眠りにつく者達
ルミナスと会話しながら歩いたシルフォードは、客室に着くと挨拶を交わしてルミナスと別れ、回廊を通り再び廊下を歩く。
「……母上の部屋に行く…」
シルフォードが侍女と護衛に向かって振り返らずに告げると、侍女達は側妃の部屋へと向かって黙々と歩くシルフォードの後に付いて歩いた。
蝋燭の明かりがベッドの近くにだけ灯されている室内に足を踏み入れたシルフォードは、その明かりに導かれるように、ベッドに横になっている最愛の母の側に歩み寄る。
「母上…」
「……あら、シルフォード。今日も来てくれたのね。」
嬉しいわ…と弱々しい声で、うっすらと緑色の目を開けている側妃のナターシャは、侍女の手を借りながらゆっくりと上半身を起こす。お腹を優しくさすりながら軽く息を吐くナターシャは臨月であり、いつ産まれてもおかしくない状態であった。シルフォードはベッドの側に置かれた椅子に腰を下ろすと、憂いを帯びた瞳でナターシャを見つめる。
「体調はいかがですか?」
「…ふふっ…シルフォードは、心配性ね…大丈夫よ。」
ナターシャは、自分を想ってくれている息子に心の中で嬉しく思いながら、薄く笑みを浮かべる。
側でなければ聞き取れないほどの力の無い声量に、ほっそりとした手足。おでこを出していて長い緑色の髪を後ろに流している儚げな雰囲気のあるナターシャは、18歳の時にハウベルト王の元へと嫁いだ国内の貴族令嬢だった。出産の経験を幾度も乗り越えてきたナターシャは、今回も大丈夫、大丈夫と口癖のような言葉を繰り返して、周りを安心させるように明るく振る舞う。
「そういえば…鐘の音を聴いたわ。ルミナス様方がいらしたのよね。シルフォードは言葉を交わした?」
「はい。母上にも他国のことを教えたくて、ルミナス様と沢山お話しをさせてもらいました。」
シルフォードの言葉にナターシャは、嬉しそうに顔を綻ばせた。
ナターシャは、リゼが現れた時は身重な為に執務室に呼びつけられなかったが、落ち着いた頃にハウベルト王から全てを聞いている。そしてシルフォードはナターシャの部屋に訪れる度に、耳にした噂話や出来事を話しており、好奇心旺盛なナターシャは、シルフォードの話に、いつも心を躍らせながら耳を傾けていた。
「ルミナス様が、火と水の塊を自在に操ってる姿を見ました。こうして頭上で動かしていたのですよ。」
ルミナスの真似をして、シルフォードが人差し指を立てて、くるくると指を回しながら話す。
他にもイアンが部屋に入る前から足音を耳で捉えたこと。グラウス王国では皆が互いに助け合って生活していること。獣人は身体能力が高く、マナとイアンは猫獣人で、グラウス王国には他に兎や犬…様々な種類の動物の外見を併せもつ種族であること。
シルフォードの話に、ナターシャは相槌を打ちながら、口元をほのかに綻ばせた。
「…シルフォード王子…。」
控えていた侍女が控えめに声をかけてきて、シルフォードはナターシャのお腹に、そっとキスを落とす。
これから産まれる妹か弟に会える日を楽しみに思いながら、慈しむような笑みを浮かべる。
「おやすみ、シルフォード…良い夢を…」
「おやすみなさい。また明日来ますね。」
侍女の手を借りながら枕に頭を沈めるナターシャを見て、シルフォードは扉に向かって歩き出す。ありがとう…かすかに聞こえたナターシャの声を耳に入れながら………
……………
…………
ナターシャの部屋を出た後、お風呂に入り寝間着に着替えて自室のソファに座りながら本を読んでいたシルフォードの元へ、ディナーを終えたアンジェロが訪ねてきた。
「……母上のところに行ったのかな?」
アンジェロからの質問に、シルフォードは手に持っていた本を閉じながら…はい。と静かな声で返す。
アンジェロはシルフォードの隣に腰を下ろすと、俯いているシルフォードの頭を軽く撫でて「……メイシャの時も、母上は大丈夫だったから…」と優しい口調で話しかけた。体力の落ちているナターシャが、出産を無事に乗り越えられるかシルフォードは心配だった。医師から医学書を借りて読んでも、出産は成り行き任せで今の段階で出来ることが何も無いと知ったシルフォードは、毎日ナターシャの元に通って話をすることしか思いつかなかった。
「アンジェロ兄様は…本当はディナーに行かずに、僕みたいにルミナス様と話したかったでしょう?」
話題を切り替えたシルフォードに、アンジェロはルミナスの姿を頭に思い浮かべると、頰を僅かに赤らめて身じろぎする。その姿を見たシルフォードは、いたずらが成功した子供のようにクスクスと笑み、ムッとしたアンジェロはシルフォードの頭を掴んで柔らかな髪をぐしゃぐしゃに乱した。
「〜〜〜っ全く…! 今日はシルフォードのせいで私は何度も冷や汗をかいたんだぞ。ルミナス様が寛大な方だったから良かったが…。」
シルフォードはアンジェロの手を払いのけて、「父上だけでなく、アンジェロ兄様も気を使い過ぎですよ。」とため息混じりに返すと言葉を続ける。
「廊下でルミナス様と話しましたけど…リリアンヌ姉様とメイシャと友達になれたと喜んでいましたし、使用人達に対しても横柄な態度を取ることなく、お菓子がとても美味しかった…と作った人に伝えてほしいと言っていました。」
アンジェロは、ソファの背もたれに寄りかかると…ルミナス様は、お優しい方だな…と呟くような声を漏らす。ディナーの席でもリリアンヌとメイシャの2人は、マナと仲睦まじく会話に花を咲かせていた。ルミナスと友達になったと知らなかったアンジェロは、リリアンヌとメイシャは凄いな…と感心する。
それに比べて自分は…と考えて前髪をかきあげたアンジェロは、ため息を吐いた。
『…アンジェロ王子は…剣の腕はどうなんだ?』
ディナーの席で、イアンがアンジェロに質問していた。護身用に剣を教わっているが、自分など大したことないと思っているアンジェロが、そうイアンにも答えると、そうか…。とだけ返されて、残念そうな顔をされた事をアンジェロは内心気にしていた。
イアンとしては、手合わせ出来ないかと思って質問したのだが、他国の王子に怪我を負わせるわけにいかないと思ってそれ以上話さなかっただけである。
ハウベルト王は終始リヒトを前にして緊張から食事の手があまり進まず、胃痛を堪えて強張った表情をしていて、スティカは一言も喋らずに食事を済ませて、時々ぼーっと自分の手を見つめていた。
女性たちが着実に交友を深めるなか、男性たちは不甲斐ないばかりである。
……兄上なら剣の腕が立つし、イアン王子と……
アンジェロはそこまで考えて、室内から出ることが許されていない兄上に、他国からきた大切な客人と接触などもってのほかであり、陛下に反対されるに違いない…と考えを改める。
「…アンジェロ兄様…」
シルフォードが遠慮がちに声をかけてきて顔を横に向けたアンジェロは「その…」と言葉を濁して、もじもじしているシルフォードの姿を見て、首をかしげる。
「……コルテーゼ兄様のこと…すみませんでした。」
シルフォードは、アンジェロとコルテーゼが仲の良いことを知っている。あの時は表面上は冷静にしていたシルフォードだったが、自分の憶測でアンジェロ兄様の心を傷つけたのでは…と内心気になっていた。
シルフォードが謝った理由が、ルミナス達の前で話をしていた時のことだと察したアンジェロは、フッと笑みを漏らすとシルフォードの肩を軽く叩く。
「私も…あの時は声を荒げてすまなかった。」
柔らかな口調で話したアンジェロに、シルフォードは安堵したような笑みを浮かべた。
「……コルテーゼ兄様の件はまだ公に知られていませんが…明日のパーティーに欠席するのですから、貴族達の中には疑念を抱く者達がいる筈です。」
真剣な表情になったシルフォードに、アンジェロは、分かってる…と言ってシルフォードの頭に手を伸ばすと、先ほどとは違って乱れた髪を整えるかのように優しげな手つきで頭を撫でる。
一夫多妻のニルジール王国では、正妃の子が王位継承権の順位が上であり、アンジェロの継承順位は三位である。今まではコルテーゼが次期王と誰もが思っていたが、もしもコルテーゼが継承権を剥奪されれば、第一王位継承者はスティカとなる。
人付き合いが苦手で内向的なスティカを知る者からしたら、アンジェロに目を向ける者が多くなり、ハウベルト王もこの件には頭を悩ませていた。
「…ルミナス様は、明日のパーティーを楽しみにした。私は貴族達の相手をしなければいけない。父上達もいるから大丈夫だと思うが…シルフォードも目を配っていてくれ。」
アンジェロがシルフォードの両肩に手を乗せると、シルフォードは、もちろんです。と言って微笑む。
まだ子どもだから、出来ないことがある。
子どもだからこそ、出来ることがある。
シルフォードは自分自身を客観的にみて、出来ることには精一杯手を伸ばすつもりでいた。
アンジェロは、そっとシルフォードの肩から手を離すと立ち上がる。
「おやすみ、シルフォード。良い夢を…」
「おやすみなさい。アンジェロ兄様も良い夢を。」
母のナターシャが、寝る時に口にする言葉を互いに言ってアンジェロは部屋を出ると、アンジェロとシルフォードは、自室のベッドで眠りについた。
次話 ルミナス視点になります。




