゼ王子は嬉しそうに顔を綻ばせた。
アンジェロ王子と騎士団長を残して部屋を退室した私たちは、廊下に控えていた使用人に馬車の用意を頼む。門で出迎えてくれた時のような馬車ではなく、普通の馬車をお願いした。あの馬車だと目立ちすぎる。一度部屋に戻り、それぞれマントを羽織ると城の出入り口に向かって足を進めた。
「ルミナス…街中を見ると言っていたが、もしかして……」
隣を歩きながら話しかけてきたイアンは、私の考えを察しているようだった。
「木兎亭に行こう。」
イアンは力強く頷いて「私はどこでも付いてきますよ〜。」とマナは笑顔で返してくれる。
晴れやかな空の下、使用人たちに見送られながら、私たちは御者に行き先を告げて馬車に乗り込み、緩やかなスピードで馬車は進み出した。




