ルミナスは、頭を捻らせる
「…年に一度は、わたくしお父様達に会いにシルベリア領に行くつもりよ。またエクレアに会える日を楽しみにしてるわ。」
私の言葉を聞いたエクレアは、「はい、わたくしも楽しみです。」と言って、嬉しそうな笑みを浮かべた。翌年にお兄様とエクレアは結婚するから、次に会う時はシルベリア領で、エクレアが暮らし始めている頃だろう。
「ピーターのいる庭園も、薔薇でいっぱいになりそうですね!」
マナが弾んだ声を上げて、ニコニコとエクレアに笑顔を向けている。お父様とお兄様の住む城が、エクレアの手によって華やかになっていくのを想像した私は、今から楽しみに思えて小さく笑った。
エクレアと別れの挨拶を交わして、私とマナは幌馬車の車内に乗り込む。グラウス王国を出立した時よりも荷物が増えてきた車内には、リヒト様が既に乗っていて、昨日応接室で見せてもらった木箱や、マドリアーヌ伯爵から受け取った数日分のパンや、保存食、ワインが積んである。
私とマナが乗ったのを確認した御者台に座るイアンが、ゆっくりと馬車を前へと進め始めた。
マドリアーヌ伯爵と伯爵夫人、エクレアとキャロル、使用人達が見送ってくれてる姿を見ながら、私たちは城を後にする。
……エクレアの家族は、みんな良い人達だったな…
是非またお越し下さい。と私たちに言っていた、伯爵の柔らかい表情を思い出す。
伯爵から聞いた話によると、マドリアーヌ領では毎年春に市内で花祭りをしているそうだ。
伯爵や家族もみんな参加して、薔薇以外にも色とりどりの花を沢山広場に集め、ニルジール王国から楽師を招いた盛大な祭りになるらしい。
夫人は石鹸が出来たらお届けしますと言ってくれたし、キャロルはお姉様をこれからもよろしくお願いしますと言って、私に向かって頭を下げてきた。
しっかりした妹のキャロルは、内気な性格の姉であるエクレアを、今まで心配に想っていたのかもしれない。ついキャロルが可愛くて私が頭を撫でると、真っ赤になって頰を膨らませていたけど……
門までの道なりは流石に来た時のように、花びらが降ることは無かった。けれどイアンに気づいた市民が、足を止めて大きく手を振ってくれている。
途中で広場であろう場所を通過して、城の周りだけでなく、広場にも木を多く残している光景を目にした。マドリアーヌ領は伯爵が薔薇好きだからか、自然と共に暮らしているような場所に思えた。
ふぁ〜…と不意にマナが、口に手を当てながら大きな欠伸を漏らす。昨夜はエクレアと話し込んで、夜更かししたそうだ。
「…わたしは影の中に入るから、横になると良い。」
リヒト様がマナの様子を見て、私の影の中に入っていった。「ありがとうございます〜。」マナが眠たそうな声で返して、私が座ってる前にゴロンと転がり、横になる。すーすー…と小さな寝息を立て始めたマナに、私はそっと布をかけてあげた。
……ニルジール王国は争いが200年間なかった、平和な国、なんだよね……。
馬車の振動が体に伝わりながら、私はこれから向かうニルジール王国のことを考える。
気になることは……いくつかある。
商会の会長達を殺したのが、暗殺者のアルだとしたら、それを依頼した人物は一体誰なのか。
盗賊たちが匿ってもらおうとした『客』が、ニルジール王国内のどこかに、今もいるのだろうか。
リバーシという名の商品を生み出したクレア。
会いたいとは思わないけど…ダイス会長から話を聞いてから、クレアの存在がチラチラと脳裏を過っていた。
馬車の振動が止まり、立ち上がって御者台の方に近づいて顔を出すと、どうやら門に差し掛かったようだった。フードを被っていないイアンに向かって、頭を下げている門番の姿が見える。
「ルミナス…隣に座るか?」
振り向いたイアンに向かって、私は首を横に振る。
「私の髪色は目立つみたいだし…王都に着くまでは、なるべく中にいるようにするよ。」
私が隣に座るのを断ったからか、少し肩を落としたように見えたイアンにそう返すと、「…そうだな。」と言って、イアンがマントのフードを猫耳を隠すようにして、頭に被った。獣人の自分も目立つと思ったからだろう。
再び馬車が動き出し、私は車内に腰を下ろして息をつく。昨日食事の席でマドリアーヌ伯爵に教えてもらったけど、ニルジール王国との国境は大きな川が流れていて、ここから馬車で半日ほどの距離だと聞いている。
……今夜は川の近くに小屋を作ろうかな……
私がボーっとしながら今夜寝る場所について考えていると、マナが上半身を起こして大きく伸びをした。
「もう着きましたかー?」
眠ってからそれほど経っていないけど、スッキリしたような表情のマナに、「……さっき門を抜けたばかりだよ。」と私は答えて、クスッと笑う。
マナは自分の体にかかっていた布を見ると、私に向かって笑顔でお礼を言ってきた。
リヒト様が影の中から、ぬっと顔だけ出してきて、もう良いのか? とマナに聞くと、もう大丈夫です! と明るい声で返して、リヒト様が影から出てきて車内に腰を下ろす。
馬車の前と後ろのカーテンは閉めずに、車内は風通しを良くしているけど、暑い日は私の風魔法で涼しくしていた。グラウス王国に帰る頃には、季節が変わって秋になる頃だろう。
途中で馬車を止めて休憩を挟みながら、私たちは国境を目指した。
「……ルミナス…どうする?」
イアンが顔を振り向かせながら小声で尋ねてきて、私は頭を捻らせる。
止まっている馬車の車内から顔を僅かに覗かせて外を見れば、空は茜色に染まり始めていて、大きな川には橋が架かっているのが見えた。
私たちは整備された道をずっと進んでここまで来て、今は橋を越えずに、道から少し離れた場所に馬車を止めている。2台ほどが通れる道の周りには木々が無く、馬車が止めれるように空いたスペースがあり、橋の向こう側も同じように空いたスペースがあるようだった。
こちら側にも、向こう側にも…私たちと同じように数台の幌馬車が止まっていて、ここで野宿をするみたいだ。
「ルミナス、誰かこっちに歩いてくる。」
イアンが囁いてきて、えっ?…と私が思ったのと同時に……
「どうかしたんっすかー?」
突然知らない声が聞こえてビクリと肩が跳ねた私は、反射的に顔を引っ込めて、カーテンを閉めた。
「ルミナスさん、隠れる必要は無いんじゃないですか?」
マナが、キョトンとしながら私を見つめる。
「……なんか咄嗟に…。」
私は苦笑しながら返して、カーテンの向こう側で、イアンが誰かと会話し始めたため、耳を傾けた。
どうやら声をかけてきた相手は、日が暮れるのに火の準備も始めないで、御者台に1人で座っているイアンを、心配して声をかけてきたみたいだった。
「オレ達の方に来て、一緒に食事をしませんか?」
「いや、俺は……」
どうやら向こうには同行者がいるようだ。
私たちが車内にいる事に気付いていないようで、イアンは返答に悩むように言葉を詰まらせていた。
……洗浄魔法があるからお風呂は我慢できる。この場で小屋を作ったら騒ぎになるし、1日くらい野宿しても構わない。せっかく声をかけてくれたし……
私は車内に積んである木箱から、自分用に持ってきていた紺色のマントを羽織って、フードを深く被る。
マナに目配せすると、猫耳を隠すようにフードを頭に被る。
リヒト様は……腕を前で組んで、ジッと座って黙っている。好きにして良いのだろうと解釈した私は、カーテンを開けて外に顔を出した。




