笑みを零す者
「ルミナス様は、俺を殺す気なのかァ…?」
「……これで人を殺せるわけないでしょう。」
腕を組みながら、頰を引きつらせているバルバールに、貴方のじゃないわよ。と呆れたような口調で言ったルミナスは、両手に持っていた籠を差し出した。
籠の中には新鮮とれたての人参が沢山入っている。
バルバールの側では木に繋げられている二頭の馬達が、人参を要求するかのように短く鼻を鳴らしていた。人参は全てルミナスが魔法で作り出したものだ。朝食を終えて、それぞれが出立しようと準備を始め、バルバールは木に繋げられている馬の方へと来ていた。そこにルミナスが来て、今バルバールと向かい合っている。
バルバールは眉間に皺を寄せながら籠を受け取り、
「食べたかったら、別に貴方が食べても良いわよ。」ルミナスは笑顔で言うと、振り向いて近くで見守っていたイアンの側に駆け寄った。
バルバールは溜息を吐きながら、ルミナスとイアンが離れていく姿を暫し見たあと、目線を手元に移して人参を1つ手に取る。
……馬にやるのは、勿体ねェな。
黒ずんでいなく傷一つない、みずみずしい人参は嫌いであっても美味しそうに見える………
が、バルバールは食べるという選択をせず、鼻を鳴らし続ける馬たちの口に運んで食べさせてあげる。
……変な女だなァ……。
言葉遣いの悪いバルバールだが、内心そう思っていても流石に口には出さない。バルバールは馬が人参をボリボリとかじる音を聞きながら、ぼんやりする。
今回久しぶりの護衛依頼を受けたバルバールだったが、新米の傭兵も一緒だった。しかもその新人は商人の知り合いの息子で…ようするにコネで仕事を得た。それは別に構わない。仕事を得る手段は人それぞれだとバルバールは割り切っている。
バルバールは傭兵達の中ではベテランの方で、今回の仕事は流石に新人1人だけでは頼りないと考えた商人の依頼が回ってきたものだった。
しかし…移動中の商人への態度が明らかに新人とバルバールを差別した為、バルバールは苛立っていた。
いつもなら気にする事もなく淡々と仕事をこなすが、アルの件があってからバルバールは、些細なことでも苛立ちを感じるようになっていた。
人参を馬に食べさせ終えて、まだ籠に残っているのを見て僅かに顔をしかめるバルバールの耳に、草の上を歩く足音が耳に入って顔を横に向ける。
「…なんだァ? なんか、用かよ…。」
二頭の馬を引きながら歩み寄ってきたフィーユの姿に、怪訝に思いながらバルバールは話しかけた。
「…タクトは、貴方に怒鳴られてから落ち込んでいるようでした。余計なお節介かもしれないですが、謝罪した方がいいと思います。」
舌打ちしたバルバールは、気が向いたらなァ…と素っ気なく返す。その態度にムッとした表情をするフィーユは、深呼吸して気持ちを落ち着かせた。
ここで自分が声を荒げれば、昨日と何も変わらないと思ったためだ。
「昨日は…女のくせに…と言われて、私も冷静さを欠いてましたが…剣の実力はあると、認めてくれましたか?」
真剣な表情で尋ねるフィーユに対して、バルバールはハァ…と溜息を吐く。そういやぁ…そんなこと言ったっけなァ…と思っていた。昨日あったフィーユとのやりとりは、すっかり頭から抜け落ちていたのである。
それほどに、その後出会ったルミナスの存在が、バルバールにとって強烈なものであったからだ。
「あ〜〜っ…そうだな。俺なんかより、よっぽどテメェの方が強いと思うゼ。」
認める、認める。と軽い口調で返すバルバールに、フィーユは眉を釣り上げる。まるで心がこもっていない、うわべだけの言葉に聞こえたためだ。
しかし、バルバールは剣の強さにこだわりをもっていないだけだった。もとより自分が強いと思っているわけでなく、騎士のような誇りもバルバールには持ち合わせていないのだから。
「…なぁ、フィーユ…? だったか? 名前…」
不意に名前を呼ばれたフィーユは、手綱を握る手に僅かに力が入り「そうですけど…。」と、内心動揺しながらも返す。
「リグレットは…今までずっと、アジールさんの側で仕事をしてたんだ。 昨日、新しい護衛だとアジールさんに紹介されてるお前に……つい、カッとなっちまったがよォ…」
リグレットに、まさか…何かあったのか…?
目線を落としながら質問してきたバルバールに、フィーユは驚きに目を丸くする。バルバールが他の者を心配するような男とは、思っていなかったからだ。
「…確かに、私は傭兵になってまだ日は浅いですし、仕事も今回が初めてですが…リグレットさんの代わりに私が雇われた訳ではありません。」
今頃は王都を発って、私たちと合流すべく向かってきているところです。そうフィーユが答えると、バルバールは、「……は…? 」と間の抜けた声を漏らす。
暫しお互いに無言だったが、バルバールが突然肩を震わせながら、可笑しそうに笑い声を上げた。
「――――ッんだよ! 俺の早とちりかよ!!」
ホント馬鹿だなァ…俺。と自分を卑下するように独り言を零すバルバールの表情は、どこか安堵しているようにフィーユの目からは見えていた。
バルバールにとっては、返しきれないほどの恩をリグレットに抱いており、特に仲が良い間柄では無いが、頭が上がらない存在であった。
剣の腕も立ち、気さくで商人達からの信用を得ているリグレットに、少なからず尊敬を抱く傭兵もいる。なにより、定期的に仕事の依頼を受けている者は、傭兵達の間で一目置かれる存在であった。
そんな人物が、新人…しかも、女に仕事を奪われたと勘違いしたバルバールはフィーユに突っかかったのである。もともと苛立ちが募っていたバルバールに突然現れたフィーユの存在が、爆発の起爆剤になってしまったようなものだった。
はぁーーッ…と深く息を吐いて落ち着いたバルバールが、フィーユに視線を向ける。
「……その……まぢで、悪かった、なァ………」
ポツリポツリと呟くような声で謝罪の言葉を口にしたバルバールは、昨日ルミナスの前で謝罪した時は違い、心からの謝罪であった。
突然の謝罪に、フィーユは呆気に取られる。
不潔で、野蛮で、礼儀のなっていない最低な男だと思っていたバルバールの印象が、ほんの、ほんの僅かにだが…良くなっていた。
バルバールが頰をかきながら照れ隠しのように、ニィ…と笑う姿が、フィーユの目に輝いて見えるのは…きっとルミナスが魔法で全身を綺麗にしたからだろう。
「しゃ、謝罪なら、タクトに言って下さい! それと、言葉遣いを直した方が良いですよ! ルミナス様とイアン王子に対して失礼すぎます!!」
普通なら100回は貴方、死んでますから!!と声を上げたフィーユに対し「ハイ、ハイ。」と棒読み口調で、面倒くさそうにバルバールは返事を返した。
自分の言葉に本当に理解したのか怪しいバルバールに不満を感じながらも、フィーユはこれ以上話しても無駄だと言わんばかりに馬車の方に向かって歩き出す。
あくびを漏らしたバルバールは、木に繋げた手綱を解くと、馬を引きながら人参の入った籠を落とさないように、ゆっくりとした足取りで歩いた。
……………………
………………
…………
「……酒場の名前? ……んなの、知らねェよ。」
出立を前にして、御者台に座ったバルバールにイアンが近づき、酒場の名前を尋ねていた。どの辺にあるか最初に聞いたが、聞いても王都内のことを知らないイアンには、よく分からなかった。しかも王都内にはいくつも酒場があるという。すると隣に立つルミナスが名前は無いのかな…と呟く声が耳に入り、聞いていたのだった。
「うふふ…バルバールは知らないようだけど、ちゃ〜んと酒場には名前があるのよ。」
イアンとルミナスの後ろからアジールが歩み寄り、樽と剣の絵看板が吊り下げられている酒場 木兎亭の名前を教えてもらう。
もう俺は用無しだろうと思ったバルバールは、手綱を操り二頭立ての幌馬車をゆっくりと進めさせた。
「バルバールっ! また会いましょうね!」
後方からルミナスのよく通る声が、バルバールの耳に入る。まさか酒場に来るのか? あんな男臭い場所に…そう思いながら、手綱から片手を離したバルバールは、自分の使い古した物とは思えない胸当てに…そっと手を当てる。
貴族様と口をきくことなんて一生無いと思っていたバルバールにとって、今回のことは、驚きの連続であった。白き乙女の噂は当然知っている。
ルミナスの魔法にバルバールは最初は恐れを抱いていたが、それ以上にルミナスが言葉遣いを咎めるようなことをせず、感謝を述べてきた姿に、信じられない気持ちでいっぱいだった。
……俺みてェな、奴に……
ぎゅっと手綱を握りしめ、風を切りながら馬を走らせる。馬車内で商人と新人の傭兵が楽しく談笑する声が耳に入るが、少しも気にならなくなっていた。
……獣人ってのは、もっと恐ろしい化けモンかと思ってたが……
女の尻に敷かれた、ただの男じゃねェか。
そう思いながら、ルミナスの後を付いて歩くイアンの姿を頭に浮かべて、バルバールはヘッ…と小さく笑みを零した。
次話 ルミナス視点になります。




